第30話 慟哭
今日は久々の青空教室です。遠足の後、魔物の襲来、そしてリンのこともありずっとお休みだったのです。
私は心を弾ませて階段を下ります。
しかし、キッチンで母から、
「あ、忘れたけど今日の青空教室は休みだから」
と告げられました。
「もう! そういうのは前もって言ってよ」
「聞いたのは昨日の集会の時よ。明日も休みだって。急よね〜」
と言って母は朝食の準備をする。
◇ ◇ ◇
昼食の後、私は散歩に出かけた。
森の中を歩いていると印岩の前に女の子がしょんぼりと座っていました。
「リン?」
「ミウ!」
リンが顔を綻ばせながら歩み寄ります。
「良かった。良かった〜」
そして私の両腕を掴みピョンピョン跳びます。
「ど、どうした?」
「実は迷子になって」
「迷子!?」
◇ ◇ ◇
「……なるほどね」
どうやらリンは散歩に出かけたら迷子になったということらしい。
「だってどこを見て木々なんだもん」
「よくそれで人間界から親に会いに来れたわね」
「あれはコンパスがあったからだし」
「コンパスだけって方角しか分からないじゃない!?」
「東にユーリヤの森があるっての分かってたから。だからコンパスと来た道をメモっておけば迷わないって」
リンは途中から尻込みしながら言います。
「それで今までどうしてたの?」
リンがユーリヤの森に来てから十日は経っています。
その間、ユーリヤの森は
しかも何度も。
そのせいで青空教室も休みだったのです。
今日になってやっと再開と思ったら、また休みです。
「色んなお医者さんに診てもらって、それからお偉いさんにあれこれ質問されたのよ。何度も」
嫌なことだったのでしょうか。リンは溜息を吐いた。
「で、やっと自由に外出が許可されたわけ」
「そして迷子になったと」
「うっ!」
リンは痛いとこを突かれて目線を逸らします。
「チノに案内してもらわなかったの?」
「頼んだけど断れちゃった」
「仲は悪いの?」
その質問にリンは眉を寄せます。
「悪くは……ないけど。良くも……ないのかな?」
そりゃあ、いきなり本当の親に育てられた人が来てんだもんね。戸惑ってもおかしくないかな。
「こんなとこにいたのか?」
別の声が聞こえ私達は顔を声の方に向けました。
そこにいたのはチノでした。
チノはぶすっとした表情で近くにいました。
「母さんが探したぜ」
「ごめん。迷っちゃって」
「まったく。うろうろするなよ」
ふんっとチノはそっぽを向きます。
「ねえチノ、森を案内してあげたら?」
と私は提案します。
「何でだよ!」
チノは嫌そうな顔します。
「またリンが迷子になっちゃうよ」
「う!」
「ね、案内してあげなよ」
そして次第に2人は仲良くなるでしょう。
「待った!」
その場を離れようとする私をチノが止めます。
「ん?」
「お前も案内しろ」
「私も!」
「前に森をカエデに案内してただろ」
「え、あの時は……」
でもあれは歓迎会も兼ねてのことで。
「私からもお願い」
リンからも頼まれました。
「まあ、今日は暇だからいいけど」
「やったー!」
◇ ◇ ◇
「これは印岩。今、自分がどこにいるのかとか、どの方角に進めば広場に着くのかを確かめる岩」
私は森を案内する前に印岩についてリンに教えることにしました。
「これだとあっちにあるってことね」
リンは印岩の矢印を見て、広場のある方角を指しました。
「そうだよ」
「このマークは?」
「数字だよ。8って意味なの」
「やっぱり人間界と妖精界って文字とか違うの?」
「うん。言葉と一部記号は同じだけど、文字や数字は違うんだって」
「へえ、不思議」
「もういいか?」
チノはどこか退屈そうに聞きます。
「じゃあ、次行こっか?」
「待って。数字って結局どういう意味?」
その問いにはチノが答えます。
「広場から8番目に近いってこと」
「チノ、それちょっと違う。ええとね。広場を中心とした同心円状の距離から8番目ってこと」
「同じだろ」
「違うわよ」
リンは理解してくれたようで、
「つまり他にも8の印岩があるってことかな?」
「そう!」
「ふん。ほら、次行くぞ」
チノはそう言って歩き始めました。
◇ ◇ ◇
印岩の次に案内した場所は沢でした。石や岩場の多い岸に挟まれて沢が流れています。
「川?」
と聞くリンにチノは、「沢だ」とすぐ返します。
リンはここに何があるのという顔をします。
でも私にはどうしてチノが沢を案内したのか分かります。
「沢を
「なるほど滝ね」
チノは岸辺を歩き、沢を上り始めます。
リンはチノが滝へと案内していると思ってそうですがそうではありません。
歩き進めると岸が広い所に入りました。
ここはよく私や森の人たちが利用する場所です。
座るのにちょうど良い高さの岩や、シートを広げるほどの広い岸辺があります。
「そこ、看板あるだろ」
チノが指差す方に木製の看板があります。矢印と文字が書かれています。
「何て書いてあるの?」
この世界の字が読めないリンが尋ねます。
「ユーリヤの森」
「つまりここをまっすぐ進むとユーリヤの森に着くんだね?」
看板の指す道を見てリンが聞きます。
「それだけでなく広場に進める」
「なるほど。ここを案内したのは迷ったらここにってことね」
「そうだ」
「そっちの看板は?」
沢を隔てた向こうにもう一つ看板があります。
リンはその看板を指差して聞きます。
「トーリの丘」
「鳥の丘?」
「鳥でなくてトーリ。まあ丘というよりか、でかい草原広場だ」
「へえ」
「子供達の遊び場よ」
と私は補足します。
「普段は皆、そこで遊んでるの?」
「まあね」
「それでどっち行くの? 滝? それともトーリの丘?」
私はちらりとチノの顔色を伺います。
チノは唇を結び目線を下にしています。
トーリの丘に進むと子供達が沢山います。向かえば好奇の目で見られるでしょう。
なら今は避けた方が良いのでしょうか?
