第7話 手を握ります
「すみません。
「え? 読みたい本なんてあるの?」
大橋は目を丸くするが、最後まで言い終わらないうちに彼の口を塞ぐ。
「え、ええ。それで予約処理をしてくれるというので……でも。すみません。おれ、図書館は……いえ。ここの図書館は初めてなものですから。カードがないんですよ」
志田は、菜花と小針を交互に見つめてから苦笑する。
「じゃあ、菜花くん。新規登録やってみようか」
「は、はい」
「やってみようかって……実験ですか」
小針は思わず突っ込むが、志田はしらっとしている。
「うるさい高校生くん。ここの図書館は初めてのようだから教えて差し上げますけど、図書館ではお静かにね?」
彼女は愛嬌たっぷりに笑顔を見せる。
志田は肩下まで黒上をくるりんと巻いてふくよかな女性だった。
年の頃は四十くらいだろうか?
左の薬指に光る指輪は既婚であることを示している。
そんな彼女に押されて、菜花はおろおろと紙を取り出す。
「あの、こちら……こちらに必要事項を記載していただけますか」
「あ、はい」
「おいおい。緊張しすぎだろう?」
志田はツッコミを入れた。
「だって、……初めてのお客様です……」
菜花は嬉しそうに頬を染める。
そんな様子に、小針も赤面した。
「初めてのお客様」なんて言われたら、ドキドキして心臓が口から飛び出しそうだ。
「じゃあ、こっちは菜花くんに任せてと。大橋くんのは私が処理してあげましょうか」
「お願いします」
「そうそう、面白い本入ったんだけど、どうする?」
大橋は目を輝かせる。
「ぜひ、お願いします」
「そう言うと思って、特別に取り置きしておいてあげたんだから」
大橋は完全なる常連らしい。
小針はそんな二人の会話を横目に記載事項を埋めていく。
なんだか緊張して字も下手だ。
いや、そもそもが下手なのだ。
大橋たちには「ミミズ文字」と呼ばれているが、どうにもこうにも下手なものは仕方がない。
本当に恥ずかしい。
こんなことなら、字の練習をしておけばよかった……。
そう思うが、菜花は笑うことなく、じっとその用紙を注視しているだけだ。
余計に緊張する。
そんなプレッシャーの中、やっとの思いで、氏名や住所、電話番号などの基本情報を記載し終わった。
「ありがとうございます」
「すみません。字汚いんです」
「そうでしょうか」
「読めますか」
「ええ。なんとか」
なんとか。
なんとか。
なんとかね!
少し落胆していると、菜花が手を出す。
「え?」
なにか言われたらしいが、全く聞いていなかった。
小針はその白い右手をつい右手でぎゅっと握った。
「っ!?」
「え? え? なに?違うの?」
顔を真っ赤にして俯く菜花。
隣でやりとりをしていた大橋は、慌てて小針の手を離させた。
「な、なにをするんだ」
「本当、バカ!? 身分証出せって言われただろう?」
「え?ごめん。あ、っと。聞いていませんでした」
固まっている菜花の隣で志田はお腹を抱えて笑いを堪える。
「ちょ、ちょっと〜。大橋くん。あんたのお友達、なにこれ? 天然なの?」
「ち、違いますよ。友達なんかじゃ……」
握られた菜花は然りだが、何故か小針まで赤面したまま硬直してしまう。
言い訳も立たないくらいのドジぶりだ。
「あの。すみません。おれの声が小さかったようですね」
「ち、違い……ます」
穴があったら入りたい。
小針は固まったままじっとしているが、咳払いをして気を取り直した菜花は手続きを着々と進めていった。
そして。
白いカードに、
「このカードで一回に十冊まで本を借りることができます」
菜花は『
「館内の本は、ほとんどが貸し出しできますが、背表紙に赤い丸シールの付いたものは貸し出し禁止になっておりますので、館内での閲覧をお願いいたします。また、あそこにありますパソコンで蔵書検索が可能です。気にいった本がございましたら、プリントアウトしてこちらにお持ちいただきますと、スタッフがその本を探して参ります」
「ああ、それだったんだ」と小針は思う。
菜花は持っていた白い小さい紙は、それなのだ。
彼は初老の男性の希望する本を探して歩いていたのだ。
きっと、待たせないようにと慌てていただろうに。
こんな高校生相手に丁寧に対応してくれるのか。
「すべての蔵書を表に出しているわけではありません。地下書架においてあるのもありますので、見当たらない場合は、お気軽にお申し付けください。それから、インターネットに登録いただきますと、そこから貸し出しの延長などの手続きができるようになります。ただし、予約が入っているものにつきましては延長が出来ませんのでご了承ください」
「わかりました」
「最後に、図書館内の地図があります。背表紙の番号と地図の番号を対比してご覧ください」
「はい」
「以上になります。なにかご不明な点はございますか」
彼は緊張していたのか、一気に説明を行うと、大きく息を吐いてから小針を見た。
その瞳の色は、興味津々という感じで、なんだか恥ずかしく感じられた。
「いえ。あとは分からないことがあったら、その都度、菜花さんにお聞きしてもいいんですよね?」
「はい。ただ、図書館は9時開館、19時閉館でして、交代勤務なんです。あの、いつもいるとは限りませんので、別な職員に尋ねていただいても結構かと……」
「いいえ。なるべくは菜花さんにお聞きすることにします」
「は、はあ……」
小針の気迫に押されて頷くしかない。
菜花は大きく頷いた。
「では、ご希望の本が返却されましたら、小針くんの携帯にご連絡いたします」
『小針くん』って……。
小針は名前を呼ばれただけなのに、心が躍った。
「よろしくお願いします」
「じゃあ、帰るよ。志田さん、お世話になりました」
大橋はぺこりと頭をさげると、名残惜しそうにしている小針の首根っこを捕まえて図書館をあとにした。
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