第7話 逆転しない清州大会議

 1582年、清州城にて。


「各々方、お家という者は長子が家督を継ぐが常道だと、この百姓上がりの猿ですら思うのであるがいかがか?」


 羽柴秀吉の言い分に否を唱えるものはいない筈だった。何故なら、実際にそういうことが常識であるからだ。だが、この場においてはそうとも言えない事情があった。信長が死に、その後継者たる長子の信忠も時同じくして死んでいるからである。


 だからこそ、次男信雄と三男信孝は、己が後継者であるとここぞとばかりに主張したのである。


「黙れ、猿!! だからこそ、信忠兄上亡き今、俺が後継として織田家を盛り立てると言っているのだ!!」

「そうだ!! 信雄兄者の言う事に一部異論があるが、親父の息子である我らこそが相応しいのは間違いない。百姓上がりは黙っておれ!!」


 秀吉は思わず苦笑いだ。

 言い分としては間違っていないし、事実、成り上がったとはいえ百姓であることに変わりないと思っている。そもそも未だに貧乏性が治らないのも根っからの武士ではなかいらだと秀吉自身は思っているのだ。蔑まれるのにも慣れているし、自身を認めてくれた恐ろしい信長が居ない今、その雛が囀ったとしても何も感じない。


「黙れい!!!」


 ギャーギャーと騒ぐ雛を一喝したのは、それまで目を閉じて沈黙していた柴田勝家だ。清州における会議の主催の1人とされており、織田家一の猛将でもある。そんな人物の一喝を戦場のせの字も知らぬ雛が耐えられる訳もなく、顔面蒼白で震えて縮こまるのだった。


「流石は柴田殿。信長様が言いたい言葉をよくご存じですなぁ。この猿、改めて尊敬いたします」

「貴様の世辞などいらぬわ。続けよ」


 この秀吉と勝家のやりとりに、4人の主催の内の残り2人が目を剥いて驚きを隠せない。声を上げなかったのは雛達の手前の見栄であるが大した意志力である。二人の犬猿の仲は、織田家古参の者であれば、誰もが知っているものであり、決して相容れぬものだと認識していた。


 それが、今後の織田家の行く末を占う場で足並みを揃えるなど、誰も考えもしなかった事である。秀吉派か勝家派どちらに付くか、それとも仲介者として優位を為すかと言うのが、丹羽長秀と池田恒興の考えていた全てだった。


「では、お言葉に甘えまして、この猿の芸である猿真似を披露しようと思いますれば、暫しの間、ご静聴願います」


 深々と頭を下げる秀吉。

 こういう芸当を苦も無く出来るのが秀吉の強みであり、出来ない他者の弱みであった。主君の仇討ちを成し遂げた者が上からではなく、下から物申せば聞く以外に選択肢などない。分かっていても出来るかと問われれば、恐らく、この場の織田家重臣の柴田、丹羽、池田の3名には出来ない相談であろうと思われる。


「『おみゃぁらは、信忠の後継を認めたであろうが! であれば、その子である三法師こそが、次の織田家総領であることに何故理解を示さん?』」


 パンッと柏手を一つ。

 秀吉の合図で入ってきたのは、年齢を感じさせないというか時が止まったかのように昔の姿のままの信長の妹の於市とその腕に抱かれた幼子。そう、この幼子が三法師である。秀吉が混乱の最中に必死になって確保した手札である。


「お久しぶりですね、秀吉様。かの小谷城以来でしょうか? あの時は、お世話になりました。この市、改めて感謝申し上げます」


 ざわめくのは秀吉以外の者達だ。

 信長の嫡孫が生存したこともだが、あり得ない美しさと若さを保つお市の方に驚きを隠せない。分かる者には分かっていたのだ。この会議と言う体でありながら、その実は秀吉が行う清州評定だと。


 しかし、それを認めたくない秀吉以外と気を遣う秀吉によって表向きは会議だったのだ。それが、間違いだと目の前に突き付けられた。秀吉は全てを手に入れており、その現実を突きつける為に謙っていたにすぎないと。


「そのような……織田家に禄を受けておれば当然の事。誰もが同じ事をするに違いありません」

「そうですか……秀吉様がそう仰るのであればそうなのでしょう」


 於市の言葉で息の根を止められたのは信雄、信孝の二人だ。家臣でも当然の行いを息子である自分達は何も出来ていないと言われているのだ。それも信長の妹に。


「では、秀吉様、続きの猿真似をどうぞ。とてもよくお兄様に似ていたわ。あ、顔ではなく、言い回しですよ? ふふふ」


 追撃の一言は、柴田、丹羽、池田達にも襲い掛かる。秀吉の言い分は、真に信長の言葉であると信長の妹が認めたのである。猿芝居が、否定しづらい信長の声となった瞬間である。


「では……『信雄、信孝よ、何の為におみゃぁらを養子に出したと思うておる? この信長が信忠が死んだと知った瞬間に織田姓を名乗る? 愚かにも程があろうよ。毛利に出来て織田で出来ないなど、腹立たしくて仕方がないわ!! このたわけがっ!!』」


