第32話 先回り

 西の山はルクス山と呼ばれています。

 トラバス山と似て木々のないハゲ山です。


 私はルクス山に一度だけ家族と来たことがあります。あれは2年前だったはず。

 当時の記憶はまた鮮明であるため特に道に迷うこともなく、さくさく進むことができました。


 そして今、私とリンは森を抜けてルクス山の麓にいます。


「えらい早く着いたわね」

「リン、まだこれから登るんだよ」

「そうね」


 私達はルクス山を登り始めました。

 ルクス山は緩やかな坂道なので辛くはありませんが、坂道が長く山頂へと左右にくねっているので体力がいります。


「リン、大丈夫?」


 私は後ろを振り向き、尋ねます。


「平気よ」


 声音からまだ体力があるようです。

 まあ、人間界からここまで訪れにきたのだから体力はあるのでしょう。


「本で今の人間はインドア派で体力がないって聞いたけど?」

「うん。今は本やテレビゲーム、スマホがあるから」

「てれびげえむ? すまほ?」


 聞いたことのない単語です。


「そっか、ここはテレビも電話もないんだっけ」

「よく分からないけど、そのてれびげえむとかが今、人間界で流行ってるの?」

「まあね。子供から大人まで遊んでるよ」

「へえ。……っと。ふう」


 私は坂道を上りきって一息つきます。


「ミウこそ大丈夫なの?」

「大丈夫よ」

「休憩する?」

「あとちょっとだし、平気よ」


 そして私達はまた山道を進みます。


「ねえ、チノに会ったら何て言うの?」


 私のペースが落ちているのかリンは私の隣を歩いています。


「謝罪は駄目だから……ぶつけるわ!」


 リンはぎゅっと拳を握ります。

 え? 殴るの?


