<四章:勇者の秘密> 【04】


【04】


「ぼ・う・や、うちは――――――」

「ちょっと待った」

 あたしは、勇者さんを抱えて大きく後退した。

「え、何? どうしたのかしら眼鏡」

「情操教育によくない体なので」

 勇者さんの目を塞ぐ。

「あなたも似たようなものじゃない」

「いえ、自分はだらしないだけあります」

「だらしない方が男性は好みなんでしょ! うち知ってるから!」

「極一部、卵と骨だけの意見なので参考にしないでください!」

 案の定、まだ根に持たれていた。

「む」

 勇者さんがあたしの手を払う。

「………………おおきい!」

 カラミアさんの胸部を見て、彼は素直に叫んだ。ちょっと前にニップレスが流行して良かった。

「勇者さん見てはいけません。あれは、人を堕落させる双丘であります」

「だから、あんたがそれを言うな」

 怒られた。

 カラミアさんは、不機嫌そうに尻尾で床を叩き続ける。

「ほら! 幹部候補を紹介しなさい! うちは暇じゃないのよ!」

「はい、こちら勇者さんであります。勇者さん、こちらは」

「『豊穣のモンスター』カラミアよ」

 ファッサー、とカラミアさんは長髪を掻き上げた。

「お姉ちゃん、ほうじょうって何?」

「作物の良き実りであります」

「この人、すごい農家なのか!」

「違うわ」

 カラミアさんは音速で否定した。ちょっとくらい子供の夢に付き合ってくれてもよいものを。

「お姉ちゃん、違うって」

 勇者さんは残念そうだ。

「豊穣を司る神は、何故か巨乳で描かれることが多いので、それ関連から名乗っているのでしょう。実質、カラミアさんは『巨乳のモンスター』であります」

「こらっ!」

「申し訳ございません」

 また怒られてしまった。

「うちはね、胸とスタイルと美貌には自信があるけど、それだけでじゃないわよ」

 カラミアさんは、胸を強調するセクシーなポーズをとると、忽然と消えた。

 次の瞬間、勇者さんの体が浮く。

「うお」

「どう? 気付かなかったでしょ」

 消えたカラミアさんが再び現れる。勇者さんの体には蛇の尾が巻き付いていた。

 この人は、巨体に似合わず素早く動け、しかも透明になれる。蛇らしく狡猾な能力だ。

「これに合わせ、うちにはもう一つ力があってね」

「ちょっとカラミアさん」

「?」

 疑問符を浮かべる勇者さんの目を、カラミアさんの金色の瞳が見つめる。

 かくん、と勇者さんは意識を失った。

「それは、催眠と暗示よ」

「カラミアさん! 魔王様から禁止されている力ですよ!」

「あのねぇ眼鏡。この子普通じゃないわよ。ここ数日こっそり見ていたけど、魔王様も、あんたも、この子に情が移り過ぎ、はっきり言って異常だわ」

「異常とは心外な」

 魔王様は単にそういう趣味なだけであって………………あたしは? あれ? あたしって、こんな子供好きだったろうか?

「この子が、うちと似たような力を持っている可能性は、否定できないわよね?」

「た、確かに」

 勇者さんは信じたい。

 しかしそれとは別に、得体の知れない気味悪さが湧く。

「うちも子供を食ってやろうとまでは思わないわ。でも、少し心の内を探るくらいは良かろうと思わない? 何もないなら、それはそれで得でしょ」

 つまり、カラミアさんは勇者さんの心の内を探ろうというのだ。

「プライベートな質問はなし。それなら自分も賛同します」

「そうねぇ、『名前と家族構成』。『魔王様に近付いた目的』。質問内容はこれで良いかしら?」

「あ、待ってください。よく考えたら勇者さん自分の過去を覚えていない可能性が」

 記憶喪失の話が嘘でないなら、まだ記憶を思い出していないのなら、だが。

「何よそれ」

「怪我が原因だそうで」

「ふーむ、そういう子に暗示かけたことはないわね。深いところに潜らなければ問題ないと思うけど」

「危険なら止めてほしいのであります」

「ほら、それよ、それ」

「うっ」

 だって心配なのだから仕方ない。

「やるわよ。止めてもやるわ」

「………………どうぞ」

 どうせ、あたしではカラミアさんは止められない。それに、勇者さんが何も隠していないなら何も問題ない話だ。

 カラミアさんは、何処からか取り出した鈴を鳴らす。

「坊や、名前は?」

「ラザ―――――何とかであります。残りの名前は魔王様に封印され」

「眼鏡。あんたに聞いてないわ」

「失礼」

 ちょっとかかってしまった。

「さあ、坊や。名前を教えて? 簡単なことよ」

「………………なまえ」

「そう名前よ」

「うーん」

 勇者さんは苦しそうだ。

「苦しい? でも名前を言うだけで、その苦しみはなくなるわ。さあ、ほら辛いのは嫌でしょ?」

 鈴が鳴る。

 脳髄が震える音色だ。

「ボク、なまえ………………やくたたず」

「え?」

 その後続く言葉は、名前ではなく罵倒だ。あまりにも低次元な言葉で気分が悪くなる。

 カラミアさんは、結構焦っていた。たぶん、思っていた反応と全く違っていたからだろう。

「坊や、名前は一旦忘れましょう。坊やを魔王様と戦うように言ったのは――――――」

「さむい」

 勇者さんの吐く息が白い。周囲に異常な冷気が立ち込める。震えるほどの寒さだ。

 異常なのは明白。

「カラミアさん!」

「記憶が退行しているみたいね。その時を、この子の力が再現をしているのかしら?」

「危険なのでは?」

「過去の体験が危険なら………そりゃ危険だわ」

 勇者さんに巻き付いているカラミアさんの尻尾が、白く凍てついた。

 空気中に氷の結晶が生まれる。呼吸が辛い。このままだと肺も凍る。

「坊や、落ち着いて。今は“そこ”ではないの。ここは暖かい場所よ」

 半ば凍っているにもかかわらず、カラミアさんは落ち着いた口調で呼びかける。

「おなかすいた」

「ここにはご飯もあるわ」

「くっきー食べたい」

「沢山ありますよ!」

 あたしは両手で持てるだけクッキーを持つ。

「いたい」

「坊や、痛いの辛いのも全部終わったことよ。この時間に戻ってきなさい。ほら、眼鏡も魔王様も待っているわよ?」

「魔王が、まってる?」

「そうよ」

「うん、そうだ。ボクは悪い子だから――――――」

「坊や、眠りなさい。深く深く。泥のような暗闇に」

 鈴が大きく鳴る。勇者さんが深い眠りに落ちた。

 冷気は一瞬で消えた。恐ろしい寒さも幻のように消えた。

「い、痛」

 カラミアさんの尻尾のダメージは、幻とはいかなかった。肉が裂けて、綺麗な鱗が剥げて、ドクドクと鮮血が溢れている。

「眼鏡、日を改めましょ。あとブロブ呼んできて」

「はい、その前に」

 ぐったりした勇者さんを受け取る。

 カラミアさんより蒼白な顔だ。呼吸も………………呼吸も?

「え?」

 息をしていない。

 いや、それどころか。

「カラミアさん………………勇者さんの心臓が止まっています」

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