 毛利家の嫡男隆元が早逝し、尼子家の脅威の中誰もが分裂するだろうと思われていた事を指しているのは誰もが知るところだ。そして、それが杞憂に終わったことも。それ以上に、秀吉は毛利攻めをしていた事で、その内情も他よりも詳しく掴んでいたからこその言葉だろう。


「『功一等は猿に間違いないのは誰もが分かるはずだが、それすらも分からぬ愚かなのか? 西の抑えが猿、北が権六、畿内が五郎左、伊勢以東が一益でその補佐の為に態々、北畠家、神戸家であるにも関わらず、簡単な仕事すら出来ぬ凡夫が息子とはな』」


 信長の声と言いながらも実際には秀吉の言い分である。その中身がなんとも信長を彷彿させるのだから堪ったものではない。特に、古き盟友であることから立会人ということで同席していた徳川家康は背筋が凍る思いだったのだろう。


 飄々とした表情が凍る。


 百姓あがりながら警戒していたが、これほどまでとは思っていなかったからだ。秀吉個人の能力かその絵を描いた人物なのかは家康にとってどうでも良いのだ。それが自身の陣営に居ない事こそが恐ろしいと考える。


「ま、まっこと、その通りでございましょう。この家康、気づかぬことに恥じ入る次第にございますれば、信雄殿、ここは退かれるがよろしいかと思います。信孝殿も丹羽殿と合流しながらも不手際で秀吉殿に協力できなかった‟咎“を見逃せていただいているのです。その事をご留意されれば進退の道も自ずと見えようもの、如何か?」


 これ以上、秀吉の好きにさせては拙いと家康は感じ取り、秀吉が織田家を潰せぬように駒を確保に走った。不興などいくらでも買おう。織田家の分け前争いなのだから、何も主張しない自分が断罪される謂れもないし、そもそも乞うてこの場に居るのだと居直る家康だった。


「くっ……家康殿……わ、わかった。そうしよう」

「と、咎などと……あれは猿が手柄を独り占めしよ――」

「信孝さ―-」


 少なくとも流れる読める者とそうでない者とがおり、当然、その背後に居る者の差が出てしまう。前者は信雄&家康コンビと長秀であり、後者は信孝だった。


 秀吉の堂に入った猿真似が、信孝と長秀の言葉を遮ることに成功する。


「『ほほう。信孝よ、おみゃぁは、自身の兵も統率できずに離散させた挙句、五郎左を頼った挙句に仲良く轡を並べて花見よろしく暢気に仇討ちに出かけるつもりだったのか? いつから織田の兵はそんな脆弱になった? 勝つために機を逃さぬことこそが織田の兵の強みであり、それを率先するのが織田家一門の将ではなかったか? 違うか? 五郎左よ』」


 信孝は顔を真っ赤に染めて、今にも秀吉に飛びかかりそうになっている。それを必死に抑えているのだ五郎左こと丹羽長秀なのだ。長秀も秀吉と同じ指摘をあの時にしていた。兵数を揃えるよりも先に要衝を抑え、機先制し戦う事を優先すべきだと。それを『織田家の後継者として相応しい陣容を揃えてかからねば天下の笑い者よ!』と斬って捨てたのが信孝だったのだ。


 結果は、誰もが知る通り、秀吉が自身の戦線を捨ててまで報仇雪恨だと全てをなげうって明智光秀を討ったのだ。信孝はそんな現実を知り、緘口令を敷いたが無駄であった。将兵は秀吉の行動に心を打たれたからこそ、信孝の愚行を嘲笑った。明智討伐に間に合わなかった者達は、ここぞとばかりに陰口を叩いたのは、保身もあっただろう。信孝の話が広まれば、自分達のことが隠れるだろうと言う打算。


「離せっ、長秀!! このような侮辱は我慢ならん!! 織田家総領として斬って捨ててくれるわ!!」

「なりませぬ! 信孝様。殿の――いや、秀吉殿の言い分は間違っておりませぬ。そして、この場は貴方様が自由に出来る場でもございませぬ!! 三法師様が総領であることは誰もが認めるところ! それを今、ご自身が総領などと申しては、信孝様こそ簒奪者と名指しされても誰も庇いきれませぬ!!」

「!!!!!!」


 辛うじて刀は鞘から出てきってはいない。

 立場もある。抑えるは重臣の丹羽長秀。

 だからこそ、助かっている現実がじわじわと信孝の心に入って来ると、膝立ち状態であった姿勢からずるりと崩れ落ちそうになるが、なんとか持ちこたえられたのは抑えていた長秀のお蔭だった。



「『天下は今ここに確かにある。だが、それは儂のものでも三法師のものでもないことぐらい分からぬか? 織田家の無能はいらぬ。だが、無能な織田家もまたいらぬ。それが分からぬおみゃぁらではないだろう? 心せよ』」