「気持ちをね!」


 ああ! 気持ちでしたか。


「気持ちって、どんな?」

「チノはさ、独りではないんだよ。ちゃんとこっちの親に愛されているんだよ」


 それに対して私は何て返せばいいのか分かりません。他人の家庭事情なんておいそれと推し量れませんし。


「ここにいたのはまだ日が浅いけどさ。ひしひしと分かるんだ」

「ひしひし?」

「チノってね。家では一人称が私で外では俺なのよ」

「それ昨日も言ってたよね」

「うん。それでね。私、それをチノの親に聞いたの」


 チノの親。それはリンの本当の親ということ。本当の親を他人の親のと言うのはどうなのだろうか。

 でも私はそこに踏み込まず、黙って続きを聞きます。


「チノって元々内向的だったんだって。それで気を強くするため自分のことを俺って言い始めたんだって」

「そうだったんだ!?」

「その時ね。ああ、この人はチノのこと娘として愛しているんだって感じたの」


 リンは少し寂しそうに言いました。


「悔しかった?」


 私の問いにリンは目を見開きます。

 そして空を見上げて、


「ああ、そっか。私、悔しかったんだ。妬いていたんだ」


 私の言葉で心の奥にあった感情についての名前が分かったのでしょう。リンはリンで妬いていたということか。


「それも伝えないとね」


 リンははにかんで言いました。


  ◇ ◇ ◇


 そして私達は山の頂上広場に辿り着きました。


「ここなの?」


 リンが周りを窺って聞きます。


「うん」

「なんか物寂しいわね」


 頂上広場は茶色い地肌、岩くらいでこれといったものはありません。


「でも景色は良いわよ」


 眼下には通ってきた森やトーリの丘、私達の住むユーリヤの森、さらにその向こうには村や町が見えます。


「チノより先に着いた? それとも遅かった?」


 頂上には誰もいません。


「ちょっと確かめてみる」

「どうやって?」

「目を使うの」

「目? そういえばチノも昨日、目がどうたらって言ってたような」

「うん。私達妖精は大気中の薄いマナを見ることができるの」

「ん? でも、それだと魔法を使わないと?」

「ううん。妖精は常時微量のマナを発しているの」

「なるほど。それでマナがあれば。チノが通ったかどうか分かるんだね」


 私は頷いた。


 一呼吸して、目に力を込める。


 すると視界に薄い色のついたもやが生まれる。


「どう?」


「ここらへんにはないわ」


 妖精が体から発するマナは見られません。


「探知魔法をやってみるわ」

「そんなこともできるの?」

「一応ね」


 私はこの前、スピカお姉さんに教えもらった探知魔法を使ってみます。

 自分を中心にマナを同心円状に放ちます。そして跳ね返ったマナを感じ取ります。


「……ふう」

「どうだった?」


 私は首を振ります。


「駄目ね。遮蔽物が多いからかな? ちょっと、そこらへんを見てまわるわ」

「私はあっちを見てまわるわ」

「うん。足元には気を付けてね。崖とかもあるから」


 私とリンは別れて頂上広場を散策しました。


 頂上広場は言葉通り広く、大きい岩などの遮蔽物もあって見て回るわには大変です。


 そして端まで見て回ったのですがマナの痕跡はありません。ということはチノはまだ来ていないということでしょうか。


 一通り見て回って先程リンと別れた場所に戻ってきたのですがリンの姿がありません。まだ散策しているのでしょうか。


「リーン? おーい?」


 返事がありません。もう一度名前を呼ぼうとした時です。後ろから口を塞がれました。そして岩の後ろへと引っ張られます。


「ん! んんん!」


「ミウ、静かに」


 その声はリン!?

 びっくりした!