「滝に行こっか?」
「いや、トーリの丘の方が良いだろ」
チノが嫌そうだけどトーリの丘を選びます。
「いいの?」
「問題ない」
「私は別に滝でもいいよ」
リンも察したのか滝でも構わないと言います。
「迷子にならないためにもトーリの丘の方が良いだろ」
「まあ、そうだけど」
沢で踏み台のような平な石があるところがあります。
私達はその石を踏みながら沢を渡ります。
チノが一番手で次にリン、そして私が続きます。
「リンの靴って人間界のものだよね」
「うん」
「変わった靴だね」
「これはスニーカーって言うの」
「服はこっちと似ているわね」
「服はチノのだよ」
「え!? そうなの?」
私はチノに顔を向けます。
リンが今着ている服は肩にフリルのあるピンク色のワンピースです。
「なんだよ」
チノは文句あるのかという視線を送ってきます。
「こういう服着ているの見たことなかったから」
「外行きの服じゃないからだろ」
どう見ても普通に外行きの服なんだけど。
「家ではこの服なんだ。なんか意外」
「ふふ、知ってる? チノって家では主語が『私』なんだよ」
リンがこっそりを装って教えてきますがチノに聞こえています。
「うるさい」
主語が違う。それは私との約束を守ってるってことでしょうか。
「チノももっと家にいる時のように女の子っぽくすればいいのに」
「うるさい! 行くぞ!」
と言ってチノは歩き始めました。
「ねえねえ、皆は風景とか覚えているから迷子にならないの?」
リンが歩きながら聞きます。
「違う。迷子になるのは外から来たやつか目が育ってない赤子くらいだ」
「? どういうこと?」
「私達はマナを見ることができるの。だから人から発する微弱なマナから人がどこを通ったかを知ることができるの」
「便利ねそれ。私もできる?」
「さあ?」
「今度教えてよ」
「駄目だよ。覚えたら帰れなくなっちゃうよ」
「え!?」
驚いたのはリンではなくチノだった。立ち止まって後ろへと振り返る。
「あまり妖精界のことや魔法が使えるようになると大人達が人間界に帰せなくするって……」
「そっか。残念」
リンは残念そうに肩を竦める。
◇ ◇ ◇
そして私達はトーリの丘に着きました。
青空教室がなかったせいか沢山の子供達が様々な遊戯で遊んでいます。
「ひっろーい」
リンが腕を広げて声を出しました。
「バカ、声でかい!」
「エヘヘ」
声がでかいと言ってもここからだと誰にも気付けないでしょう。
現に誰もこちらに近付いてはきません。
「じゃあ次行くか。次は滝だっけ?」
「えーもう少し見て回ろうよ。あの木のとこまで」
リンが指差している木は丘の中心にある大木です。
「お前、今、有名人なんだぞ」
「あそこから丘全体を見てみたい」
大木のある所は他よりも盛り上がっているので見渡すことができます。
「避けて通れば大丈夫かな?」
「ま。あそこは人が少なそうだし問題ないか」
「よし。行こう」
リンは右腕を上げ、大木へと向かう。
「はしゃぐなよ。バレたら面倒なんだから」
チノは溜息を混ざりに言います。
私達は遠回りして大木へと向かいます。
これなら他の子供達からは私達は小さく見えて、誰か分からないでしょう。
「ほおーすっごーい」
リンが手でひさしを作って言います。
目の前には草原が奥までずっと広がっています。
「まさに大自然だね」
「今更かよ」
チノが苦笑して突っ込みます。
「ねえ、あそこもユーリヤの森?」
私達が来たところから奥まで森が続いています。
「違うよ。あそこは別の森。さっきの沢で看板があったでしょ?」
リンがうんと頷きます。
「あの沢が境界線かな」
「じゃあ、違う名前の森なんだ」
「名前はないわ」
「じゃあ、あの森は?」
リンが西の森を指して聞きます。
「あそこはオルヴァの森」
「へえ。あ!」
「どうしたの?」
「あの山、見たことある」
ナフネの森の奥にある山を指してリンは言いました。
「トラバス山じゃないよ」
「うん。わかってる。でもあの山知ってる」
私がどうしてと聞こうとした時です。
「なあ、もういいか?」
チノが近付いてきて聞きます。
「うん。いいよ。次、行こう。滝だっけ?」
◇ ◇ ◇
『あ!』
先程と同じ出入り口付近にて私達はある子供達のグループに会いました。
それは普段チノと遊んでいる子供達です。
「こんにちは」
