第8話 北ノ庄から ~1583秘密~

 何が始まりだったのかすら、最早、分からないと北の巨人、織田家の筆頭家老である柴田勝家は言う。いや、知っていて見ない振りをし、分からない振りをした。極論を言えば、猿を拾った大殿が悪いと言ってしまいかねないから黙る。


 なら、何が潮目を変えたのか?


 ちらりと横に居る絶世の美女に目をやる。

 大殿の妹、憧れの人である於市だ。自分のような粗忽者には勿体無い程の女だと知っている。それでも諦めきれなかった。未練がましく思い続けた。長政の愚か者が裏切ったと知った時には怒りよりも喜びが勝ったほどだった。


 まだ機会がある。

 功を立てれば、大殿に願い出れば無碍にはされないぐらいには出世したと思っていたのだ。


「勝家様、難しいお顔ですけれど、何か問題でもあるのですか?」


 透き通るような声が、自分を奮い立たせる。

 この方の為ならば誰を敵に回してもいいとも思える。だから、愚かにもこう応えるのだ。


「於市様、何の問題もございませぬ。躾のなっていない猿の軍勢など、この勝家にすれば鎧袖一触に過ぎませぬぞ、わはははははは」


 雪に邪魔される戦支度に、背後の越後勢、連絡の取れない滝川一益に、無能な織田の小僧共、苛立たせる事ばかりだ。それでも、あの時、猿の知恵袋である黒田の小倅の口車に乗った事は後悔などない。



――清州会議の始まる数日前


「勝家様、秀吉配下の黒田と申す者がお目通りを願い出ております」


 小姓の言葉に返事が出来ないのは、戦場で感じる嫌な予感と同じものを感じたからだ。それを信じて来たから生き延びて来た。だが、同時にこれを逃せば後悔するぞと言う、謎めいた確信もあるのだ。


「会おう。通せ」


 人生で初めて、いや、2度目。大殿と弟である信勝様、どちらにお味方するか迷った時以来だ。そして、その時に嫌な予感を信じないで敗けたのだ。それ以来、決して破る音の無かった信念を曲げた今、何が起きるのか。


「此度は貴重なお時間を頂き、感謝の念に堪えません。羽柴秀吉配下、黒田‟官兵衛“孝高にございます」

「噂に聞く、猿の知恵袋か? 楽にするといい」

「ははっ」


 猿の部下にしては、何とも様になっているではないか。ああ、確か、潰したか潰れたか西方の小寺なんちゃらの家臣だったと佐久間が言っておったか?


「で、儂を毛嫌いしておる猿の配下が何用だ?」


 実際は儂が毛嫌いしておるだけで、猿めは何かと儂に気を使っておるのは分かってはいる。分かってはいるが、どうにも出来んこともある。


「こちらを」


 わざとらしく、懐から書状を出してくるが、いくら何でも儂を馬鹿にし過ぎであろうよ。


「小芝居が好きなのは猿の趣向かと思うておったが、お前の入れ知恵か? 猿に紐をつけて大殿の代わりに操ろうとでも考えておるのか?」

「ぐっ……」


 嫌味と共に睨みを利かせてやったが、存外、肝が太いのぉ。青瓢箪の知恵者気取りなだけではないようだな。


「も、うしわけございません。私の一存での振舞いです。私の首は差し出しますので、どうかそれでご容赦下さい」

「ふむ。戦狂いの猪武者だとでも思うたか? まあよい。これも勉強だ。猿に免じて許してやろう。お前を失っては昔のように猿が走り回らなばならぬからの。それでは柴の字をやった甲斐がないというものだ。まあ、やっている事は羽の字の部分が多いようだがの? わははははは」


