第9話 「友の会新聞」のモデルになって!

 海上保安庁の職員は国家公務員なので、労働時間や給与面は一般の企業と比べても安定していると言えるだろう。労働時間も休暇も労働基準法に定められた通りである。

 しかし、それが陸上勤務のときならばである。

 船艇勤務と陸上勤務を交互に行うが、とくに船艇勤務は八時間労働とはいかない。

 船は二十四時間動いているし、警備や救難活動に休みはない。いつ発生するか分からず、かつ迅速な対応が求められるため保安官は当直ワッチ制度を取り入れている。乗務員は三つに分けられ、四時間を一回として当直勤務をする。夜ならば休憩は睡眠にあて、昼間ならば、仮眠または訓練などをして過ごす。

 この当直勤務に男女の区別はない。ただし、主計科はこの当直には該当しないとされている。


 とはいえ、人員が十分とはいえない中、どんな事案が発生するかわからないので、船長の判断による臨機応変な処置が求められている。



 ◇



 伊佐が今夜の夕食のことを考えながら船内を回っていると、後ろから声をかけられた。振り返るとそこには、首からカメラを下げた女性がいた。


「伊佐監理官」

「はい。なんでしょう」

「主計科の金城きんじょうです。あの、お願いがあって声をかけされていただきました!」


 紺色の海上保安庁の作業服を着た主計科の金城は、ハキハキとした口調でそういうと、ビシッと敬礼をした。

 伊佐もそれに敬礼で返す。


「お願いですか? どうぞ」

「ありがとうございます。今回、十一管区友の会の新聞に写真を頼まれまして。是非、伊佐監理官を一面に載せたいなと思いまして!」

「友の会の新聞……え、一面にですか? それだったら私ではなく船長が適任ではないでしょうか」

「そうなんですが、その、お断りされてしまいまして……船長が伊佐さんがいいと聞かなくて。年寄りじゃなくて、若くてイケメンじゃないとだめだとおっしゃるんです」

「えぇ……しかし」

「お願いします! 伊佐監理官しかいないんです。ただ、立ってていてくだされば!」

「いや、その」


 さすがに一面に載せられるのは荷が重い。しかし、目の前でお願いだと拝まれては断り辛い。どうしたものかと船内を見渡した。その先に見えたのは調理室に置いてきた歌川だった。


(歌川ならいいよな。あいつ、笑うと爽やかなイケメンだぞ)


「金城さん、あそこの」

「え?」


 伊佐が歌川を指さしたのを見た金城は、首を大きく横に振った。


「ダメなんです! 歌川補佐は……NGなんです」

「NG? 彼はイケメンな方だと思うけどな」

「イケメンなのはさて置き、眼鏡がどうしても反射してしまって撮れないんです」

「え、それはフラッシュの問題なんじゃないかな」

「それが何度やっても歌川補佐からのオッケーが出ないんです。ご本人の同意なしでは、新聞に掲載できませんので。見ていただけますか? なぜか微妙に反射してしまうんです」

「オッケーが出ないって、それは、また。ああ、確かに微妙だな」


 金城が撮った写真のデータを見た伊佐は、歌川の絶妙な顔の角度に呆れる。


(あいつは中学生かよっ。卑怯な手を使いやがって、覚えていろよ)


 彼は光の屈折をよく分かっているのだ。シャッターを下ろす瞬間に首を僅かに傾けたり、顎を出したり、電気の下に移動したりと見た目ではわからない絶妙な加減で眼鏡を反射させているのだ。


「私が下手なんです。何度も撮り直しするのは申し訳なくて」

「ああー……(まいったな)」

「ワッチの人たちは忙しそうですし。船橋はおじゃましづらくて。だから、伊佐監理官どうかお願いします!」


 潔いお辞儀に断る理由も言葉も見つからない。伊佐は仕方なく諦めることにした。これも仕事なのだと言い聞かせて。


「頭をあげてください。分かりましたから。私でよければ協力します」

「ありがとうございます! 嬉しいです!」


 すると、二人のやりとりを通りすがりに見た我如古レナが立ち止まった。よく見れば部下の金城が伊佐に頭を下げているからだ。


「何してるの?」

「あっ! レナさん!」


 主計科の職員は主計長の我如古レナのことをレナさんと呼ぶ。これは、レナが望んでそう呼ばせているのだ。


「伊佐さん。うちの金城がなにかしました?」

「いえ。金城さんに頼まれごとをされまして」

「金城さんどういうこと?」

「実は伊佐監理官に……はっ!」

「うん?」


 金城は伊佐の隣に立って部下を気遣うレナを見て閃いてしまったのだ。


 ―― この二人、絵になる!


「レナさんお願いします! 可愛い部下のお願いです! なにどぞー」

「待って待って、なに? どうしたのっ」


 神様を拝むのと同じように、金城はレナに向かって手を合わせた。そして、そのまま角度を変えて伊佐にまで拝む。


「金城さんなんで?」


 伊佐もレナも困惑するしかなかった。金城は手をすりすりと合わせて、お辞儀を何度か繰り返し、流れるような動作でカメラを構えた。


「えっ」

「は?」


 カシャカシャ……!

