第10話 お前、いったい何者なんだ
私たちは歩いた。もう、こんなに歩いたことはないってくらい、ただただ歩き続けた。最初は口笛まじりで話しながら、それから無口になって、息が上がり、そのうちランナーズハイっての、なんだか歩くのが気持ちよくなってきた。
ここが戦場で戦国時代なんて思えないほどで。
蝶が舞い、鳥のさえずりが聞こえ、車輪の回るガタガタという音が永遠に続く。砂埃さえなければ、ゆったりした気分になれたろう。
そうして荷車を運ぶ補給部隊は田畑を抜け休憩を取って山道に入った。
そこからは一本道。左側は絶壁、右が林道で道は険しい。平坦な道でも辛いが坂道はさらに息が上がる。
しばらく坂を登っていくと前方から騒々しい音が聞こえてきた。喧騒はさらに大きくなってくる。
テンが荷台の上に飛び乗っていた。
「敵だ!」
テンが叫んだ。
間髪をおかず、トミが怒鳴った。
「止まれ! 荷馬車を止めろ! テン、敵の数は」
テンの指がピアノを弾くように踊った。
「50は超える、いや。100、120」
「まずいな」
何が起きている。
と、オババは荷台の米俵を確かめるように叩いている。
そして、いきなり持っていた槍で荷物を突いた。突いた米俵から、米ではなく、ゴミのような
「やはりか」
「どうしたの、オババ」
「トミ。奇妙だ!」
オババが大声で叫んだ。
「どうした」
「この部隊の荷、大きいと言ったろう」
「ああ、普通はこんなに荷台に乗せんが」
「見ろ!」
オババが米俵を裂くと中には藁しかない。
「なんだこれは」と、トミ。
「やはり、変か」
「藁を運んでいたのか」
「米俵に入れてな。トミさん、こんなに老人と女ばかりで荷を運ぶことはないと言ったな」
「ああ。普通はない」
「我らは敵を引きつけるオトリじゃないのか?」
この地域では三好勢によるゲリラ戦が多く織田側は悩まされていた。私は慌てて荷台に登った。
「オババ、敵は先頭を攻め終わった。すぐ、こっちにくる!」
オババが叫んだ。
「火打ち石だ! 火をつけろ!」
「へ?」
「この荷はニセモンだ。これに火をつけても問題ない! 火をつけて、そのスキに逃げよう。戦っても勝てんだろう。120人対50人。それも老人と女しかいない」
トミの決断は早かった。その瞬間の判断と最後尾だったことが幸いした。
「すぐ、荷台から馬をはずせ! 荷に火を! テン、時間を稼いでくれ!」
全員がトミの指示に従った。
ハマとカズが馬を外している間、トミとヨシが、それぞれの荷台に火をつけようと、火打ち石を叩いている。
敵は前方から襲いかかり、最初の3台はすぐに敵に囲まれ簡単に落ちた。
すぐ、そこに迫っていた。敵は5台目の荷車を落とし、それを見て余った兵が6台目に向かった。
そこへ真っ正面からテンが走った。
私は彼女の華麗な動きに見惚れた。まるでダンスを踊っているかのように、一分のすきもないパフォーマンス。
テンは体を低め、すっと前に踊り出て、敵の一人に的を絞り、長槍の間に体を沈めた。そして、踊るように足首あたりをすり抜けた。
次の瞬間、男が前に倒れた。足の腱を切ったのだろうか、すばや過ぎて目で追えない。一連の決まった技巧的なダンスのようだ。
テンは、すでに次の獲物の下に潜りこんでいる。
「火がついたぞ!」
私は荷台から降りて火を大きくするために、陣笠で仰いだ。
乾燥した米俵の火は燃え、すぐ火車になった。
「テン!」
トミが指笛を吹き、テンを呼んだ。
私たちは荷車を横にして、火車で道路をふさぎ、後方へ走ったんだ。左側はジャングルのような樹林で追うには不向きだし、右側は絶壁ってことが幸いしている。
「逃げろ! 走れ!」
馬に乗ったカズとハマの後ろをひたすら追いかけた。
後ろを振り返る余裕なんてなかった。
トミの怒号が飛ぶ。
「走れ! 死に物狂いで走れ!」
逃げる。逃げる。逃げる!
それしか考えられなかったんだ。
どれくらい逃げたのか。
なにもわからない状態って不安だ。こんなときにスマホって、つい考えてしまう。
テレビ、いやラジオでもいいって。
ああ、それよりも警察を呼びたい。
110番だ! 今こそ、110番だ!
「止まれ!」と、トミが号令をかけたとき、周囲は夕闇に包まれはじめていた。
その声に、ほっとして倒れこんだ。声も出なかった。隣でオババが汗を拭きながら、やはり倒れ込んでいる。逃げ切れたのか?
「おい! カズ、ハマ公、止まれ! 道から外れよう、その方が見つからんし水も必要だ」
トミの判断はなかなか適確だった。
「馬は」と、カズが聞いた。
「引いてけ」
私たちは森に入った。しばらくすると、水のせせらぎ音が聞こえてきた。
「水だ!」
ヨシが叫ぶと同時に雑草を払いながら走った。そして、
私、オババと顔を見合わせていた。
川の水、飲めるんだ。そうか、公害で水を汚すのは先の話だ。
まあ、でも喉の渇きは異常で、たとえ毒水だとしても私は
ひんやりして氷水のように冷たい水だ。これほど美味しい水を飲んだことがない。もちろん、喉も乾いていたけど、それだけじゃないと思う。
「テンは?」と、オババが聞いた。
「あれは戻ってくる。心配はいらね」
「そうか、で、これからどうするの」
「坂本城へ戻るよ。逃げると村の家族に迷惑がかかる。くそ、あいつら、オラたちをオトリにしやがったんやな」
「怒っているのか」
フンって感じにトミは鼻で笑った。
「それにしても、あんた、あの状況でオトリと判断して、荷馬車を燃やすと、よう考えたなや」
「生き延びたい理由があるのだ」
「そうか」
トミは、それ以上は聞かなかった。
「じゃ、ここからどうやれば、坂本城に帰れると思う」
「アメ」と、水の側で尻餅をついている私を呼んだ。
「琵琶湖に戻るなら帰る方向はわかると思う。川を遡れば琵琶湖に着けるから、そこから方向的には北が正しい。もうすぐ日も暮れそうだし、北極星の輝く方向に行けば帰れる」
「だそうだ」
「ほ? ほっきょく?」
「北極星」
「なんだそれは」
「北側に輝く星。その方向が北だし、ここは坂本城から見れば南に位置してる。だから北へ行けば戻れる」
「それは正しいのか」と、トミが聞いた。
「間違いなく」
トミが私を見て、それから視線をオババにうつし、再び私を捉えた。
「お前たち、いったい何者なんだ」
(つづく)
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