三.

 未だ穏やかな寝息を立てている琅果が、まだ暫く起きる可能性がないことを確認して、レイは次の話を切り出した。

「ロウカの事情は、まぁ、分かった。次はお前たちの事情だ。結局、謀叛のきっかけは何だったんだ?」

 聞けば、その後に何か大改革と言えるようなものがあったわけでもなく、官僚もそのままの地位に安堵し、以前と以後とで何かが変わったわけではないと言う。加えて、現上帝とやらも地位や名誉のために悪心を抱くような人物ではなく、むしろ先の上帝を心から敬愛していたとまで言うではないか。では、なぜ謀叛など起こす必要があったのか。先帝がよほど悪政を敷く人物であったというのならまだ納得もできるが、そういうわけでもないらしい――一応、市民の混乱を抑えるために、そういうこと・・・・・・になっているということではあるが。


「何か事情があったにしても、合点がいかないことが多いというか」

 レイは率直にそう言った。その言葉を受けての棕滋と颱良の表情は複雑だ。

「まぁ、話したくないなら今は話さなくて良いけど」

「お答えできず、すみません……」

 軽く頭を下げる棕滋に、レイは「いや、いい」と一言だけ告げ、次の話に入る。

「それはそうと、もう一つ、確認したいことがあるんだが……」

「お答えできることなら、極力」

「そうか。なら、お前たちは妖精・・という言葉を聞いたことがあるか?」

 スィールは言っていた。「精霊界には妖精が居る」と。彼があの時、あのタイミングでそれを告げたことには恐らく意味があるはずだ。レイは主に颱良の方を向いて問うたが、颱良は首を傾げて頭を横に振る。

「よう、せい……」

 しかし、その言葉に何か引っかかるものがあったのか、棕滋はその言葉を何度も繰り返しながら、今現在、滞在している廃屋を見回した。暫し逡巡し、口を開いては閉じるという動作を繰り返す。そして更に暫くの後、彼は意を決したように居住まいを正した。

「それは、禁忌・・に触れる話でしょうか?」

 レイは色違いの双眸を見開く。彼もまた、覚悟を決めたように頷いた。

「あぁ」


 世界には五つの禁忌が存在する。そのうちの一つ、異種交合の禁。

 他の種族と交わってはならないというその禁忌には、実は抜け穴がある。それは、異性との交わりを禁じはするものの、同性による交わりを禁じることはない、というものだった。なぜ異性は禁じられ、同性は許されるのか? その意味するところはただ一つ――これは、肉体の交わりではなく、血の交わり・・・・・を禁じたものである、ということだ。

 それを知る者は決して多くない。しかし、気付くものは気付くのだ。その本当の意味に。


「つまり、混血種を作ることは可能、ということですね?」

 棕滋の言葉を、レイは静かに首肯した。

「は? え? 待って。今の言葉でどうしてそこに辿り着くんだよ?」

 そう割って入ったのは颱良で、その隣にいる棠鵺もまた、困惑の色を浮かべていた。

「だって、ほら、禁忌は禁忌だろ? もし仮に、万が一、その異種族で交わったとしても、天罰が下るっていうか……子供なんてできる前に、死ぬんじゃ……」

「恐らく、ほとんどは死ぬだろうな」

「ほとんどって……」

「たまに、本当に稀に、禁忌の網を抜ける奴らは居るんだ」

「つまり、妖精とは、妖族と精霊族の混血種である――と」

「そうだ」

 死を覚悟してでも、愛する相手と一つになりたいと思う者はどの時代にだって存在している。如何に禁忌でもってその行動を制限しようとも、ヒトの普遍的な感情まで制限することはできない。どうせ結ばれないのなら一緒に死んでしまいたいと、そうして禁忌を犯す者は実のところ珍しくない。

「分かっておいて欲しいのは、それでも禁忌は機能しているということだ。迂闊に手を出せば、死は免れない」

 その点について、レイは念を押す。

「だけど、それでも産まれてくる命もある。ただ、そもそも何故混血種を禁じているのかと言えば、それが非常に危険な存在であり、現存の種族では手に負えないから、というところが大きい」

「危険って?」

「神力、法力、霊力、魔力、妖力――その全てが、混血種には効かない」

「は?」

「いや、効かないって言うのは語弊があるな。正確には、殺すに至らない」

「いやいやいや、そんなことって……」

「あるんだ。そういうことが」

 それだけ明瞭に断言されてしまうと、颱良もその事実を受け入れざるを得ない。

「ヒトの遺伝子には、それぞれ抑止力と言うべきものが備わっている――らしい。だが、別の種族と交わることによって、その抑止力が機能しなくなる、というのが今のところ言われている説だな」

 動物でも、異種族と交わることによって、通常の個体よりも成長が著しくなる例は多い。たとえば獅子と虎、馬と驢馬などが上げられる。交わること自体は不可能でなく、子を成すことも可能。しかし、そうしてできた子供は、当然だが親より前の世代とは全く違った生態系を持つようになる。ヒト同士であれば、それは生命力やその内に秘めたるに影響があるとレイは言う。


「両親から授かった、本来交わるべきでない二つの力がその内で化学変化のようなものを起こす。その結果として、既存の力を跳ね除けるような力、或いは、それをも凌ぐような強靭な回復力を手に入れる」


 加えて、そうしたイレギュラーの生物というのは魂が宿りにくい。その多くは生まれてすぐに息絶えるし、無事に魂が定着すればそれで問題ない。だが、魂の宿らぬままに成長してしまうと、自我は芽生えず、本能によってのみ生きるようになる。性善の存在であればそれもやはり問題ない。しかし、中には性悪の存在がある。性悪の存在が、本能のままに世界に跋扈すればどうなるか。言うまでもないだろう。その上、現生人類でその力を抑止することも不可能となれば――


「世界はたちまち混沌に堕ちる。だから異種の血の交わりを禁じたわけだが……」

「それでも、産まれてきてしまうことはある――と……」

 言いながら、棕滋は一つ、溜め息のような深呼吸をした。そして、悠久の時が過ぎても未だ火の痕跡の消えない天井を見る。

「先程、妖精という言葉を聞いたことはあるか、と問われましたが。その言葉自体は知りませんでした。しかし――」

 棕滋は立ち上がって、かつて窓があったであろう長方形の穴の前に立つ。目の前の庭を見つめた後で、レイを見る。

「恐らくはここが、その妖精が生まれた場所です」

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