第26話 遠足③

 猪型の魔物は口から青い血と息を放ち、ゆっくりとこちらへと向かってきます。


「どうするよ?」


 チノが私に聞きます。


「チノとカエデは逃げて! 崖に沿って行けばもしかしたら山道を見つけられるわ」

「馬鹿! お前はどうするんだよ」

「時間を稼ぐわ」

「相手は大型の魔物だぞ」

「手負いだし、なんとかなるかも。それにリンの持つ槍とブレスレットがあればなんとかなるよ」

「あはは。あんまり私に期待しないでよ」


 リンは槍を構えて言います。その槍を持つ手にはじっとりと緊張の汗が。


「すぐ助けを呼ぶからな」

「頼むわ」


 チノは崖に沿って、森へと消えました。

 私は右へ、リンが左へ移動します。


「こっちよ!」

「鬼さんこちら!」


  ◇ ◇ ◇


 魔物が私へとゆっくり向かってきます。相手は右目が潰れているのでリンには気付いてないようです。


「グルルル!」


 魔物は呻きながら前進します。

 逆に私は少しずつ後退します。


 魔物はリンには気付いていないのでしょうか。リンは魔物の背後にゆっくり近付いていきます。

 私は手の平に水魔法で水の玉を作ります。


「さあ、こっちよ」


 魔物が立ち止まり、右前足で土を掻きます。それは突進への事前動作なのでしょうか。

 私はリンへ顎を引いて合図を送ります。


「やあ!」


 リンがお腹に槍を突き刺しました。そしてこのまま先程の狼型の魔物と同じ様に内から火の魔法で相手を焼き付くそうとするのですが、


「ギィアアア!」


 魔物は前足を上げて体を大きく振りました。そのせいでリンが飛ばされ、地面にバウンドして転がりました。


「グルルルゥ!」


 魔物はリンへと怒りの矛を向け歩きます。槍は突き刺さったままです。歩く度に青い血が流れているのに魔物は動きます。


「危ない!」


 私は水の玉を飛ばします 。

 小さい玉ですが魔物の深い傷に当たります。


「ビィッギャアアア!」


 効果はかなりあったらしく、魔物は泣き叫びます。


 それもそうでしょう。私が放ったのは、ただの水ではないのです。マナの込められた水です。魔物にはマナは毒なのです。それを傷口に当てられたらたまったものではないでしょう。私達でいうところの傷にカラシです。


 そしてやはり相手の注意がまた私になりました。


「やば!」


 しかも魔物は歩くのでなく突進してきたのです。

 私は光魔法を相手の左目に投げます。


 魔物は右目が潰されているので左目に強い光を当てられると魔物は私を見失います。


 私はすぐに木陰に隠れます。

 リンの方を窺うと、リンもまた私と同じ様に木陰に隠れています。


 吹き飛ばされて心配だったのですが無事のようです。


 猪型の魔物は鼻を使い匂いで私達を探します。


 ど、ど、どうしましょう?


