富士岡屋の話
皆様、お揃いのようで、改めて御挨拶を申し上げます。
本夕、誑斎先生怪談会を斡旋いたしました、書肆、富士岡屋源平にございます。
ただ今、こちらにお越し下さいました人気絵師、河壁誑斎先生の、たっての御希望がありまして、この怪談会にふさわしいお話をしてくださるであろう方に、さらには、なるべく知らぬ者同士が集まるのが面白かろうということで、手前から皆様にお声をかけましたことを、まず、お断わりしておきます。
お話は斡旋をいたしました手前から始めて、時計回りに、お座りになった順にしてくだされば、滞りなく会が進められるかと存じます。主催の誑斎先生には、トリを務めていただいて、怪談会のお開きにしたいと思いますが、もちろん、酒も料理もたっぷり揃えておりますので、そちらもどうぞ御堪能ください。
さて、手前の、この、源平、と申します名前は、母方の祖父がつけてくれたもので、酒が入ると子供の手前を膝の上に乗せては、
「お前は、源氏と平氏、双方の血を受け継いでいる。ばかりか、平氏の守護があるから、お前はいずれ世に出て天下を統べる男になるぞ」
と上機嫌で申しておりました。
この祖父は、わしは清和源氏の末裔だ、とことあるごとに吹聴しておりまして、手前が、源氏と平氏が敵同士であることを学んでから、どうして敵同士の末裔が一緒になったのか、と問いましたら、そのとき、祖父は隣の部屋で縫い物をしていた祖母を窺って、こちらに気が向いていないことを確かめると、
「婆さんはな、平氏の落ち武者が暮らす村の娘だったのよ」
と秘め事を漏らすように言いました。
と申しましても、源氏が平氏の残党を追いかける時代はとっくの昔に終わっております。ですから、その村人達が、ずっと人に知られぬまま暮らしていたわけではありません。
現に、祖父が祖母の村にまいりましたのは、鰹節や干し魚を売り歩いていたからで、祖母にすっかり惚れられて一緒になったようなことを、酒の勢いで申しておりました。でも、あとから祖母に確かめたところ、惚れて口説いたのは祖父のほうだということでした。
まあ、どっちがどうでもいいようなものですが、といって、祖母が簡単にその落人の村から出ることはできなかったそうです。なにしろ、当時、祖母は人身御供にされて、その身は、村が祀る平知盛に捧げられていたからでした。
平知盛といえば、碇綱を体に巻きつけて海に飛び込むという、歌舞伎でも有名な平家の大人物です。その人身御供として一夜を明かせば、たとい何事もなかったとしても、たやすく誰かに嫁ぐことなどできません。ましてや、よそ者の祖父がさらっていけば、祟りがあると言われるのは当然です。それでも、駆け落ち同然に村から逃げたきたわけですから、そのころはもうただの爺婆に見えていても、実は深い絆で結ばれていたわけです。
けれども、手前が独り立ちしてすぐに祖母が亡くなった通夜に、
「婆さんが死んだら、知盛殿が迎えに来るそうじゃ。結局、わしは、この世で知盛殿の身代わりを果たしただけじゃったのよ。じゃから、婆さんがわしと契ってくれたのは、たったの一度だけで、そのときのことはよく覚えてておらん。ただ、その一度で、お前の母が生まれたのよ」
自嘲するように手前に白状してから、祖父が愛おしげに祖母の顔に己の頬を寄せましたのは、迎えに来る知盛にせめて抗おうとしたためだったのかもしれません。
それからしばらくして祖父も亡くなり、三十路を越えてもなかなか縁に恵まれなかった手前にも、一昨年、世話をしてくれる方があってやっと夫婦になっててくれた女は、祖母と同じ村の出で、これも知盛の人身御供になっていました。
文明開化のこの時代に莫迦な話のように思われるかもしれませんが、手前も妻と契りましたのはただの一度限りで、授かりましたのが、娘でございます。
このごろは、祖母も己の娘も、知盛の娘のように思えてしかたないという手前の話が、果たしてこの怪談会にふさわしいものかどうか、これは皆様次第でございます。
神妙な面持ちで下げた頭を上げたときには、斡旋した富士岡屋の笑顔にもどっていた。
その富士岡屋の、
「それでは……」
という言葉の終わらぬうちに、次の話し手を制して立ち上がったのは、富士岡屋の左隣に座を占めていた、河壁誑斎だった。
「次は俺だ」
と開いたその口から、乱杭歯が覗いた。
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