「ん〜んん〜」


「静かに。あれ見て!」


 リンは口に指を立てた後に、明後日の方を指差します。

 私はそちらに目を向けます。

 するとそこには魔物がいたのです。


「なんでこんな所に魔物が!?」

「分からない。急に現れたのよ」


 私達は声を抑えて話します。


 魔物はライオンに翼がついたもの。

 俗にキメラと称されるものです。


「飛んできたのかしら? ほら、あいつ翼あるし」

「それはないよ。あのタイプは飛行距離が少ないって聞くよ。それに飛ぶのは逃げる時だって」

「詳しいのね」

「本の知識よ」

「で? どうする?」

「逃げるわよ」

「どこに?」

「山を下りましょう」

「戦わないの?」

「どうやって? 武器も何も無いのに」

「魔法は?」

「生憎、攻撃魔法は習得してないわ」


 キメラはゆっくりと何かを探すようにして歩いていきます。


 私達は息を潜めてキメラの動向を注視します。


 キメラはなぜか少し動いては静止します。


 そして数分後、私達のいる所からやっと離れていきます。


「よし。今のうちに行こう」

「あのキメラ結局何だったの?」

「生態についてはよく知らないわ」


 私達は岩の影から出て山を下りようとします。

 そこでキメラが向かった先から悲鳴が聞こえました。

 私とリンは一度顔を合わせて、それから悲鳴の方へ向かいました。


 キメラと相対していたのはチノでした。チノはリンの槍を持ち、刃先をキメラに向けています。


「チノ!」


 リンが叫びました。


 キメラがリンに向いてしまい、


「シャアアア!」


 吠えてから、こちらに進んできました。


「キャアァ!」

「馬鹿!」


 チノはキメラの尻に槍を刺そうとしますが尻尾で槍を弾かれてしまいます。


「グアッ!」


 どうしましょうか。

 非常にピンチです。


 私は攻撃魔法なんて使えません。せいぜい光魔法で目眩しくらいでしょうけど、この距離では魔法を使う前にやられちゃいます。


 万事休す。その言葉が頭に浮かびました。


 しかし、不思議なことにキメラは私達に攻撃するわけでもなく去って行きました。


「え!?」

「あ、あれ? た、助かったの?」

「……そうみたい」


 キメラは東の方角へと去って行きました。


「あっ、チノ、大丈夫?」

「……ああ」


 チノは弾かれた槍を拾いながら言います。


「お前らこんなところで何してんだよ?」

「何ってあんたを探しにきたのよ」


 私の隣でリンもそうだと頷きます。


「止めに……きたのか?」

「そうよ。人間界に行くなんてやめなさいよ」

「やだよ。本当の親に会うんだ」

「無理よ。人間界へ通じる穴まで沢山の魔物がいるんだよ」

「これで倒せばいいだろ。リンだってそれでここまで来れたんだ」


 チノは槍で地面を叩きます。


「とか言ってさっきのキメラだって倒せなかったじゃない」

「でも逃げただろ?」

「逃げたっていうか、運良くどっか行っただけでしょ」

「そうだよ。やめなよ」


 リンも人間界に行くことをやめるように言います。


「うるさい!」


 チノはリンに向け、声を荒げます。

 しかし、リンは負けません。


「絶対駄目だから!」


 リンは一歩前へ出ます。

 それをチノは睨みます。


「皆、心配しているんだよ。大人達は皆、色々な所に行って探し回っているんだよ。お母さん泣いてたよ。私のせいだって責めてたよ」

「そ、それでも……」


 リンの言葉にチノは揺らいでいます。


「駄目!」


 チノが何か言おうとするもリンが阻みます。


「本当の親に会いに行きたいなら大人達と一緒に行かなきゃ。子供だけでは駄目!」


 リンは両手を広げて通せんぼします。


「どけよ!」


 チノが大声を出しますが、リンはそれより大きく声を出します。


「嫌よ!」


 チノは槍の刃先をリンに向けます。

 それでもリンは怯まずに、


「私はここまで頼れる人がいなかったから。だから独りで妖精界に来たの。でもチノは違うでしょ? 心配してくれている人がいるでしょ?」

「何が心配だ! は人間なんだ!」


 チノがリンの魔法の腕輪を使い周囲に電撃を走らせます。

 それでもリンは怖れずに、


「違う! チノは妖精よ。誰が何と言おうとも妖精よ。そして私の本当の親の子供よ」


 そう言ってリンは一歩前に出ます。


「……子供」

「そうよ。あなたは妖精の子。そして私は人間の子よ」


 少しずつリンはチノに近付きます。


「違う。は……人間の……子」


 リンが少し俯きます。


「チノは本当にそう思ってるの? それでどうするの? 人間界に行って人間として暮らすの?」


 私は聞きました。


「そうだ!」

「駄目よ」

「どうしてだよ?」

「私が嫌なの!」


 私の言葉にチノはびくんと体を反応させました。


「人間界にいる親は私の親よ。血は繋がってなくても。私は人間界に戻るわ」


 それはチノに言い聞かせるというより自分に言い聞かせているみたいだ。

 チノの悩みはリンの悩みでもある。チノとリンは同じ悩みをが抱えているのだから。


「ねえ、戻ろう? 私もこんなの嫌だよ」


 私はなるべく優しく諭します。

 しかし、


「やめろ!」


 そこで私とチノとの間に雷が落ちます。


「チノ、やめてよ!」

「違う。私じゃない」


 チノも驚いています。ということはチノではない? なら一体?


「ミウ、空を見て! 天気がおかしいわ」


 リンに言われて空を見上げると晴れ空だった空が曇り空になっています。

 そして地上に影を落としています。


「山の天気って変わりやすいって聞くけど……」

「まさか。こんなに変わるわけないわ」


 雲が短時間で増えたり、急に灰色になるわけありません。


「でも妖精界だし」

「おい! あそこだけ変じゃないか?」


 チノが指差す方に妙に黒い線があります。

 黒い線は徐々に太くなります。

 いえ、違います。近付いているのです。それで太くなっているように見えたのです。

 さらにそれは線ではなく人型だったのです。


「何あれ?」


 リンが誰ともなしに聞きます。


「知らねえよ」


 確か……あのシルエットは!?

 本で見たことがあります。で、ですが本物なの?

 それがどうしてここに?


「……ドゥムージ」

「ミウ! 知ってるのか?」

「魔人よ!」


 魔人ドゥムージ。魔界や魔境に住む人型の魔物で魔法を使うやっかいな存在。討伐技術のある大人でも太刀打ちできないとされる。


「どうして魔人がここにいるんだよ」

「知らないわよ」

「ねえ、こっちに近付いてきてない?」


 リンが怯えた声を出します。


「逃げよう!」


 私達は一斉に走ります。


 しかし、ドゥムージは右腕を上げて下へと動かします。それによって雲から太い雷が私達のいる山の頂上へと落ちます。


 太い雷撃は山の頂上に

 雷撃の音か、山が割れた音かそれとも両方か。とにかく大きな音が私達の体を震えさせます。

 山の頂上は割れて崩れていきます。


『きゃあーーー!』


 足場を潰された私達は山の麓へと落下しました。

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