六.
***
これは大分ヤバい奴なのではないか――と言ったのはレイだった。そして棠鵺も「それは言われなくても分かります」とは流石に返さないが、その言葉を肯定すべく首を縦に振る。落雷が起きたのも、不協和音が聞こえたのも、どちらも皇宮のある北側だった。レイは両の耳を塞ぎながら、忌々し気に北側の空を見る。
「俺が行っても何もできないとは思うけど……」
とは言いつつも、本人は恐らく行く気満々なのだろう。棠鵺もそうだ。自分に何ができるか分からないが、もし琅果や颱良、他にも琅果にとって大切なヒトが危険な目に遭っているのなら、ここで何もしなければ確実に後悔が残るということを確信している。
しかし、聞けばここから皇宮までは随分と距離があるらしく、走っても一時間はかかるのではないか、と颱良は言っていた。遅くなっても行くべきである。それはもちろん変わらない。しかし、一分一秒でも早く辿り着くために何か手立てはないのか? そう考えた時、この庭の中に馬が一頭いたことを思い出す。棠鵺は霊気を込めて、何度か小さく口笛を鳴らした。すると、そう時間のかからないうちに、その馬は棠鵺の目の前にやってくる。随分と大きな馬だ。これなら恐らくレイが乗っても問題ない。しかし、流石に大人二人――しかも一人は恐らく二人分ある――乗せるのは厳しいのではないかと、ほんの僅か考える素振りを見せる。しかし、考えるまでもなく答えは一つだ。
「レイさん、この子に乗って先に行っててください」
「ん?」
「僕が行っても本当に何の役にも立ちません。それに、僕は一応本気で走ればそれなりの速度は出るので、後から追いかけます」
「あ、あぁ……」
そうこう話している間にも、あれよあれよという内にレイが騎乗する準備が整えられていく。
「皇宮の場所は分かる? うん、大丈夫だね。彼を乗せてそこまで全速で走って欲しい。着いた後は危なかったら逃げて良いよ。うん、危険なことはしなくて大丈夫だから。ってことで、レイさん、どうぞ」
「お、おぉ……」
否も応もなく、レイは馬に跨る。
「それじゃあ、僕もすぐに追いかけますから、先に行っててください!」
そう言って棠鵺は馬の臀部を優しく叩いた。それからすぐに脚の呪を施した赤い包帯を解く棠鵺を振り返りつつ、レイは軽く肩を落とした。
*
蹄の音は次第に大きくなり、直後目の前を巨大な影が横切った。その瞬間、ドスン、と黒い塊が落ちる――否、降りる。
「間に合った、か……?」
「あ、兄貴……」
「レイ兄!」
そう呼ぶ二人を一瞥して、レイはすぐに目の前の敵を見据えた。
「やっぱり居たんだな、妖精……」
レイは目を細める。
「持たざる者か……」
そう呟いた瞬間、妖精が初めて琅果以外を見た。そして瞬時にレイに襲い掛かる。
「キレるってことは、感情はあるんだな。でも、自我は芽生えないままか」
勢いに任せて飛び掛かってくる敵をひらりと交わし、地面に押さえつける。しかし、地に着くその瞬間にするりとその間を縫って妖精はその手を抜け出した。距離を取り、相手の出方を伺いつつも、レイは着ている
「それ、一応大事なものだから、その辺に置いておいてくれ」
「え、うん……」
大事なものなのにその辺に置いておくだけで良いのだろうかと疑問に思いつつも、琅果は言われた通りのことをする。
「兄貴、あいつ……」
颱良がレイの横に並んだ。
「言っておくが、俺の力もアレには無力だ」
「そっか……昨日言ってたもんな……」
「悪いな」
それは仕方がない、と颱良は笑う。
「ところで、さっき兄貴は何て言ったんだ?」
「……持たざる者」
再び妖精はその言葉に反応する。
「それは、どういう……っと、危ねぇ!」
二人を引き裂くかのように伸びてきた腕を、互いに交わす。
「昨日話した通りだ。これは、魂の定着しない、自我の芽生えなかった者だ」