「いつまでも頭を下げておる? 何か話があったのだろう? こんな紙切れに書くような軽い話ではなく、さりとて、猿自身が此処に来ては問題があるような話が」

「ご賢察通りにございます」


 まあ、若造の頃では無理な腹芸もこの年になれば一つや二つ出来るようになる。目の前の若造も才能があるだろうが、それ以上の曲者共とやりあってきた経験は誰にも負けんわ。


「では、此度の清州会議に置きましての最重要点である三法師様と於市の方についての処遇を我が殿は柴田様と内密に取り決めたいと申しておるのでございます。それは――」


 大殿の嫡孫である三法師様の事も驚いたが、於市様のことまで持ちだすとは儂は驚きを隠せずにいた。それに、この若造が語る内容を聞けば聞くほど、儂は、この場を設けるべきではなかったと後悔した。若造の後ろに居る猿の顔が見えた。


『勝家殿、念願が叶いますぞ?』


 そう厭らしく告げる猿をハッキリと捉えた。

 聞きたくはなかった。無かったが聞いてしまったが故に、罠にかかった獣の如く、暴れれば暴れる程、その罠は儂の足に食い込んでくる。傷は深く、骨が見えても暴れる獣。罠の餌を話さない愚かな獣はいつか死ぬだろう。だが、死ぬかわりに大好物である餌を食べ、幸福感を得るのもまた愚かな獣だ。


「好きにするといいと猿に伝えるがいい。この柴田、墓までこの話を持って行こう。だが、裏切れば、手負いの獣故、何をするか分からぬぞとな」


 それから黒田某が帰ったが、儂にはそんな事はどうでも良かった。後悔と満足の二つの感情を持て余していた。尻の青い小僧のように。







「またですわよ。ここ、ここに皺が寄ってます」


 於市様が、ご自分の額を指差し教えてくれる。この方は、どうして怒らなないのだろうかと思うが、怖くて聞けない。鬼柴田ともあろう者が、女子の機嫌を恐れて言葉が出ないのだ。


「では、仕方がありませんわね」


 於市様が、指をパチンと鳴らすとすこし雰囲気が変化する。


「さあ、私の愛しい勝家様。大地に蔓延る汚らわしい猿を排除いたしましょう。私も参ります。これでも昔とった杵柄というのでしょうか? これでも騎乗(ラクダですけど)には五月蠅いのですのよ」

「そ、それは駄目だ!!」


 於市様のとんでもない言葉を否定するが、どこか、大丈夫ではないのかと思っている儂がしておかしな気分だが、それでも於市様を戦場に出すなど、出すなど……。


「投げ槍も得意なのですよねぇ。少し、短くして欲しいですけど。それに、この大地には有名なお話があるのでしょう? 巴御前と義仲様のお話が。仲睦まじい夫婦のように私達もそうあるべきよねぇ」

「……そうかも知れぬ。だが、此処、北ノ庄城で籠城すれば援軍が間に合うかもしれぬのだ」

「私の嫌いな真っ白な雪の中でかしら? 寒いのはもう嫌ですわ。瀬戸内の暖かい所がいいわ。お猿さんはそんな羨ましい場所を独り占めしてるのでしょう? そんなのは駄目だと思うわぁ」


 そ、そうだ。

 何が籠城だ。そんな馬鹿な選択肢があるものか。それに城攻めは猿の最も得意とするとおろではないか。相手の土俵で勝負するなど愚の骨頂である。大軍の入れぬ賤ヶ岳こそが、唯一の勝機だ。


「於市様、この愚かな勝家に御力をお貸しくだされ。賤ヶ岳、賤ヶ岳で猿を討てれば良し、でなければ、そのまま湖西を抜けて京を越えて拠点姫路城を狙う一世一代の大勝負!!」

「よくぞ、申してくれました。微力ですか、御力に添えるよう最善を尽くしますわ」


 儂はもう迷うことは無くなった。

 全軍に通達、最後の大戦、共に戦うも逃げるも命令はせぬと。そうして、従ったのはおよそ3万の兵と佐久間盛政、前田利家の主だった将とその与力達だった。それが多いのか少ないかなど、関係ないのだと儂は考えた。勝てば兵は増えるし、敗ければ減るのだ。それは、儂だろうが猿だろうが同じ事。であれば、開戦時の兵の数など誤差に過ぎない。終わった後にどうなっているかだけが問題なのだ。