 カメラの連写音が船内に響いた。


「すみません! 伊佐監理官、少し左肩をこっちに入れて……そう! そうです! レナさんは少し笑って! 口元だけでいいです。そう! すてき!」


 金城の気迫あふれる掛け声に、伊佐もレナも抵抗するのを忘れ言われるがままだ。金城はなにかに取り憑かれたかのような気迫でシャッターを押した。


「次、外でお願いします。あ、そうだ! すみませーん双眼鏡借ります!」


 金城は海上の船舶を監視する双眼鏡を持ち出した。そして、伊佐とレナを甲板へと誘導する。持ち出した双眼鏡は伊佐に渡し、レナには肩につけた無線を持つように指示をした。


「伊佐監理官、海上監視してください! レナさんは無線を手に持って通信開始!」


 金城は緊迫した雰囲気を作り始めた。


「ああ……いい。すごく、いぃ……痺れる」


 まるで芸術写真家だ。

 近くでは本物の当直勤務の職員が、あんぐり口を開けて見ていた。近寄りがたい空間、映画のポスターでも作っているのかと錯覚する。

 ハーフのレナと男前の伊佐が並んだら、誰もそこには入れない。


「なんだなんだ?」

「うわー。なに、ドラマ撮影? なんちゃって」

「いやマジそれ」

「もうワッチ上がっていいですか。やってられないっすよ」

「なにやってるんですか? きゃー、かっこいい。え? ヤバくないですかあの二人」

「おい、よだれ出すな!」

「デジカメのデータ欲しいなぁ……ため息でちゃう」


 とうとう甲板に人だかりができてしまった。

 それに気づいた伊佐は軽く咳払いをして、金城のカメラを止めた。そして、見学者の方に向かって帽子を取り頭を下げた。


「大変申し訳ない。その、資料画像の撮影をしていました。十一管区友の会からの依頼です。もう終わりますので、持ち場に戻ってください」


 我に返った金城をはじめ、それぞれが、それぞれの持ち場へと帰って行った。


「伊佐監理官、レナさん。ありがとうございました! ほんとうに助かりました。感謝いたします。では、失礼します!」

「金城さん……て、行っちゃった」


 甲板にポツンと取り残された二人は、顔を見合わせて苦笑いだ。レナに至っては巻き込まれただけ。なにがなんだか分からない。


「レナさんも新聞に載りますよ。しかも、一面に」

「なんですって? もう、先に言ってくださいよ。髪、整えたのにぃ」

「なんだ、だったら初めからあなたに頼めばよかったんだ。まいったな」

「気乗りしなかったんですね。でも、伊佐さんのその見た目は武器にしてもいいと思います。人員不足で求人出してもなかなか来ませんもん。こんなイケメンがいるって知ったら、応募増えますよ」

「イケメン?」

「あ、その言い方嫌でした? すみません。えっと、男前? いい男? ハンサム? スマート? ナイスガイ……違うかぁ」


 レナは伊佐の容姿の良さを、どう言い表したらいいか考えて見た。なかなかいい言葉が見つからない。悩むレナを見て、伊佐は不思議に思う。


「誰のことですか?」


 自分のことだとは、微塵も思っていなかったのだ。


「は? 真顔で冗談いうのやめてくださいよ。誰のことって、伊佐さんのことしかないでしょ!」

「なんだって?」

「嘘でしょう……あなた、そうとうのイケメンよ」

「俺、が?」

「そう。あなたが」

「嘘だろう? そんなこと、言われたことがない」

「えっ――」


 そうなのだ。

 伊佐は自分の容姿について他人から言及されたことがなかったのだ。とくに、社会人になってからは。


 なぜならば、あの歌川がそういうふうにしてきたから……。


「ごめんなさい。ちょっとあたまが痛くなってきました。私、戻りますね」

「大丈夫ですか。医務室まで送りましょう」

「いや、いいんです。そういうのではないので」

「では、どういうのですか」

「だから、伊佐さんそういうところなんですよ……って、分からないですよね。あはは。でも大丈夫です」


 何がそういうところかのか、伊佐にはいまいち理解できなかった。しかし、本人が大丈夫と言っているので大丈夫なのだろうという程度だ。


(女性には女性にしかできない、体調コントロールがあるんだろうな)


 いや、そういう事ではないのだ。



 ◇



「あー、金城さん。こちらへ」

「歌川補佐っ、な、なにか」

「撮れました? 新聞の写真」

「はい! 良いものが撮れました」

「拝見しますね。……えーっと、ふむ」

「あの?」


 意気揚々と戻る金城を止めたのは歌川だ。金城が撮った写真のデータをなぜかチェックしている。


「臨場感のあるこれを出しましょう。警戒監視している後ろからのショットです」

「これ、いいですよね。でも、この正面からのは求人のパンフレットなんかに」

「ダメですね。光が足りてないので、もしそれに使うなら撮影室で撮らないと」

「あー、なるほど!」

「ご理解いただけたら、消してくださいね。肖像権の問題です」

「えー、せめて船内の掲示板に」


 歌川は眼鏡のふちを指の甲であげながら、顔を金城にぬっと近づけた。


「業務命令です。この画像以外は消すように」

「うう、はい」

「では、私はこれで。お疲れ様です」


 歌川はやれやれといった雰囲気で、去って行った。


(あんなものを一面や広報誌に出されたら大変でしょ! これ以上、伊佐目的の応募はお断りですよ。まったく、大変なんですからね!)


 しかし、金城がおとなしく消すだろうか。


 ―― 外に出さなきゃいいんでしょ? 個人的に楽しめばいいのよ。


 と、いうことだ。

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