森六蔵の話

 へえ、……森、六蔵、と申しやす。

 源平の兄貴とは、古い馴染みで、昔は一緒に悪さもした中ですが……

 おっと、それが余計なことでしたか……

 ええと、以前、あっしが出入りしておりやした、さる商家の内儀と懇ろになってしばらくすると……

 いえ、のろけ話じゃありやせん。

 その、商家の内儀と人には言えぬ仲になって、昔の、子ども時分の友達が訪ねてまいりやした。こいつは、ちなみに、源平兄貴の知らない野郎で……

 ええ、すみません。

 ええと、そいつは根っから陰湿な奴で、子どものころから弱い者を見つけてはよくいじめておりやした。といって、犬猫に石を投げつけたり棒で叩いたりするような子どもらしいやり口ではありやせん。

 たとえば、近所の子どもが縁日で買ってかわいがっていた亀をあっしに盗ませて、それをかんかん照りの日の下に持ち出して引っくり返してておく。それですっかり乾いて亀が死んでから、そいつはその死んだ亀をまた飼い主の家の前に捨てて、飼い主が、

「誰がこんなことをしたんだ……」

 泣きながら怒るさまを背中に聞きながら、独楽回しに興じておりやした。

 目の見えない年寄りの杖をあっしに取り上げさせておいて、うろたえた年寄りの体をぐるぐる回して逃げたこともありやした。さすがにこれはまずいと思い直して、あっしは杖を年寄りに持たせましたけれど、目が見えませんから、方角がわからなくなって年寄りは何やらわめいておりやした。野郎は、何食わぬ顔でその横をゆっくりと通り過ぎて振り返りもしない。

 そのあとから、そいつと連れ立って何かするということをしなくなって、ぷっつり縁を切っておりましたんで、その後、どこでどうしているのか、などということも知らぬまま、あっしはすっかり忘れておりやした。ですから、そいつが訪ねてまいりましたおりには少なからず面喰らって用心して用件を聞いたら、

「悪い夢を見て眠れないから何とかしてほしい」

 と、殊勝な顔で申しやす。

「どんな夢だ?」

「俺が亀になって、誰かに引っくり返されるんだ」

「それは、お前がやったことだろ」

「あのときは、亀の甲羅を剥いだりはしなかった」

「甲羅を剥がされるのか?」

「ああ。転がされて首も手足も引っ込めていると、誰かが呼ぶ声がして首を出したら、こいつだこいつだと言う奴らがいる。どうやら、昔、俺がいたぶってやった連中のようだけれど、誰だか思い出せない。それでも、助けてくれと懇願したら、そいつらは一様に残忍に笑ってさんざん俺を小突き回した挙げ句、最後に俺の甲羅を剥ぎ取るんだ」

 思わず背筋が伸びて、あっしの首筋から背中一面に、得体の知らない何かがぱりぱりぱりっと広がりやした。

「剥がされたまま、また引っくり返される。引っくり返されたそこが熱い砂の上で、もう甲羅がないから熱くてしかたない。かといって、己の力で起き上がれないことに変わりない。そんな夢を、毎晩、一晩のうちに何度も見るんだ。地獄で責め苦に遭っているような…… そう、まるで夢ではないような夢だ」

 これまでの悪行の報いだと言って突き放すのはたやすいことでした。でも、何十年も音沙汰のなかった昔なじみに、夢見が悪いから助けてくれと言いに来るのも妙な話で、なんで今さらあっしを頼るのかとか問うたら、

「そうして苦しんでいる俺を、最後に砂の上から拾い上げてくれるのが、いつも、お前なんだ」

 哀願するように言いやした。

 そう言われては無下にもできやせん。あっしはあちこち伝手を頼って医者に診せたり占いに頼んだりしやした。けれども、そいつは半年ほどして頭がおかしくなって死んでしまいやした。

 そんなことも忘れておりやして、源平の兄貴から今日の怪談会に招かれてから、今度はあっしが悪い夢を毎晩見るようになりやした。

 目が見えなくなって、誰かに独楽のようにさんざん体を回された挙げ句、へとへとになって倒れる夢です。倒れたあっしに、手を差し伸べてくれるのが、決まって、懇ろになった商家の内儀でした。

 でも、その内儀は他の男との不貞が知れて、旦那に首を絞められてとっくの昔に死んでおりやす……

 はてさて、どうしたものかと、ここ数日、考えあぐねておりやした。

 でも、まあ、せっかくですから、今日は、どなたかにいい知恵を授けてもらえないかと思っておりやす。


 森六蔵は、ゆっくりと一同を見回してから、そこにしばらく立っていた。けれど、誰も何も言わない。それで、あきらめたように深々と頭を下げて森六蔵は腰を下ろした。

 拍手は起きなかった。 

 その、何とも言えない静寂を打ち払うように、富士岡屋が不意に高い笑い声を発して、

「六蔵、後で飲み直そう」

 それへ森六蔵が一瞥を投げると、隣の男がすうっと立ち上がった。

 

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