 このまま隠れてもいつかは見つかります。動くべきか、それとも助けが来るのを待つべきか。


 魔物が近くを通ります。

 私は木に隠れつつ背後に回ろうとします。


 パキッ。

 …………。


 木の枝を踏んでしまいました。

 魔物がぐるりとこちらを向きます。そして、


「ギィアアア!」


 魔物は吠えて、体当たりをします。


「きゃあああ!」


 運よく魔物の体は木にぶつかり、私に当たることはありませんでした。


 木にぶつかった魔物は鼻をならし、もう一度突進しようと右前足で土を掻きます。

 私は魔物に背を向け、走ります。


「いやあぁぁぁ!」

「ギィッシャアアア!」


 魔物は私に向け突進してきます。


「くらえ!」


 雷撃が魔物にぶつかります。


「ビィギャアアア!」


 魔物が膝を地面に着き、動きが止まります。

 そこへすかさずリンが魔物へ駆け寄り、槍を掴みます。そして魔法を発動させ、体の内から火で焼き殺そうとします。


「いっけえ!」

「ギャアアア!」


 魔物もなんとか振りほどこうと体を揺らします。


「ぐ、……わ!」


 私もリンの下へ駆けつけ、一緒に槍を掴みます。

 リンと目配せして頷きます。


『いっけえ!』


 私達はマナを注ぎ、槍の穂先から火を放って魔物の体を内から燃やします。


「ブッギャアアアアアア!」


 大きな雄叫びを上げて魔物は横に倒れます。

 魔物が横になった反動で私とリンは倒れます。


 そして立ち上がり、


『やったー!』


 私達は抱き合い喜びます。


「あっ!」

「え?」


 リンが力なく私へともたれてきます。


「ちょっ、ちょっと、どうしたの?」

「ごめん。なんか力が抜けていく」

「大丈夫なの?」


 もしかしてカエデと同じでマナがなくなったので体調が崩れたのでしょうか。


「おーい!」


 遠くからチノの声が聞こえます。


「ミウちゃーん」


 この声はクレア先生です。


 私も聞こえてくる声の方に、「おーい!」と声を上げて無意識に手を振ります。見えないのに手を振っても意味はないのですが、私は急いで見つけてほしくて手を振ります。


 チノの呼ぶ声が大きくなり、私の視界にチノと先生達が現れます。


「おーい!」


 声を大きく上げます。


 すると向こうの、「いた!」という声が聞こえます。


 助かった。


 そう思うと私は膝を地面に着きました。


 あれ? どうしてでしょうか? 立ち上がろうにも力が入りません。

 それに急に体に震えてきます。


 次に目が潤み始めます。

 喉が苦しくなります。

 声が上手く出せません。

 恐怖が心を締め付けます。


「……あっ、……ああ」


 涙がこぼれます。


 どうして?

 どうして私は泣いているの?


 違います。疑問なんて分かっていることです。

 なぜなら。そう。


 だって、だって、だって、怖かったんだもん。

 怖かったんだもん!


「あああああああ!」

「ミウ、大丈夫か!?」

「ミウちゃん、どこか怪我したの?」


 私は答えることができず泣き続けます。


 私、頑張ったんだよ。


 魔物を二人で倒したんだよ。


 しかし、伝えたい言葉は感情でかき消されます。


  ◇ ◇ ◇


 私とチノ、カエデ、リンはクレア先生を含む大人達に保護されてトラバス山自然公園内の医務室に送られました。


 カエデは奥のベッドで治療を受けています。

 私とチノは少しのかすり傷と打ち身です。


 リンはベッドで寝ています。

 お医者さん曰く障気と疲労によるものとのこと。


「それでこの子は?」


 クレア先生がベッドで眠るリンについて私達に尋ねます。


「イチノセリンという名前らしいです」

「イチノセ?」


 クレア先生が怪訝な顔をします。


「う、ううん!」


 リンが目を覚ましたようです。


「リン、大丈夫?」

「……うん。ここは?」


 リンは辺りを見渡して聞きます。


「トラバス山自然公園の医療室だよ」

「トラ、バス? ええと助かったってことだよね?」

「うん。あの後で先生たちに保護されたんだよ」

「先生?」


 リンはクレア先生に目を配ります。


「どうも。私はクレア。村で青空教室の先生を務めているの。あなたはどこから来たの?」

「日本です」

「ニホン?」

「人間界です」

『!』


 皆が目を点にして驚きます。


「え? 嘘だろ?」


 チノが聞きます。


「本当だよ。私は生まれてすぐチェンジリングされて人間の親に育てられたの」


 チェンジリング?

 人間の親に育てられた?


「ここへは本当の親を探しに来たの?」

「お、親を……ですか?」


 クレア先生は尋ねます。


「うん。ユーリヤの森に暮らしているらしいの。父の名前はダグラス・ブラッドベリ、母はアマンダ・ブラッドベリっていうの。そうだ! このブレスレットが証拠よ」


 リンはブレスレットを向けて言います。


 ブラッドベリ。それって……まさか。


 私はおそるおそるチノを見ます。

 チノは目を開き驚いています。


「それ俺の父ちゃんと母ちゃんの名前だ」


 その言葉にリンは驚き、


「それじゃあ、あなたが私と取り替えられた人間の子?」

「に、人間の子?」


 チノは自身を指差し、尋ねます。指はわなわなと震えています。


「うん」

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