第6話 大人の男
「あの。大変申し訳ありませんが、この本をご希望されている方がおりまして……」
彼はそう言うと、手に持っていた白い小さい紙を見せる。
最初は、それが何だかわからなかったが、よくよくみると本のタイトルや、本の番号などが印字されていることが分かる。
予約票なのだろう。
そう理解した。
それでは、意地を張っても仕方ないのだろうか。
意味が分からないのと、口から出た嘘をどう取り扱ったらいいのか分からないのとで戸惑った表情をしている小針を見て、男は心底困っているのだなと理解したのだろう。
本当に申し訳なさそうに頭を下げた。
「本当に申し訳ありません」
「え? え? いや。その。そんなに謝られても……」
「二週間後には必ず返却されますので、どうか予約処理をさせてください」
「え? そんな。えっと……あの。じゃ、じゃあ、お願いしようかな……」
小針の言葉に、男は、ぱっと表情を明るくする。
「おふ……」
––––やばい〜! 本気で惚れる。やばい!
小針は赤面し顔を抑えて俯いた。
これ以上は刺激が強すぎる。
しかし、男は全くもってそんな小針の反応には気がつかない。
「どうぞ、こちらに」
本を抱えて、立ち上がるとそのまま小針を促すように視線をよこして歩き出した。
「ああ……」
小さくそんな吐息を吐きながら、小針は
惚れやすいのは重々承知だ。
つい先日も、ライバル校である
失恋したばかりだったのに。
カウンターを目指して目の前を歩く男は、年上であるにかかわらず小針よりも小柄。
多分、身長は160センチメートル後半?
大橋と同じくらいの身長だろうか。
薄い露草色のワイシャツの襟元から覗く首は細い。
後ろ姿からでも細い腰の線も見て取れる。
痩せているのだ。
ひ弱。
そんな印象を受ける。
図書館職員ということは、市役所の職員なのだろう。
年齢はわからないが、仕草や態度からしてベテランという感じは見受けられなかった。
こんな若い職員が勤務しているのかと驚いた。
図書館というと、年配の女性がいるイメージだ。
バイトの大学生、とかいるもんなのか?
そんなことを想像しながらついていくと、カウンターのところに初老の男性が立っていた。
男は抱えていた本をそのままに、小針に「少々お待ち下さい」と頭を下げてから、男性に声をかけた。
「お待たせいたしました」
小針が手に取ろうとした本を所望していた人間はこの男性かと理解する。
それにしても、こんな子供みたいな高校生にまで敬語で丁寧な対応をしてくれるだなんて。
真面目な人なのだと理解する。
じっと眺めていると、彼はたどたどしい手つきで本のバーコードを読み取っていく。
やはり手慣れていない感じ半端ない。
しかし、丁寧に丁寧に対応しようとする態度は見て取れる。
なんだか更に好感が持てた。
何冊かの本を処理し、「8月3日返却になります。一冊は予約が入っているようですので延長は出来かねますがご了承ください」と説明すると、初老の男は「わかりました。ありがとう」と笑顔で頭を下げてから去っていった。
よかったのだ。
あれで。
だって、自分はそんなに読みたい本でもなかったから。
ただ、目に入ったから手に取ってみたいと思っただけだ。
あの人は、本当に嬉しそうに本を借りていったのだ。
なんだか、申し訳のない気持ちでいっぱいになった。
すると、ふと肩を掴まれた。
はっとして振り返ると、そこには大橋が本を抱えて立っていた。
「なにしてんの?かんとく? 珍しく本借りる気?」
不審げな視線にどう返答しようか迷っていると、「ご予約の方どうぞ」と男の声が響いた。
「予約?」
大橋は更に不審そう。
だが、小針は咳払いをしてカウンターに歩み寄った。
男は頭を下げる。
「お待たせして申し訳ありませんでした」
「い、いえ。別に」
「それではご予約の手続きをとらせていただきますので、カードをお願いします」
「か、カード?」
目を瞬かせると、隣に立っている大橋は小針の横腹を肘で突いた。
「普通、貸し出しカードってあるでしょうが」
「は? そんなの知ってるし」
「嘘だ〜。知らない顔じゃん。ってか、図書館のカードもないなんて、カッコ悪」
「うるさいな」
言い合いになりかけたその時、男の隣から中年の女性が顔を出す。
「こらこら。大橋くん。静かにね」
「あ、
「こんにちは。また来たんだね」
彼女は、男と同じように緑の名札をぶら下げている。
それから、男を見る。
「
彼女は顔をしかめる。
小針は目を輝かせた。
そうか。
男の名前は『菜花』というのか。
可愛らしい名前だと思った。
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