途端に「ギャアアアァァァァ!!」とこれまでとは違った奇声を発する。レイは耳を塞ぎ、顔を顰め、妖精を睨む。
「だから欲しいんだよな、琅果の魂が」
妖精は口角から泡を吹きながら、レイを見据える――かと思えば、途端にその目標を再び琅果へと戻した。
「琅果、ろうか、あたし、ロウカ……」
まるで壊れた絡繰り人形のように同じ言葉を繰り返す様を見て、颱良は「あぁ」と呟いた。
「欲しいって、そういう……」
その時、いきなり垂直に飛び跳ねた妖精は、突如吹いた強い風に乗り、宙を滑空した。男二人の頭上を飛び越え、真っすぐに琅果へと向かう。
「しまっ……!」
勢いよく空を滑るそれが、琅果に正面からぶつかる。まるで何かが爆発するかのような音がして、レイも颱良も血の気が引く。しかし――
「あたしも、自分の身くらいは自分で守れるよ」
既に反対方向に捻じ曲がっているその腕で、琅果は妖精を全身を真正面から受け止めた。琅果は今、恐らく霊力を使っていない。目尻にじんわりと涙を浮かべながら、自身の腕に爪を食い込ませるその者を思い切り蹴飛ばした。しかしその脚もまた、やはりひどく腫れ上がり、真っ青になっていた。
吹き飛ばされた先で、妖精は態勢を立て直す。
「なぁ、兄貴、これ、いつまで続ければ良いんだ……」
「さぁな。そもそも過去にどうやって封印したのか、俺は知らないから……」
先の見えない戦いに、途端に気持ちが萎えてくる。だからと言ってここで「はい、やめた」と退くことができないのがまた苦しい。
「兄貴、頼みがあるんだけど……」
「ん?」
「ここは俺が何とかするから、他の奴ら、治してやってくれねぇかな……」
「……分かった」
「頼んだぜ」
言うが早いか、颱良は地面を蹴り上げ、今度はこちらから妖精に襲い掛かる。先程のような失態はもうしないと、今度は確実に狙いを定める。肉と肉のぶつかり合う音。ミシミシと骨が砕ける感触を得て、幾許か気持ちが晴れる。通った――と。だがそれだけだ。強靭的な回復力により、それもすぐになかったことにされてしまう。確かにこれは、七日七晩戦うわけだよ――そう思わずにはいられない。
颱良に頼まれて、レイは急いで倒れている者たちの下に向かう。まずは一番負傷の激しい椋杜、次に爛瀬、雪晃、棕滋。順に自らの血液を、昨夜の爛瀬に入れた分よりも大量に流し込む。あまり良い手とは言えないが、今は時間が惜しい。後に何かしらの不都合があったとしても許してもらえないだろうか――そんなことを考えながら、それぞれの様子を見ていく。
そして最後に琅果の傷口に手を当て、ひとまず全員の応急措置を済ませた。
これが起死回生の一手になれば――そう思ったのも束の間。
目の前に、ドスン――と、見覚えのある腕が落ちてきた。
響き渡る颱良の声は、苦痛に満ちている。しかしそれでも引かないのが彼の矜持だ。颱良は歯を食いしばりながらも、残された片腕で捕らえた妖精の手を離さない。そしてそのまま地面に叩きつけると、その鋭い犬歯で喉元を噛みちぎる。がっぷりと食い下がる颱良ではあるが、妖精の体はみるみるうちに回復していく。次の瞬間には、颱良の体は宙を舞った。
「まずい!」
レイは急いで颱良の下に駆け寄る。だが、間に合わない。そのまま体が地面に叩きつけられるかと思われたその時、彼のすぐ下に小さな旋風が発生する。その風に乗せられ、颱良の体は静かに地面に下ろされた。
「遅くなって、すみません……」
そこには、ぜぇはぁと息を荒らげながらも朱夏扇と玄冬扇を構える、棠鵺の姿があった。そして、その足元には小さな子虎――月宮の姿が。
「げっ、きゅう……? なん、で、ここに……」
「彼が、連れていって欲しいと、そう望んだので」
霞む目で、颱良はその姿を見た。そして一人、「はっ」と笑みを零すのだった。
「棠鵺、助かったぜ……感謝する」
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