篠山六郎の話

 こちらの料亭の庭の手入れを任されております、篠山六郎と申します。

 私が、まだ見習いのころの、古い話で申し訳ありません。

 新しく入ってきた弟子があって、仕事が終わって親方に呼ばれて酒なんぞをよばれているときに、その男の話をあれこれ聞いておりましたら、私と同じ町内で育っていたことがわかりました。

 といって、元から双方の親がそこに住んでいたわけではなく、男は近所の煙草屋に、里子としてもらわれて来た子でした。小さいころに遊んだことをかすかに覚えていますが、あるとき行方知れずになって、近所中で探し回っても見つからず、結局神隠しにあったということで片付いたように聞かされていました。

 ところが、その煙草屋が次にもらってきた里子の行方がまた知れなくなって、今度はところの親分が出張って調べましたら、この煙草屋が子どもを売り飛ばしていたことがわかりました。

 最初のうち、里親から里扶持をもらって煙草屋の夫婦もかわいがっていたようでしたが、しょせんは他人の子、里扶持が滞るようになってからはこれが邪魔になって、こっそり人買いに売り渡したということでした。二度目は最初からそのつもりで女の子を預かって高く売ったということでした。

 新しく弟子になったその男は、はじめから寡黙でしたけれど、私が、元の里親の近所に住んでいた者だと知ってから、さらに口数は少なくなったようでした。

 それでも、毎日、仕事の後片付けをして、

「まあ、飯でも喰っていけ」

 と親方が酒を振る舞ってくれてから帰る道も同じでしたから、それなりに親しくもなります。

 その男と歩いていて不思議に出合いましたのは、梅雨のまだ明けぬころだったと思います。

 空が泣き出さぬうちになんとか仕事を終えて、いつものように親方の家で夕飯を御馳走になって帰る時分に降り出しました。

 二人、親方から傘を借りて男が先に立って提灯をかざして歩いておりましたら、急に、

「道を変えよう」

 と言いました。

「どうした?」

 尋ねると、男は無言で提灯の先を目で指します。そっちを見ると、天水桶の脇に何かがうずくまっているのが、提灯の明かりに見てとれました。

 その私の背中に声をかけてきましたのが、隣に住んでいる気のいい大工で、

「どうしたんだ?」

 と聞きましたから、私も天水桶の脇にうずくまっているそれを指しました。

 大工は、提灯を持つ男の前に出て天水桶に歩み寄り、

「おい」

 と、己の傘を差しかけました。

 提灯を提げた男は、そんなことには関わりなく踵を返すと、どうしたものかと迷っております私の袖を強く引きましたから、そっちへ足を向けてしまうと、

「こんな夜更けに、若い女が雨の中で難渋しているのを知らんぷりしてほったらかしにしておくってのは、どうなんだ」

 と、振り向いた大工がいつもに似合わぬ口ぶりで私を咎めました。

 隣の大工にそう言われては私も黙って行くわけにはいきません。つかまれた袖を振り払って、しゃがんで女に話しかける大工の背後に立ちました。

 傘を差しかけながら、

「どうした? 送っていくぞ」

 声をかけた大工に、女が顔を上げました。

 その顔を見て、私は煙草屋が二度目に里子にした女の子を思い出しました。

 確か、右目の下に同じような黒子がありました。

 私がそれを女に問いかけようとした刹那、男が私の袖をつかみました。

「あ……」

 思わず声を上げながら、私はその手を振り払うことができませんでした。

 男は、遠回りして私を家に送り届けて、

「あれは禍人です」

 と言いました。

「まがびと?」

 私が問い返しましたら、

「決して関わり合ってはいけません。あれは……」

 言いさして、

「いえ」

 小さく首を振ると、激しくなった雨の中を、男は小走りに行ってしまいました。

 翌朝、親方の家にまりましたら、昨夜のうちに男は暇乞いに来たというこで、あとで男の住まいを訪ねましたら、もうどこかへ引っ越したあとでした。

 女を助けて家まで送ったという隣の大工は、さんざん私を情なしと責めましたけれども、三日ほどして鑿で己の喉を突いて死んでしまいました。

 もちろん、女の行方も知れません。

 ええ、どうもお退屈さまでした。


 篠山六郎は、ひと仕事終えて客の家を辞去するように丁寧なお辞儀をして座った。

 ぱらぱらと拍手があって、富士岡屋が口を開く前に、もう次の話し手が立ち上がっていた。

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