――おはようから転生まで、於市の心の中の私です。


「ざっけんな、コラ。なんで、私が馬に乗ってんの? 鉢金に鎧って重武装ではないけど、思いっきり戦闘服じゃん、コレ」


 率いる足軽さん達に聞こえない様に、器用にも小声でブチ切れる私。お仲間?の二人に鍛え上げられたお蔭ですって、そんなの要らんわ。前々世の記憶もボヤてくる私の御国言葉も酷くなっているのは気のせいにしてください。でも、みゃぁみゃぁは言いません。私が言っても可愛くないので。


「酷い。これは今までで一番酷いわぁー。まあ、炎上寸前の小谷城もたいがいだったけども。それでも、あの時は非戦闘員でしたよ? 今度は斬られても文句の言えない――前回も斬られてもおかしくないかったけれども――戦闘員とかヤバすぎでしょ?」


 心の中で『ヤバいよ×2』って感じの人が踊るぐらいにはテンパるわ。


 つか、唯一の戦闘要員の馬鹿クレオが引っ込んでるとか、ありえないんですけど!!

 それで、気が付きたくなかった現実が背後から迫る。足軽さん達のテンションというか戦意っていうの?それがめっちゃ高いんですけども何故ですか?


「於市様がいれば我々は敗けないさ!」

「於市様を絶対に守るぞ!」

「於市様の御恩にいつ報いるんだ?」

「今じゃ!!」

「於市様、万歳!!」


 聞こえてくる足軽さん達の沢山の声、声、声。

 わかんないけど、私まで駆り出されるって前提で負け戦まっしぐらよね?

 なのになんで、こんななの?




「於市様、賤ヶ岳までもう少しかかりますが、疲れていませんか?」


 そう労わってくれるのは、勝家さんに味方してくれた利家さんの息子の利長くんだ。お父さんの利ポンおじさんに似ず、結構なイケメンだったりする彼は、腕前もかなりなものらしい。そして、なによりポイントが高いのが、お母さんのまつさんが美人さんなので、私に対しても免疫力を発揮して普通に接してくれるのだ。


「利長くん、ごめんね。面倒かけちゃって。調子が良い時は、もう少し乗れると思うんだけど、今は少し……」


 私達のモードで次第で於市力がかなり増減するので、そう言っておくと大抵の人は納得してくれるのだ。見た目はともかく、実年齢はけこうな歳だしね私。悲しい事に、能力低い状態担当が私っぽいのだ。


「いえ、数日前の騎乗の腕前は本当に驚きましたし、その、他意はないのですが、於市様はそれなりの御歳ですし、日々の調子が変動してしまうのは仕方のないことかと」

「ありがとう。そう言ってくれるの利長くんぐらいだよ。古参の人によったら、私の事『今日の於市様はお婆ちゃんですね』とか『能力落ちました?』とか笑いながら言ってくるのよ? あ、勿論、悪気がないのは知ってるし、仲がいいのよ。でも、分かってても凹んじゃうのよねー」

「凹むですか? 初めて聞きました於市様言葉ですね! 少し感動です。あ、これ、内緒でした。えへへ」


 へ? 何? 於市様言葉って何?


 私そんな扱いなの?

 ツチノコレベルとか、初めての宣教師レベルなん?

 いやーーーーん。


「……帰りたい」

「ごめんなさい。於市様ごめんなさい」

「いいよ。利長くんも誰かに聞いたんでしょって、多分利ポンおじさんでしょうけど……」

「と、利ポン……っぷぷぷ」


 いや、もう我慢しなくていいんじゃないかな?

