第14話 チノ②

「にさんが、にさんが……ええと2×3は……7!」

「6よ!」

「え、あ! ほんとだ」


 チノは部屋のかけ算表を見て、間違いに気付きました。


 今、私はチノの家にいます。チノが宿題が出来ないということで手伝いにきたのです。


 宿題は終わらせたのですが、どうもかけ算がよろしくないというわけで、かけ算を教えているのです。


 しかし、今だに2の段です。昨日今日にかけ算を教わったわけでもないのに。

 私なんてこの前に9の段を覚えたとこです。


「2の段は1つ上がる度に2増えるの。それを踏まえてもう一度。指を使っていいから」

「にいちが2。ににんが4。にさんが7」

「6! わざとなの? わざとなの?」

「ごめんごめん。2ずつ上がるんだよな。にしが……」


 指2本上げ、


「8。にご10。にろく2」

「12! なんで減るの!?」

「いやあ、指を見てたらつい」


 そしてその後、指を使いつつもチノは見事2の段を言えたのです。


「よーし、次は3の段だ」


 と言い、チノは指を使いながら3の段を読み始めます。


「3はめっちゃ指を使うな」

「……」


 大変なことに気付きました。

 指を使っての行為は段が上がれ上がるほど使う指が多くなるということに。


「チノ!」

「何?」


 3の段を読んでいたのを中断させます。


「やっぱり、かけ算表を見ながら覚えよう」


  ◇ ◇ ◇


「……さんく27、さんじゅうが30!」

「やったね。チノ」


 あれから何度も練習し、チノは3の段をかけ算表を見ずに言えるようになりました。


 ……まだ3の段ですけど。


 9の段が言えるようになるまでどれだけかかるやら。


「じゃあ今日はこれくらいにしよう」

「だな。菓子持ってくるから待ってろ」


 チノはそう言って部屋を出ます。

 改めてチノの部屋を伺うと意外と女の子っぽい部屋です。


 赤やピンクが多く、ぬいぐるみもベッドや棚の上、部屋の隅に置かれています。もしかしたら私の部屋より女の子っぽいのでは?


「どうした?」


 チノがジュースとクッキーを載せたお盆を持って戻ってきました。


「えっと、ぬいぐるみが多いなって」

「そうか?」


 チノはジュースとクッキーをテーブルの上に置きます。


「ありがとう。……結構ファンシーなのが好きなのね」


 デフォルメされた大きな人形を見て私は言いました。元の動物に羽やら角やらが足されたものから元の動物が何なのかわからないものまでいます。


「まあそこそこな」


 チノは近くのまん丸い猫のぬいぐるみを取り、


「これモンスターなんだぜ」

「モンスター!?」


 モンスターと言えば危険で恐ろしいもの。親からはもし出会ったら逃げるようにと言われています。いくつか絵を見たこともありますが禍禍しいものでした。


 どうしてこんなに可愛らしいものに?


