四.
曰く、呪いの屋敷の逸話は後世の人間によって一部が書き換えられているとのことだった。
この屋敷の一人娘が恋に落ちたのは、その時たまたま神族の付き添いで来ていた妖族の青年だった。二人はすぐに打ち解け、心を通わせた。しかし、禁忌によってそれ以上の交わりを禁じられた二人は、それでも一緒に居たいと駆け落ちをするに至る。当然、妖族を連れてきた神族も、娘の父親も血眼になって二人を探した。だが、結局二人を見つけることができたのは数ヶ月の時が過ぎた後であり、その頃には既に娘の胎の中に新たな生命が宿っていた。
混血種の恐ろしさを知る神族は大激怒。その場で二人を火刑に処すも、二人の焼死体の中から、その化け物は飛び出した。そして、そこは言い伝え通りに、その時に娘の父親は絶命している。しかし解せないのは、その時点で娘の胎は未だ膨れてはいなかったということ。つまり、いわゆる安定期というものに入ってはおらず、この世に生を受けるにはまだまだ猶予があったのだ。
――にも関わらず、その化け物は焼け死んだ娘の胎から、既にヒトの形で産まれ出た。それはつまり、母体の危機――ひいては自らの生命の危機を感じ取り、急激に体が成長したということに他ならない。ことの重大さに気付いた神族はその場ですぐに応戦するも、その甲斐虚しく命を落とした。
そこから先は言い伝えの通りであり、その化け物――つまり妖精は、七日七晩精霊界を蹂躙したのだった。
「――と、これが、皇宮書庫の古文書で見つけた、この呪いの屋敷の全容なのですが……」
ここまで滔々と語っていた棕滋が一度言葉を切る。
「この話には続きがあります。いえ、これは半分以上は私の憶測でしかありませんが……」
根拠のないことをさも事実かのように語るのは如何なものだろうかと躊躇する棕滋ではあったが、「続けてくれ」というレイの言葉を受けて、話を再開した。
「我々五家が活躍したとされる、妖族との大乱……それこそが、この呪いの屋敷の事件とその直後に起きた惨劇なのではないでしょうか」
一般的に、精霊界が鎖界を始めたのは妖族のとの確執による大乱がきっかけということになっている。
しかし棕滋が知る限り、それに関する当時の資料というものは存在せず、妖族との大乱という話が出てきたのは、それこそ精霊界が鎖界を始めた直後からだそうだ。となると、精霊界を完全に閉じた世界にするために何か適当な理由が必要で、そのために妖族を利用したのではないか――と棕滋は語る。
本当に妖族との全面戦争などというものがあったのなら、もっと多くの資料が残されているはずだ。にも拘わらず、その詳細は一切残されていないというのはどうにもきな臭い。
しかしながら、現状の妖族との確執を考えるに、何もなかったということもないのだろう。となれば、何かしらの諍いはあったはずなのだ。そう思って文献を洗いざらい浚ってみても、それらしい事件は見つからない。それでも、やはり鎖界の前と後で明らかに妖族への差別意識が変わっている。鎖界前の文献をどれだけ見てみても、妖族を卑しき者、悍ましき者として記しているものは一切見つからなかった。しかし、そういった記述は鎖界後から突然現れる。
「――では、鎖界前にあった大きな事件は何かと遡っていけば、この呪いの屋敷の化け物騒動に辿り着くのです」
それで気になってこの事件についても調べてみたら、先程語ったこの屋敷に纏わる逸話の真実にぶつかったのだそうだ。
「でもタカさん、そんなこと一言も……」
困惑を隠せずにいる颱良を、棕滋は極めて冷静に見つめた。
「これは、世界の禁忌の一端に触れる行いです。もしも公になれば神族は黙っていないでしょう」
ですよね? ――と言った棕滋の視線はレイを捕らえる。レイはこれを肯定する。
「ともあれ、これは決して外部に漏らしてはならない話であり、当時もその真実を知っていたのは
そうは言っても実際に精霊界は甚大な被害を受けているし、その原因が
「そこで、あれは妖族の陰謀だった――という話をでっち上げたのでしょう」
そもそも、あの事件の元凶に妖族が関わっているのは事実なのだ。無論、妖族だけのせいにするのは間違ってはいるが、かと言ってそれを利用しない手はない。
「もう二度とこのような惨劇が繰り返されることのないように――つまり、混血種などという恐ろしい存在が産まれてくることのないように、当時の上帝は精霊界を鎖界することに決めた。そして、市民を納得させるための理由として、妖族という仮想敵を作り上げた……のではないでしょうか」
最後の最後で歯切れが悪くなったのは、それが半ば自分の妄想かもしれないという懸念があるからだろう。棕滋は一息ついて、すっかり冷たくなってしまったお茶で口を潤す。