 私も諦めるし、言われてみれば結構時代を無視した話し方してた気もするし、転生お約束の翻訳糸蒟蒻的な効果を期待してたんだけど、不発が多かったっぽいね。転生して、数十年目にして初めて知る事実ですよ、マジ凹むわぁ。


「で、気分転換に聞くけどさ、ぶっちゃけ勝ち目あるの? 私が思うに足軽さん達の戦意は別にしても全体の戦力というか兵数の差って酷くないの? 向こうは天下の秀吉様だよね?」

「……どうでしょうか。いえ、於市様に気を使った訳でもなく、正直、五分五分だと思っています」

「どうして?」


 気になるわ。

 歴史通りだと始まる前から負け戦というか、時代は秀吉に味方した、みたいな感じでしか教科書とかに書いてあるからさ。勉強家でもなかったかもしれない私だとそれ以上の情報なんてないもんね。


「羽柴殿は凄いと思います。これは、親父――いえ、父も常々そう言っていますし、柴田殿も内心では似たような気持ちだと思います」

「でもって続くんだよね?」


「そうです。でも羽柴殿には大きな欠点があるのです。それは百姓の出であること。代々続いた家じゃない、仕える家も仕えてくれている家もない、羽柴家には歴史がないのです。だから、羽柴殿の下に居る者達には常に不安を抱えている。武家の常識が通じない相手が自分に何を望むのかと」

「でも、信賞必罰で成り上がったからこそ、そういう不安が逆に少ないんじゃないの?」

「間違いじゃありません。大殿、亡き信長様を意識している筈ですし。でも、言いたくはないのですが、一度の失敗や過度に功績至上主義ですと家が落ち着かないのです。大殿のやり方が拙いのではないのです。真似る時期が拙いと思っています」


 なんか分かるような分からない様なって……。


 あっ!


 多分アレだね。家族経営から大企業になって終身雇用とか日本が大きくなっていった後に動脈硬化起こす感じだよね。で、外資ハゲタカの目先の餌につられて死亡するサラリーマン多数という罠だよ。お猿さんは、小さな家族経営の会社が急に大きくなったからって、外資みたいな成果主義にしちゃって社員さんがビビりまくってる状態だね。


「利長くんってめっちゃ賢い? 商人向きじゃない? 金ていうか、小判で天下取れるかもね!」

「え? 於市様がどうして、そのような結論になったかは分かりませんが、これでも嫡男ですので、前田家が無くならなければ継ぎたいなぁと思っています」

「そっか、じゃあ、前田家が無くならない様に私が何とかしてあげるよ。だから、私を守ってくれない? 勝家さんに頼むのが筋だと思うけど、多分、そんな余裕はないと思うんだよね」


 そう、秀吉軍に弱点があろうとなかろうと、私が目指すのは生き残り。流石に、今回はお猿さんに捕まると首と胴体がさよならしちゃいそうなので、どこかに布石を打ちたかった。特に、私が深層に沈む前に。


「それは勿論です。その為に此処にいるのですから」


 利長君は行動もイケメンだね。

 これなら美女耐性もあるし、馬鹿クレオ&悪女於市が前面に出てきても私は助かる可能性大の筈!!さらにダメ押ししておこうと思う。戦争と恋に禁じてはないのだ、ふはははははは。


「利長君、これはお願いなんだけどね」

「はい」

「私の調子が良くなった時って、天狗になっちゃうと思うんだ。この歳で恥ずかしいんだけど、だから、その時に利長君が無理にでも引っ張って一緒に前田領に撤退してくれないかな?」

「え? 前田にですか? 北ノ庄に我が身に代えてもお連れするつもりですが?」


「いやいや、そこは前田で。さっき言ったでしょ。前田を残すようにするって。私が居れば何かと便利になると思うのよね。だからこれはお願いであり、交換条件よ。利長君は私を助ける、私は利長君の継ぐ前田を助ける、おk?」

「おk?」


「それでいいかしらって事よ!」

「……戦場では絶対はありませんのでお約束は出来かねますが、これだけはお約束します。この前田利長が必ず於市様をお守りすると」


「ま、それでいいわ。よろしくね」

「はいっ!」


 ホントイケメンよね。現代でも生きていけるくらい柔軟な頭してるし、格好いいし、そりゃ前田家が繁栄もしますし100万石饅頭も作っちゃうわけだわ。で、どうせ、見てるお二人さんに言っておくけど、私は死にたくないのでアンタ達好きにはさせないよ。馬鹿クレオ、アンタ好みの利長君がいるんだから、今度は私に付きなさいよね。於市さんばっかりに好きにはさせませんから!!


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