九幕 霊獣
一.
上帝との謁見以降、自身の身の振りをどうすべきか分からない棕滋は、気付けば颱良の下に足を運んでいた。呪いの屋敷と呼ばれるようになって久しいその廃屋は、今では彼が各地から集めてきた動物で溢れている。
「お、タカさん、どうしたんだよ?」
屈託のない彼の笑顔が今は救いだった。棕滋は「いや」と一言言って、近くにいた大蛇に触れる。
彼がこうして大型の動物を集め始めたきっかけはなんだったかと、記憶を探る。そうだ。去年の秋口だ。この呪いの屋敷についての研究を進めた際に、どうやらこの屋敷の騒動を治めたのは、
心なしか猫科の動物が多いのは、彼が白讃家の者だからだろう。しかし肝心の虎は一頭もいない。
赤い鳥は朱雀、肉食獣に近寄らせないものの、密林の如き庭園の中を自由に動き回らせている馬は麒麟のつもりなのだろうか。では、この蛇は玄武と青龍のどちらだろう。そういえば、先程沼の中に巨大な亀がいたな――と思い出して、ではこちらは恐らく青龍のつもりなのだろうということになった。
「それにしても、賑やかになりましたね」
「宮中でもないし、俺と二人の時は敬語にしなくていいよ」
「……あぁ、そう、だな」
久しく
「颱良」
「ほいほい?」
「例えば、例えばの話だが……」
「うん?」
「一つの国を救うために、一人の犠牲が必要だと言われたら、お前ならどうする?」
「あぁー! それ、俺の一番嫌いなやつ!」
颱良は大袈裟に頭を抱えながら、喚き散らす。しかしそうは言いつつも、彼なりに真剣に考えている様が見て取れた。
「んー……その一人っていうのは、決まってるのか? それとも誰でも良いの?」
「決まっている」
「んんー! そうか、決まってるのか……。それは、俺の知ってるヒト? 知らないヒト?」
「知っているヒトだ」
「あー……大切なヒト、嫌いなヒト」
「大切なヒト」
「俺が替わることは……」
「できない」
そこまで答えて、彼はニィッと笑う。相変わらず凶悪な犬歯がよく見える。
「ごめんタカさん、それは俺には決められない!」
「あぁ、そうだな」
そう、決められはしないのだ――棕滋は改めて、突きつけられたその課題の難しさに頭を抱えた。
***
朦朧とする意識の中で、なぜ今このようなことを思い出すのか――棕滋はその目を薄っすらと開く。霞む視界の中で片腕のない颱良が、その足元に小さな虎を従えているのが見える。ドクン、と心臓が脈打つ。嫌な予感がした。
「颱良! 颱良ぁ!!」
琅果の悲痛な叫びが聞こえる。あぁ、ダメだ、止めなければ――頭ではそう思っているのに、体が思うように動かない。
***
後日、棕滋は颱良と他三人に千年桜の真実を語った。各々が各々の反応を示したが、爛瀬と雪晃は頑として千人桜の要求を拒む姿勢を見せる。椋杜もまた、迷いながらも「失いたくない」と言った。しかし、意外だったのは颱良だ。
「あぁ、あの時のってそういう意味だったのか」と呟いた後、彼は意思表示を辞退した。「決められないって言っただろ?」という言葉と共に。
それからまた数日後、棕滋は颱良にその言葉の真意を問うた。
「琅果はさ、そうまでして救われたいって、多分思わないと思うんだよな。あいつはあれでちゃんと公主として、そして巫女としての自分の役割を理解してるよ」
もしも自分たちの独断で上帝を殺すなどということがあっては、きっと彼女は怒り、嘆き、哀しむだろう。
「だから、もしもそういう手段を取るならさ、ちゃんと本人に意思確認をした方が良いと、俺は思うぜ」
そう言われて、あぁ、確かにその通りだと納得した。だから一度考えを改めようとしたのだ。彼の言い分がとても正しいと思えてしまったから。
しかし、それでも火の手は上がってしまった。謀叛を起こしたのは棕滋らではない。五家の当主でもない。上帝だ。上帝とその皇后が自ら城に火を放ったのだ。
確かに謀反の計画はしていた。だが、それでも最後まで迷いがあった。だから誰も実行に移せなかった。その情報を手に入れて、実行したのは上帝自身だった。そしてそれを密告したのは恐らく爛瀬で、この事件の全てを正当化するためにあらゆる手段で皇木家の名誉を貶めたのが青天目家の先の当主だった。その嘘を明らかにしないために、彼は自ら命を絶ったのだ。
仕えるべき――敬愛すべき主君を失い、黄檗家当主にして現上帝の金晃は意気消沈し、心を病んだ。それに伴い他の三家もまたそれぞれに道を失った。それが全てだ。かつては一枚岩だったその結束は、今となっては完全に瓦解し、ただの砂礫になったも等しい。
それでもきっと琅果は戻ってくると主張をしたのは颱良で、だから彼は他の道を探していた。慣れないながらもあらゆる文献を漁りながら、その中で彼は霊獣の作り方を知ってしまったのだ。
***
妖の大乱を治めた五家。しかし妖の大乱は架空。その真実は呪いの屋敷から生まれ出た妖精の乱だ。つまり、あの妖精に封印を施したのは五家の祖先であり、加えて屋敷の騒動を治めたのは霊獣であったという。それは、五家の祖先が霊獣を創ったということ。ならば、今求められているものはただ一つだ。
颱良は残された右手で自らの胸元に爪を立てる。
「月宮ぅうぅぅーーー!!」
叫ぶ。小さな虎は一目散に彼の足元に駆け寄った。
ブチッ、という音がした。ボキボキと、骨が軋む音がした。ドクン、ドクンと脈打つそれを鷲掴みにし、幾本も繋がる太い血管をブチブチと引きちぎり――……
「俺の、心臓だ……喰え……!!」
その言葉と共に、颱良の右手に月宮が喰らいついた。
轟くは雷鳴の如き獣の咆哮。
膨れ上がるは霊気を呑み込んだ獣の闘気。
其はもはや精霊に非ず。
其はもはや獣に非ず。
赤橙の毛皮を白金に染み、小さき体は成熟す。
鋭き牙を剥き、鋼の如き毛を逆立て。
――ここに、新たに霊獣・白虎が誕生した。
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