 その言葉が、秀吉の口から出たのか、それとも亡き信長が皆の心に届かせた声なのかは分からなかったが、すっと心に入り込んだ。


 それからは、本当に羽柴秀吉のワンマンショーだった。要所要所で柴田、池田両名が意見を入れるが、それは誰もが思っている事を反故にさせないための事であり、彼ら自身の要望ではなかった。丹羽に至っては、信孝を伴い会議を離れた為に、代わりに、家康を補佐に顔色の優れない信雄を代理に据えた。勿論、この両名が割って入れる空気などとうに無く置物同然だったんは言うまでもないだろう。


 しかし、そこは猿と言うべきか、対外的にも織田家が盤石であることを示す方策も練っており、それもきちんと盛り込まれ、後日、織田家の後継者発表の場を設けるに至り、三法師に全ての者が主従関係を結ぶに至るのであった。


 内容は以下の通り。


 ・織田信長の後継者は、三法師であること。その居城は安土城である。

 ・成人までは、信雄と信孝が後見人とし、その居城を一年ごとに行き来することとし、所領は尾張領南部、伊勢の一部に限定、織田家の基盤を死守すること。

 ・織田家筆頭家老には柴田勝家を据え、於市の方を娶ることとするが、居城は岐阜城ではなく、北ノ庄城とし北方の抑えとする。

 ・池田恒興は、山崎の合戦が先鋒における功により宿老とし、安土城の管理と湖東一円の防備に就くこととする。

 ・岐阜城は、滝川一益預かりとし、美濃、尾張北部を中心とした防備を家康殿と連携し東方への備えとする。

 ・丹羽長秀は、紀伊。大和と軸に朝廷との折衝を含めた安定を図ることとする。

 ・明智討伐の功として羽柴秀吉は、明智領をそのまま組み込み、西方への備えとすることとする。



 細かなことはもっと沢山あったが、大まかな方針はこのようであったとされる清州会議。秀吉が筆頭家老にならなかった事、後見人にならなかった事が、明智領総取りでも文句が出なかった、いや、出しにくかったのだろう。その上、信孝の失態があり、アレ以上深く追求が及べば、明智討伐に功の無かったほとんどの者達が断罪されてしまう。だが、実際には断罪されないだろうし、そうなれば対秀吉戦の開始ではあるが、それは外敵の存在があり事実上不可能だった。だからこそ、織田家を維持するために、究極的には自分達の身を守るために収まった清州会議だったのだ。





――市さん心のボヤキ


「で、いつの間にゴリさんと再婚に決まっちゃった訳? つうか、アンタ達、めっちゃ嫌がってたよね? なのにこの様? 私が起きるといっつもこんなんじゃん!? ざっけんなバカヤロー!!」


 って、こんな時に限って、主導権渡して逃げる市と馬鹿クレオは酷くない?

 輿というか籠というか、そういうんで北陸に向かってるらしいけど、寒いわ、トイレは青空だわ、腰は痛いわ、お尻も痛い。担いでいる人には御免だけどさ、めっちゃ揺れるし、酔って何回吐いたかわかんないんですけど? 酷いわ。ゲロインとかありえません事よって、もうヤメヤメ。


「もしもしー? いつごろ着きます?」

「あー、今日も野宿ですか? はい、ごめんなさい」

「ゴリさ――じゃなくて、勝家さんはどうなってます? あー、まだ話し合いがあるから尾張にいる? はいそうですか……いえいえ、別に寂しいとかじゃないですよ、はい」


 つか、ゴリさん、ゴリマッチョなど、可愛い愛称付けてもむっさいおっさんなんですよね、勝家さん。でも、もう、こうなると頼るのは、そのゴリさんしかいない訳よ!


 猿とゴリさんの二択じゃなかったの?


 どっちも嫌だけどさ、天下人になるかもしれない太閤猿さんの方が良くないですか?

 どう考えてもそうじゃない?

 いや、まあ、現時点では、織田家筆頭家老なゴリさんだから、玉の輿と言うか、住むところは寒いけどセレブですしぃーとか思わなくもない訳で。ぶっちゃけ、利ポンこと前田くんも味方だし、賤ヶ岳の戦いでお猿さんをボッコボコにしたら勝ち組確定じゃないとか思わなくもないわね。


 そもそも北陸で大人しくしていることもないよね?

 織田家内で切り崩し?じゃなくて、味方に付いてくれる感じの人をたくさん作るか、上杉さん家と仲良くするとか、バンバンやれば良くない?


 とか、思っていても、次起きた時には、まぁた二進も三進もいかない状況になっているんだろうって思うわ。絶対、市とか馬鹿クレオがしっちゃかめっちゃかにしてる気がするよ!!


 てか、色男に手を出すなら、居るかどうか分かんないけどさ、上杉さん家の直江くんとかさ、漫画で出てくるような強くてイケメンをひっかけて来いっての!!カエサルだって一頃だたんだろうって話だよ、馬鹿クレオ!!


「ふぅ……もう寝よ。見張りの皆さん、ご苦労様です。私疲れたんで寝ちゃいますね。ごめんなさいです」



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