「モンスターといっても人間が造り上げた創作のモンスターだ」

「ああ! 漫画とかゲームの?」


 私は見たことはありませんが人間の漫画やゲームにはモンスターがよく出てくるそうです。そしてそれら漫画やゲームは検閲が厳しいらしいです。

 そういえば私が図書館で借りた本にもモンスターは出てきました。


「キジネコ太郎って言うんだ。かっこかわいいだろ」

「まあ、かわいいね」


 かっこいいかは不明だが。


「他のもそういうのなの?」

「たぶんな。名前が判ってるのは少ないんだ」


 へへへとチノはキジネコ太郎を撫でつつ笑います。


「意外。チノにも女の子らしい一面があるんだね」

「あん!? なんだよそれ。お前もカエデみたいに俺が男って言いたいのか?」


 チノが唇を尖らせて半眼で睨み付けてきます。


「違う違う。怒らせたらごめん。あんたが女の子ってのは知ってるって。私はあんたがいつも男の子と遊んでいるから、こういうのには興味ないのかなと思ってたから」

「あるに決まってるし」

「でもあんた、一人称が『俺』だよ。男の子っぽいよ。『私』にしないの?」


 チノは顔を背け、腕を組みます。


「でも今さらなあ……」


 どうやらチノも一人称については前から考えていたらしい。


「大丈夫よ」

「考えておく」

「せめて私達といるときくらいは『私』って使えば?」

「う~ん」


 しばらくチノは目を瞑り悩みます。私はその間、ジュースを飲みます。


「よし!」

「んっ! ゲホッ!」


 チノが大声を上げるので、むせてしまいました。


「練習だ!」

「れ、練習?」

「ああ! 『私』を使うためのな。ちょっと付き合ってくれよ」

「えっ、ああ、うん」

「じゃあ、何か話してくれ」


 つまり会話中に『私』と使うってことかな?


「ん~」


 ……話題、……話題か。

 棚に目を向けると児童書や小説が。


「本とか読むんだね。どんな物語が好きなの?」

「おう。ファンタジーものだな」

「…………そこは『私、ファンタジーが好きなの』でしょ」

「ああ、そっかそっか。私、ファンタジーが好きなのー」


 チノがぶりっ子っぽく喋ります。

 女の子にどんなイメージを持ってるのかしら。


「普通に喋りなよ。『俺』から『私』に変えるだけだから。それ意外は今まで通りでいいから」


  ◇ ◇ ◇


「お……」


 キッ!


「わ、私も魚料理より肉料理の方が好きだ」

「何肉が好き?」

「牛だな」

「牛肉料理で何が好き?」

「私はハンバーグ」


 今更な会話ですがこれはチノに『私』を使わせるための練習なのです。


 時折『俺』になるけど、まあ一日そこらで口調が変わるわけもないので、


「…………まあ、今日はこんなものかな。これからもなるべく『私』を使うようにね」

「おう。……でも急に『私』って使うのもなあ。変に思われねえか?」

「そうね。今度、調理実習があるけどその時にもし女の子だけのグループだったら『私』を使えば? 女の子同士ならおかしくもないでしょ?」

「でも、お……私が急に『私』って言うとさ……」

「大丈夫よ。チノは女の子なんだから」


  ◇ ◇ ◇


 夕方になり私は帰ることにしました。


「じゃあなー」


 窓からチノが手を振って別れの言葉を言います。


「じゃあねー」


 返しに私も手を振って応えます。

 そして私は帰路へと足を向けます。


 チノの家に来たのは初めてですが、帰り道は一本道なので迷うことはありません。この帰り道は森の広場に通じています。家には必ず広場に着ける道があるのです。


 歩き進めると道は何本もの道と重なります。別れ道には矢印付きの案内板があり、それには広場への道を指しています。これはユーリヤの森に来た人たちのためのもので、森に住む私達は広場の方角が分かっているので特に気には止めません。


 広場は西にあり、低地ですので自分が森のどこにいるのかだいたいが分かっているなら問題はありません。どうしても迷ってしまったなら印岩で把握します。


 そして私は広場に着いて自分の家に続く道を進みます。

 その頃には空はすっかりリンゴのように赤色です。こんなに赤い夕空は久しぶりです。


 しかし、家に着いたころには暗くなっているかもしれません。

 母には暗くなる前にと言われていたので少し早足で帰ります。


 知った帰り道でも今日は不思議といつもと違う感じがします。それは夕空のせいでしょうか。木々が黄色に染まっています。空は赤いのにどうして光は黄色いのでしょうか。


 家に着いた頃、空は半分が青黒く、もう半分は濃い赤色でした。

 セーフでしょうか。

 でもドアを開けるとどこからかフクロウの鳴き声が聞こえました。


「ただいまー」

「おかえり。遅かったじゃない」


 キッチンで晩御飯を作ってる母が手を止めて、私に振り向きました。

 ちょっと目が据わっています。


「えーまだ半分、夕空だよ」

「半分夜空でしょ!」

「はい、分かりました。気を付けます」

「素直でよろしい。手を洗ってきなさい。晩御飯もうすぐだからね」


 母はキッチンに向き直ります。その母の背に私は問いかけます。


「シチュー?」

「そうよ」


 玄関に入っときからシチューのにおいはしていました。

 シチューは私の好物です。私は晩御飯を楽しみ手洗い場に向かいました。

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