挨拶だけして去ろうとしたのですが、1人の子が前に出て、
「人間界から来たイチノセリンだろ?」
「そうだけど」
子供達の中で驚きの波が生まれます。
そして小さい子が目を輝かせて前に出てきました。
「人間界ってどんなとこ?」
「え?」
他にも男の子達がリンに寄り、
「人間の食べ物ってどんなの?」
「遠い人と喋ったり、見ることができるの?」
「空を飛べれるの?」
と、あれこれと人間界のことを質問する。
「ちょっと待って」
リンは狼狽えます。
私は助けの視線を感じて間に入ります。
「皆待って。質問は一人一つでお願いね」
「人間の食べ物って何?」
「こことそんなに変わらないわ」
「お湯一つで出来るって本当?」
質問は一人一つなのに詳細聞くためか、その子はまた質問を繰り出します。
「インスタントね。お湯だけで出来るわ。他にも冷凍食品もあるわ」
「レイトウ?」
「電子レンジ……つまり温めるだけで出来るの」
「へえー」
次に別の子が手を挙げて質問する。
「遠い人と会話できるの?」
「電話ね。ええ。可能だよ。テレビ電話もあるわ」
「テレビ電話?」
「相手の顔が見れるの」
「何それ!?」
「魔法みたい」
「すごい!」
子供達がざわめきます。私もテレビ電話には驚きました。
「もういいか?」
ぴしゃりと空気を変える冷たい声に皆は振り向きます。
「俺達、案内中なんだよ」
「なんだよ。案内って」
「お前だけリンを独り占めかよ」
子供達から不満の声が発せられます。
「うるさい! 行くぞ!」
チノはリンと子供達の間に割って入ってリンの手を取る。そしてリンを引っ張るようにして歩き始める。
「ちょっと痛い。引っ張らないでよ」
「おい! 痛がってるだろ!」
男の子がチノの前に出ます。
「うるさい!」
チノが男の子を押します。
「何すんだよ」
男の子は怒り、チノを押し返します。
「ちょっとケンカは駄目よ」
私は二人の間に入って仲裁します。
チノが相手の子を睨みながら前に出ようとします。それを私とリンが強く抑えます。相手の子は他の子供達に抑えられています。
「チノ、行こ」
私はチノとリンを連れて急いでその場から離れます。
そして私達は沢を上がり滝へと向かいます。
その間チノはずっと口を結んでいます。
私とリンも黙って足を動かします。
沢を上がりきって滝壺へと辿り着きました。
気温が涼しくなります。
本当ならリンは滝を見て驚くのでしょうけど雰囲気がそれを押し留めます。
ただじっと滝を見続けます。
しばらくしてチノが、
「もういいか?」
と滝に目を向けたまま聞きます。言葉に元気がありません。
「……うん」
リンは小さく答えます。
でもチノは動かず滝を見て続けています。
いえ、見ているだけで違うものを見ています。
「……チノ……迷惑だった?」
「迷惑」
冷たく鋭い言葉がチノの口から出ます。
「……迷惑だよ」
次は弱々しく悲しい言葉が発せられる。
「ごめん」
「謝るな!」
張り詰めた空気を叩くような言葉が私やリンの心を掴みます。
直接言われたリンは私よりもショックは強かったのでしょう。胸を押さえて沈痛な面持ちで俯いています。
「お前が来たせいで何もかもめちゃくちゃだ!」
リンの肩がビクンと震えます。
「チノ……もう……」
私は何とか止めようとしますが、
「何だよチェンジリングって。何だよ本当の親って。何だよ人間って。お前が来たから
溜まっていたのでしょう。怒りの感情が混じった言葉が吐き出されます。
そしてチノの目から涙が溢れてきます。
「ごめん」
リンが声を震わせて謝ります。
「謝るなよ。謝るなよ。謝るなよ」
チノはそんなリンに言葉を叩きつけます。
それからチノは涙を流して、最後にキッと目を鋭くさせて走り去りました。
しばらくしてリンが両手で顔を覆い泣きました。
◇ ◇ ◇
「大丈夫?」
リンが泣き止んで私は優しく尋ねました。
大丈夫なわけないのにどうしてこういう時、大丈夫なんて言葉しか出てこないのでしょうか。
それとも気にするなでしょうか。ですが私が勝手にそんなことを決めつけて良いのでしょうか。
「……大丈夫」
私達は何も言わず帰ることにしました。
リンは帰り道が分からないので私はチノの家まで送り届けました。
「じゃあね」
「ありがとう。ミウ」
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