第6話 坂本城で就職活動
村を出発したとき、太陽はかなり高くなっていた。自給自足の時代に路銀もなく、まして不慣れ、というか不慣れすぎっしょ。450年も昔なんだから。
どう準備してよいかわからずマゴマゴしながら、ともかく小屋にあった陣笠を被り、鍋を背負って、水とおにぎりと味噌を詰めた風呂敷を斜めがけにした。
同じオババの姿は控えめに言ってもホームレス!
新宿都心のガード下にすむ、あの誇り高い人々とそっくりな姿になった。
おしゃれ好きで、どこか都会的な香りのするオババが、オババ人生最大の惨めな姿だった。
だから、私、思ったんです。
かわいそうって。でもね、それもあるけど、鍋しょって、そして…
「アメよ、あんたのその姿」
オババの口元が歪んでいます。
「オババ、私、今、20歳そこそこですから、どんな姿したって若さでカバーできます」
「いや、しきれんものを感じる」
いやいや……。
「そうおっしゃいますが、年齢というフィルターがないオババは」
お気の毒ですと言おうと思った。頭では確かにそう思っていた。
けどね、口が、口がね、口がかってにツバをとばして吹き出しちまって。
大爆笑した。姑の姿に大爆笑って、アカン、嫁としては絶対にアカンやつだ。犯人は口であって私じゃないから。
オババが怒っている。上から目線で皮肉に口元をゆがめている。
「行くぞ」
「は!」
明智光秀が苦心した坂本城は琵琶湖の西に面している。そもそも比叡山を見張る位置に、当時の最先端技術が駆使されて水城は築かれた。現代では焼失してしまった幻の城でもあったんだ。
この城の特異な点は、一端が琵琶湖の水に浸たり、堀は湖に連絡して、歴史書では船で城に向かうこともあったと書かれていた。
私たちは、その幻の城を目指した。慣れない道を下り、まだ木材の香りも高い坂本城に到着した頃には、すでに夕刻近くになっていた。
履き古した
「できたばかりの城だな、壮大だ」と、オババが目を細めていた。
軽く汗をかいている。
「真新しいですね。まだ木の香りが臭う。とすれば、やはり今は1573年かもしれません」
「1573年って、どんな時だ」
「おそらく、明智光秀は周囲の城を落とす作戦に駆り出されているはず。兵隊はどれだけいても多いってことはないでしょう」
「さすが歴女。よう知ってる」
「今が春とすれば、この夏に、つまり3ヶ月くらい後に浅井、朝倉との戦いがはじまります」
「ほお」
「信長、最大の危機なんです。ま、危機ばかりを乗り越えてきた男ですけど、これから第2次信長包囲網が完成するんで。今頃、足利義昭は必死に諸国の大名を動かそうと策を練って檄を飛ばしているはずです」
「足利義昭って、誰だ」
え? そっから。
「信長に京都から追放された将軍です。毛利のところにいるはずで、各地の大名に声をかけて反撃をはじめてるところ」
「つまり、引き際の悪い男なんだな。男は引き際が大事だ」
「オババ、それ、たぶん現代なら差別用語」
オババは、ちっと舌打ちすると、「さあ、いくよ」と足を早めた。
支配者階級ではない当時の雑兵は兼業も多く女も雇われた。男兵士の2対1くらいの割合で女兵士もいたらしい。みな食いはぐれると兵になる時代なんだ。
「とんでもない時代に、われらはいるってことか」
「そういうことです」
オババが口元を歪めた。
「ま、いい。さて、もらったこの札をどうしたらいい」
「たぶん、どこかに兵募集のための場所があるはずで、そこで見せれば」
私たちは村長から坂本村に住んでいる証として札をもらってきた。兵になると言うと驚きはしたが、「ほうか、それは助かる」と顔を緩めた。おそらく兵役分担が二人減るのは村全体として助かるのだろう。
「ところで、まずいことが浮かんだ」
「札に問題が?」
「いや、2020年にいるおカネおマチのトイレ問題だ」
「いま、そこですか」
「ここのトイレというか。トイレとして区切ってる場所、悪臭はひどいわ、虫は多いわ」
「私、耐えられません」
「私もだ、鼻をタオルで抑えていた」
トイレ問題は、もう泣きたい。
ほんと泣きたい。
ここで生きていくのに、最も辛いのがトイレだ!
「未来の母娘も大変な思いをしておらんか。この環境からいって、とても水洗トイレを使えるとは思えん」
「じゃあ、どうすると」
「庭で用を足すとか」
「ぎょえっ、勘弁です。庭のモッコウバラや、ラベンダーが。自称イングリッシュガーデンです」
「それだけなら、まだしも、庭で用を足していたら、隣の、ほらあの神経質な木川よ、警察に通報するかもしれんぞ」
た、たしかに、2階の窓からそれを見たお隣の木川さんがどう考えるか。
「いま、考えるのは、よしましょう」
「そ、そうだな」
「でも、も、元に戻れたら・・・、どう説明しましょう」
「女は黙って●●ビール」
「なんですか、それ」
(つづく)
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