「でも、でもさ、何でそれが妖の大乱ってことになるんだよ? そうなったら、俺たちの先祖が窮地を救ったって言うのは全部創作で、俺たちはただ担ぎ上げられただけの架空の英雄の末裔ってことなのか?」
颱良の言いたいことは分かる。だからこそ、棕滋はその言葉を肯定も否定もしない。妖の大乱が架空だとしたら、自分達の祖先の存在もまた、非常に曖昧なものになってしまう。それはある意味、自らの
颱良は唇を噛みしめ、ドン、と一度だけ壁を拳に当てた。
「その……つまり、妖精は実在すると、そういうことですか……?」
これまで沈黙を守っていた棠鵺が、ここでふいに言葉を発する。その眼差しを受けて、棕滋は「恐らくは」と一言だけ返した。
「棠鵺さんにとっては、その、ご不快な話をしてしまったかもしれません」
そう言いながら、棕滋は棠鵺に頭を下げた。しかし棠鵺は「とんでもないです」と言って、その謝罪を固辞する。
「話を聞く限りでは、必要な措置だったと、思いますよ? それに、正直なところ、僕には関係のない話だと思うので、それは良いんですが……」
棠鵺は一度思考を整理するかのように言葉を切り、「えっと……」と言いながらもしどろもどろに話を続けた。
「レイさんの話を聞く限り、その、混血種というのは、そうそう殺すことのできない存在――ですよね?」
「あぁ、そうだな」
「でも、実際にはその事件は七日……八日? で終息している、と」
そこまで言われれば彼が何を言わんとしているのかは分かる。
「殺すことはできない、と言われている。が、封じることは一応できる」
レイは端的にそれだけを返した。
「あぁ、なるほど。ということは、つまり、その、颱良さんたち五家のご先祖様はその封印に貢献した、ということではないんですか?」
そう言われて、颱良がハッと顔を上げた。
「あぁ、そういう、ことか……」
その気付きに喜んだのかと思ったのも束の間。彼はまるで何かを悟ったかのように、諦観の色を顕わにした。何かまずいことでも言ってしまっただろうかと戸惑う棠鵺の肩をそっと叩き、棕滋は首を横に振る。そこには「貴方は間違っていない」という意図が見て取れた。
いよいよ夜も更けてきた。夕方に颱良と別れてから多少のうたた寝はしたとはいえ、人間界からこちらに来てから全く寝ていないレイや棠鵺は眠気を隠そうにも隠せずにいる――約一名、隠そうともしていないわけではあるが。
とりあえず重要な情報は共有できたのではないか、ということで、「今夜はこのあたりでお開きにしましょうか」との棕滋からの提案を各々受け入れた。
「では、私はあの三人……いえ、今日は二人、ですかね? とにかく、戻った方々にも話を聞かなければいけないので、これでお暇致します」
言いながら、棕滋はすっくと立ちあがり、レイと棠鵺に向かって会釈をする。
「あ、俺も一緒に戻るよ」
そんな棕滋に追従して、颱良もまた立ち上がり、軽く体を伸ばす。
「お二人とも、今日はありがとうございました」
立ち上がった二人に対し、棠鵺は三つ指をついてお礼の言葉を述べる。その様子に棕滋が「いえいえ」と笑って応えた。
「それでは」
「俺はまた明日来るから、今度こそここから出ないでくれよな」
「あぁ、さっきはすみません……」
皮肉ではなさそうだが、颱良にそう言われてしまっては棠鵺も立つ瀬がない。申し訳なさに身を縮めつつ、改めて謝罪の意を伝える。
「っと、ごめんごめん! そういう意味じゃないって!」
慌てて弁解する颱良に、棠鵺は思わず失笑する。
「はい、分かってます。でも何となく謝りたかったので」
くすくすと笑いながらそう告げる棠鵺に、バツが悪くなったのか、颱良は照れ隠しのように頭を掻いた。
「あぁ、そういえば」
「まだ何かあるんですか?」
いよいよ別れの時間となったところで、思い出したかのようにそう告げる颱良を、棕滋が呆れたように睨みつけた。
「うん、ちょっと! なぁ、棠鵺、さっき、昼間にさ、
「えっと、はい、言いました」
「アイツは俺のこと、何て言ってた?」
いきなりの問いに少々驚きつつも、棠鵺は昼間のことを思い起こす。そして「あぁ」と手を叩き、
「早く颱良さんみたいに強くなりたい、一緒に頑張ろうって、そんな感じのことを言ってましたよ」
優しい笑顔でそう告げる。
「そっか……あぁー! そっかぁー!」
それを聞いて、颱良は両腕で豪快に天を衝く。それは確かに喜びの声であり、仕種であった。しかし、その中に決して無視できないほどの寂寥があることに、棠鵺は静かに首を傾げた。
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