第7話 男の覚悟


東北大会が近い。

もう心はボロボロだった。

落ち込んでいるには違いないが、こんな個人のことで、みんなの全国大会への道を閉ざすわけにはいかないのだ。

体に鞭打って、なんとかしっかりとした部長としての役割をこなせるように、気丈に振る舞った。


「おい、小針。ちょっと」


音楽室で今日のスケジュールを確認していると、顧問の瀬野せのが顔を出す。


「はい」


彼は自分の部屋に彼を招き入れる。

瀬野は、音楽室の隣に個人の部屋を持っていた。

そんなに広くもないスペースだが、窓際に机が置かれ、その上にはパソコンの居場所以外には所狭しと楽譜が積み上げられている。

右側にはキーボード。

左側には音楽観賞用の機器。

瀬野の城でもある。

丸いパイプ椅子を勧められて、腰を下ろすと、瀬野は自分の椅子に座り込んでから小針を見据えた。


「お前、大丈夫か」


「え? 大丈夫かって、大丈夫ですけど」


「そうは見えない。無理しているのではないか」


「無理、ですか」


恰幅の良いお腹をさすりながら、瀬野は「ふむ」と頷いた。


「そうだ。これから大事な時期を控える。なにか問題があるならここで吐き出しておけ」


見ていないようで見ているのだから怖い。

小針は視線を彷徨わせてから、どうしたら良いのか分からずに瀬野を見返した。


「そんな顔するなよ。どうせ相談できる相手もいないんだろう? 部長とは代々そういうものだ」


瀬野は、小針が部活の運営のことで悩んでいると思っているようだ。

どうしたものか。

だが、藁にも縋る思いなのだろう。

瀬野の優しい瞳を見ていると、つい口が開いた。


「あの、失恋です」


「は?」


「だから、し・つ・れ・んです」


瀬野はぷっと笑い出した。


「笑わないでくださいよ」


「いや、お前。冗談は顔だけにしろよ」


「ボス!」


「すまない、そう怒るな」


「怒ります」


小針はむうむうとなって瀬野を睨むが、大人の余裕なのだろうか。

彼はいつまでも面白いと言わんばかりに笑っているだけだった。


「で、それって持ち直すのか?」


「持ち直すって。お別れになっちゃったんですよ?」


「お別れって。お前から別れたようには見えないが、相手がそう言うなら、受け入れるしかないだろう? もう心がないのだから」


「心が、ない……」 


そうなのだろうか。

そうだろう。

あんなに泣かせて。


「違うのか?」


瀬野は目を瞬かせた。

小針は「そうです」と答えられない自分に戸惑っていた。


「そのお別れっての場面とやらを話してみたらどうだ? はっきりしないのだろう?」


「え、えっと……」


小針はのそのそと事の顛末を話す。

相手が大人で、同性でなんてことは伏せてだ。


「お前は、その相手がせっかくお別れになると言うことを伝えたのに、に返したってことか」


って言うか」


「だろう? 相手は、必死でお前に伝えようと思っていたに違いない。両手を握りしめて涙を堪えた相手に、にだぞ?」


「それは」


「本当にバカだな。お前。自分がそんなに可愛いか?」


瀬野の言葉は鋭すぎて心に突き刺さった。

図星じゃないか。


「そ、……そうです。そうでした。逃げたんです。怖くて逃げたんです。あの人がなにか言いかけていたのに、それを遮って自分の良いように言ったんです」


「小針。それわかっているんだったら、やることは一つだと思わないのか?」


「やることは、一つ?」


「そうだろう?」


瀬野はぐっと小針の胸に拳を当てる。


「お前はそんな卑怯者ではないこと、おれがよく知っている。お前は、どんな困難にも立ち向かう奴だ。だから部長に選ばれた。そして、部長として、こうして引っ張ってきたんだろう」


「そうなんでしょうか……」


「自信持てよ。おれは、お前のことそう低く評価していない。むしろ頼りにしている。その相手も、もしかしたら、お前のことを真剣に考えてくれているに違いない。どうでも良い相手に涙流しながらそんなこと伝えるかよ」


「ボス」


「ほら、しっかりしろ。あとはお前が踏ん張らないといけないんだ。ちゃんと自分の気持ち整理して、伝えろ」


菜花なばなの涙いっぱいの顔が忘れられない。

不甲斐ない自分が情けない。

あの涙の意味、きちんと効きもしないで、本当に無責任な奴だと自責の念に囚われた。

いてもたってもいられない。


「あの。ボス。おれ、今日は早退させてください」


「そうだな。ちゃんとしてこいよ」


「はい」


すっくと立ち上がると、小針は顧問室を飛び出した。

音楽室に入り込むと、自分の荷物を取り上げる。


「どうしたの? かんとく?」


大橋が慌てて駆け寄ってくる。


「悪い、おれ、今日は早退するから」


「かんとく」


大橋は佐野を見る。

彼は頷いてから、一枚の紙を取り出した。


「なに?」


「これ。志田しださんから預かってた。菜花さんの新しい部署」


「お前ら」


「おれたちに、なにかできることないかって考えていたけど、あんまり良い案思いつかなかった。ごめん。小針」


佐野の申し訳なさそうな瞳の色を見て、逆に恐縮してしまう。

しかも、部員のみんなが小針を見ていた。


「みんな」


「部長、頑張って」


「おれたち応援しています」


「いつもありがとう」


「頑張れよ」


「メガホン忘れずに」


みんなが口々にそうエールをくれる。

なんだか胸がじんとした。

そして、自分の腹が据わった。

必ず。

自分の思いを伝える。

結果がダメであれ、それはそれ。


「おれ、きっぱり失恋してくるっ」


小針の「失恋宣言」に、一同は拍手を送った。


「振られてこいや」


「慰めてやるぜ」


「部長、最高ですっ」


時計の針は夕方の四時を回る。

今から電車に飛び乗って、彼を捕まえることができるのだろうか?

そんなことを考えながら、小針は学校を後にした。


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