三.
「思ったんだけどさ、なんか、全体的に小さくないか……?」
ヒトもそうだけど家とか――と付け加えつつ、レイは相も変わらず鋭い視線を向けてくる市民や、その奥に見える家屋を見渡した。
「レイ兄、それはね、
「それ僕の家でも言ってましたよね……」
歩き始めて早数時間。やっと目的地が近付いてきたと思われる頃には日は既に南中に差し掛かろうとしていた。道中は変わらず重苦しいもので、常に注がれるじっとりとした敵意と、時たま聞こえる暴言に至らない程度の小さな言葉の棘が、一行の心身に軽い負担を与えていた。
こんなにも視線を集めてしまうのは、まず第一に、琅果の顔がこの街のほぼ全てのヒトに知れ渡っていること。第二に、妖族の気配がすること。そして第三に、精霊界ではまず見ることのできない大男が、全身黒い衣服を身に纏って、当然のように市中を歩いていることが原因である。寧ろ、その第三の理由が一番大きいだろう。
琅果と棠鵺だけであるのなら、変装するなり人混みに紛れるなりすればある程度は人目を避けられたかもしれない。しかし、レイだけは視覚的にもはやどうにもならない。下手に己を小さく見せようとすれば、その挙動不審さにかえって目立ってしまうし、かといって堂々と歩いていても人目を引かずにはいられない。
そも、七種族の中で最も小柄であると言われている精霊族の世界にあって、反対に最も大柄であると言われている神族が身を潜めるのは至難の業だ。どこかに隠れて大人しくしているならまだしも、市中を歩くとなれば不可能と言っても過言ではない。精霊界にあっては棠鵺ですら長身の部類に入ってしまうのだから、その棠鵺から更に頭一つ分以上も大きいレイは目立って当然だった。
どれだけ人目を憚るように歩いても、どれだけ静かにしていても、またどれだけ城壁の際を歩いても、遠目に見てさえ異常に――それこそ遠近感が狂ってしまうほどに――大きいその人物に、これまで他種族との交流ととことん断ち切って来た精霊族の視線は自然と集まってしまうのだ。
そんな二人の答えを聞いたレイはどことなく納得いかないように――いくもいかないもそれが事実なのだが――「ふーん?」とだけ言って再び足を動かし始めた。
「ところで二人とも、お腹空いてない? 大丈夫? ……って言っても、今は何も用意できないんだけどさ。着いたら何か用意した方が良いのかなって」
それからまた少し進んだ矢先、先頭を歩いていた琅果がふと振り返り、思い出したかのようにそう問いかける。
「俺は、別に……そもそも食う必要もないしな」
「何それやばい」
「あれ? でもレイさん、ご飯食べてましたよね?」
「食えないわけじゃないからな。あと、トーヤの飯は、匂いが違ったから」
「におい? 普通の……って言っても、もちろん文化的な違いはあるけど、でもやっぱり普通のご飯の匂いだったけどなぁ?」
レイの突然の暴露に、琅果も棠鵺も小首を傾げる。
「神界の飯はなんつーか……食わなくて良いなら食いたくないくらいに無味乾燥っていうか……。ただ、トーヤの? 人間界の? 飯は、あぁ、これが美味いって感覚なんだなって思えたからなんとなくそのまま……。スィールとかブリトマータとか、地祇に堕ちた奴らが神界に還りたがらない理由がなんとなく分かった気がする。いや、流石にそれが理由じゃないとは思うけど」
「へぇ~……なんか意外かも。でも、あれ? 前に父様が神界に呼ばれた時に、『今まで食べたどんな食事よりも美味しかった』って大絶賛してたよ」
琅果の父親、ひいては琅果自身の身分については椋杜とのやりとりや、周囲の反応などでレイと棠鵺にもなんとなくとはいえ理解できている。精霊界が鎖界状態にあると言えど、その繋がりを完全に断つことなど不可能であり、定期的に神界や他の界層との意思や情報の共有をする必要があるはずだ。つまるところ、彼女の父親は精霊界の代表として神界に行ったということなのだろう――と、二人は勝手に推察する。
「まぁ、そこは個人差っていうか、気持ちの問題っていうか……?」
「気持ちの問題でそこまで変わりますか?」
「少なくとも俺は、アレが美味いものだとは信じられなかったな。でも、もしかしたらお前たちにとっては美味いのかもしれない」
