第5話 夜這い少年の母


 ドンドンドン!


 小屋を壊さんばかりの音で目覚めた私は、オババが粗末な木戸を開けようとしているのを薄眼をあけて確認した。


 朝陽が射しはじめたばかりの、オレンジ色の眩さが木戸からもれてきた。せめて時間だけでも知りたい。スマホが欲しいと切実に思う。なんでも答えてくれるグーグルは、450年ほど過ぎないと現れない。


 ということは…


 まだ、この世界か。


 目を開けたくない。だって、匂いからして2020年とは違う。おまけに清々しい目覚めで、起きがけ特有の気怠さもないんだから、この身体が私のものじゃないってすぐわかった。


 手で床を探ると、ゴザのざらざらする表面に触れた。昨夜はゴザをひいて眠ったことを思い浮かべたとき、戸がガタピシと音をあげて開き朝陽が舞い込んだ。


「ちょっと、おカネさん、どういうことよ」


 小柄な女が立っている。

 声には怒気がこもり、木戸の前でオババは困惑して、こちらを見て、それからまた、怒り狂った様子の女に顔をもどした。


「あの」

「うちのマサに恥をかかしよって」


 そうか、あの夜這いに来た少年の母親か。

 やはり粗末な着物を身につけている。起き上がろうとすると、オババが背後から手を振って、そのままでいろと合図してきた。


「実は」と言って、オババは体を引いた。

「あのように、うちの子、病気になって、オタクの大事な息子さんに病気をうつしてはいけないと」


 オババ、ナイスフォロー! だから、私も背後から援護した。


「ごほごほ、ごほっ!」


 咳をすると、マサの母親はすぐに身を引いた。昨日のマサにも感じたことだが、この時代の人は単純で感情がすぐ身体に現れる。


 まあ、当然のことだろう。


 450年前の農家の貧しい女性が、現代人が悩む『存在とは何か』なんてな哲学的概念など考えるヒマはない。というか、生きることに精一杯で自分の『個性を発揮して』とか、『働き方改革をしよう』とか、『生きる方向性』などという、いわば貴族的贅沢思考きぞくてきぜいたくしこうなど、まずもたない、もてる余裕などないんだ。


 今日の食べ物をどうするか、それが難問の時代。長い戦役で土地は疲弊し、ほとんどの作物は年貢でとられ、それこそカツカツの生活なのであって、明日は食えるかが大問題だった。


 この時代のキーワードは飢餓!

 生活保護やらセーフティネットなど全くない時代に生きている。そこで生き延びるということは、いっそ尊い。


「実は昨日も血を吐いて」と、オババが言った。


 え? それはまずい、オババ。血を吐いてはやり過ぎだ。


 抗生物質がない時代に血を吐いたら不治の疫病であって、ハヤリ病は忌み嫌われる。隔離されての村八分って笑いごとじゃないから。貧しさのなかでは、村の互助会がなければ生きていけない時代。現代の地域交流とは、そもそも土台が違っている。


 私は咳をするのをやめて、立ち上がった。

 案の定、マサの母親は後ずさっている。


「いえ、血って、母ちゃん、大げさな。咳をしすぎて、歯で舌を切っちゃたんです」


 オババがこちらを見た。私は目配せした。


「そ、そう。歯でね。だぁから、ちょっとした病で」

「そうなの、じゃあ、仕方ないわね」

「そうなんです、ほんとごめんなさいよ」


 おっと、オババが謝っている。


「じゃ、ま、あんたんちが、そういう考えなら、もうマサは関係あらへんからね」

「ええ、ええ」


 マサの母親が去ると同時に、オババと一緒にその場にしゃがみこんだ。


「病気はいいアイディアだったが」

「よかったです」

「そうか」

「でもオババさま、病気も程度があって、ハヤリ病と思われたら村八分だから。風邪ひいて死ぬこともある時代だから」

「そ、そうなのか」

「村から隔離されちゃったら、水も飲めなくなって困ることに」

「水も」

「共同井戸を使わしてもらえなくなると思う」

「なんと、まあ、地雷が多い場所だ。生きていけるかな」

「それでも生きていかないと。2020年の、おカメとおマチに比べれば」

「おカネとおマチにな」

「そ、そうです、おカネ」


 同時に顔を見合わせた。


「私は、おカネという名前か、……お金か」

「そして、私はおマチという名前で、お待ち」


 貧しい掘っ建て小屋で、お金お待ち!

 思わず吹き出した。吹き出すと、もう笑いが止まらなくなっていた。


「だって、オババ、ははは…、この貧しい家で、はは、お金お待ちって」


 笑いというものは確かに伝染性があると思う。オババも泣きそうな顔で笑い出した。二人で顔をくしゃくしゃにして笑い続けた。


「たしかに、どんなジョークだ。お金お待ちって、ネーミングのセンスが、あははは、すごい。誰が娘におマチってつけた」


 散々、ここに住んでいた二人の貧しい女たちを笑い飛ばし、私は申し訳なくなった。その上悪いことに、少し恥ずかしくもあって、私は漫才師と悲劇のヒロインの間をいったりきたりしながら、泣き笑いしていた。これから、兵隊に志願しなきゃと考えながら、いつまでも笑うしかなかった。


(つづく)

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