河壁誑斎の話

 河壁誑斎である。

 今夕の会合は、わしの名を麗々しく冠した怪談会となってはおるが、話を持ちかけてきたのは、富士岡屋である。

 先般、多名垣露文の詞書を添えた、わしの、かはず絵が売れに売れたが、その折、儲け損なった富士岡屋が、その穴埋めに企図した怪談会である。

 先ほどから、わしの言うことを妙な記号を用いて書き留めている若い者がそこにいるのは、いずれこの怪談会の話を本にして一儲けするためであろう。

 わしの次には、そこの若い者に話してもらうことにする。

 だから、わしが最後に登壇する必要はなく、勝手に二番手を務めることにする。

 ところで、わしがかように絵が描けるのは、もちろん叶派の画術を学び修錬した賜物ではあるが、わしぐらいの技量を持つ者なら、叶派にはいくらでもいる。わしがこのように世に持て囃されるのは、偏には発想、もっと言うなら、幽冥妖異変化妖怪を表す術に長けているからである。これを、人は才能と呼ぶかもしれぬが、さにあらず。あったとすれば、ただ面白いと感得したモノの形象を紙に写し取ろうとする執念より他はなかったように思う。

 親の言うところでは、二歳頃から絵筆を玩具にしており、これに墨を含ませて紙を与えところ、傍にいた母親の顔を描き始め、それをきっかけに、以後、紙がなければ障子にでも畳にでも目に触れるモノを描きだす。庭に出れば、鴉でも蛇でも描き散らかして、三歳になって三つ年上の兄が登っていた木から落ちた際にも、兄が握っていた木の枝の、百舌の速贄を目ざとく見つけると、泣いて痛がる兄の心配をすることもなく、また、家人を呼ぶこともせず、家の中から筆と紙を持ち出して、木の枝に突き刺さった蛙を一心に描いていたといういう。

 そんなモノばかり描いているわしに、

「描くにしてももっとまともな、たとえば、花鳥風月を描くようになれ」

 そう言って、父親は、近所に住まう絵師にわしを預けた。

 ところが、六歳になって近くの川が増水したあとの河原に転がっていた生首を見つけて密かに家に持ち帰り、それを夜中に描き写しているところを父に見咎められた。

「よりにもよって生首を拾ってくるとは何事か! どうしても描きたいなら、あったところに戻して描け!」

 物凄い剣幕で言われて、暗い夜道をわしが生首を抱えて家を出ようとしたら、親は慌ててわしを引き止めた。翌朝早く、生首を河原にもどしてわしは終日それを描いていた。

 手ほどきをしてくれていた近所の絵師も手に負えないと思ったらしく、わしは今度は叶派の師匠につくことになった。

 この師匠は、叶派の基本となる仏画の模写を徹底的に仕込んでくれた。わしも仏画が面白くなって、百舌の速贄や生首に魅かれることもなくなったが、ときおり、妙なモノがわしに近づいてくるようになった。

 十二歳のおり、家で寝ていたらわしの名を呼ぶ声に目が覚めて外を見たら、月の明るい晩で、絵筆と紙を持って声のするほうへ道を歩いていくと、九尾の狐が大きな月を背にわしを見ていた。九尾の狐とその月をわしが描き写し終えると、狐は跳んで姿を消した。

 そんな不思議を何度か描き、また、そのたびに師匠に話すと、あるとき、思いついたように、

「小さいころに河原で描いた生首はどうした」

 と問うた。

「父に手伝ってもらって、観音経に包んで川に流しました」

「近くに腕や足はなかったのか」

「いえ、生首の他は見ませんでした」

 答えたら、師匠はしばらく考えて、

「その生首はいったいどこから流れてきたのであろう……」

 とつぶやいた。

 言われてみればそのとおりで、いくら大水が出たからといっても首だけちぎれるということはあるまい。ならば、晒し首が流れてきたかというと、川上にそんな刑場はなかった。だったら、前夜に人殺しがあって誰か首を刎ねられた者でもいたのか……

 家に帰ってから、これまで描き溜めた画帳を引っ張りだして生首の絵を見たら、水に洗われた生首のざんばら髪の青白い顔の右目が潰れている。

 ああ、そうだ。描き終えたところで生首は、それまで白目をむいていた左目でわしを見てかすかに笑ったんだ……


 誑斎が、鋭利な刃物を一閃するように言い終えて座ったから、誰もが息をするのも忘れたような静寂がその場を支配した。

「おい」

 誑斎が、杯を富士岡屋の前に突き出すと、

「ああ、これは気がつきませんで……」

 言いながら、富士岡屋はそれへ酒を注ぎ込んで、

「ええ、次は……」

 言ったのへ、

「私です」

 と応じたのは、誑斎の話を書き留めていた青年だった。

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