「そう聞くといつか食べてみたくなるよね。レイ兄、今度神界に連れてってよ」
「機会があったらな」
「やったー!」
「俺はともかく、トーヤ、お前は大丈夫なのか?」
両手を挙げて喜ぶ琅果に穏やかな視線を送っていた棠鵺に、レイがふと声を掛ける。
「え、僕ですか? そういえば、お腹は空かない……ですね?」
改めて問われて初めて気付いたのか、棠鵺は不思議そうに首を傾げた。
「妖族は割と燃費が悪い方だった気がするけど?」
「そうなの?」
「あぁ。特に精霊界だと陽の気が強いから、補うためにも腹が減るんじゃないのか?」
「言われてみれば確かに……いや、でも本当に、人間界に居る時よりも全然空いてないんですよね。普段は定期的に食べないと力が出ないこともあるんですけど。緊張してるからかな?」
「ふーん?」
「そうだよね、慣れない環境で緊張しちゃうよね……ごめんね。よし、じゃあ、安全が確認できたらご飯にしよう! ほら、もう目的地見えてきたよ」
釈然としないように唇を尖らせるレイに反して、琅果は寧ろ納得したようで、棠鵺の袖を掴んで元気に大きな一歩を踏み出す。話しながら歩いているうちに市街地からは随分と離れたようで、周辺には既にヒトは誰一人として存在していなかった。あれだけこちらを注視していたというのに、誰一人として尾行すらして来ないことを些か怪訝に思いつつも、二人は差された彼女の指の先を見る。
そこには錆びれた門と柵――その中にはまるで密林のように様々な木々が鬱蒼と生い茂っていた。ここだけ季節を間違っているのではないかという疑問を思わず抱きたくなってしまうその門を、琅果は何の躊躇もなく潜っていく。
「ひゃっ!」
足を踏み入れた瞬間にぐにゃりとした感触がして、棠鵺は思わず素っ頓狂な声を出す。自身から出たそんな声が恥ずかしかったのか、直後には口を押さえて恐る恐る足元に視線を移した。
「あぁ! ごめんね、このお庭ね、ちょっと沼になってるんだよね。まだこの辺は
言いながら琅果は、棠鵺の手を取る。今度は誰の目も周囲にはない。嬉しそうにはにかんだあと、琅果はそのままその手をぎゅっと握った。
「危ないから、あたしが手繋いでてあげるね」
「え、あ、うん、ありが、とう……」
自分よりも余程小さな少女にそこまで気を遣われてしまっては立つ瀬もない。とはいえ、実際に不慣れな足場で心許ないのも事実で、その心遣いを素直に受け取りたい気持ちと、不甲斐ない自分を恥ずかしく思うのとで、棠鵺はなんとも微妙な返事をした。
「……なんか、獣臭いな」
そんな二人を余所に、レイは密林の奥をジッと見つめる。元々皺の寄っている眉間を更に怪訝そうに顰め、まるで犬か何かのように鼻を動かす。
「そうかなぁ? いや、まぁ、そうだね……ここはちょっと特別な場所だから、そういう臭いもするかも。あたしはまだちょっと分かんないけど」
「特別な場所?」
妖族の特性なのか、
「なんかねぇ、色々飼ってるんだよねぇ。精霊界は基本的にヒトの居住区――つまり街そのものに大型の動物、特に肉食動物は入れちゃいけないことになってるんだけど、まぁ、特例として?」
「それは、これから訪ねるその人の趣味とかで?」
「うう~ん……どうなんだろ。少なくともこれまではそんな趣味なかったと思うけど。去年の秋くらいからかな? いきなり飼い始めてさ。理由を聞いたら、『やっぱ強い動物って良いよな』とか言って、教えてくれなかったんだよね」
「急に動物愛護とやらに目覚めたんじゃないのか? たまに急に何かに目覚める奴とか多いだろ。その、天啓を得たとか何とかで……」
「そういう感じではない、と思うよ? 保護してるっていうよりは、探してる感じっぽかったかな?」
「探してる? 前に懇意にしてた子を、とか?」
「いやぁ? あたしの記憶ではアイツが動物飼ってた記憶はないけどなぁ」
宙を見つめ、自身の記憶の整理をする琅果ではあったが、結局求めていたものを見つけることはできなかったらしい。首を横に振って、その疑問を否定する。
「さっき言ったように、そもそも精霊界は大型の動物を都市に入れることを禁止してるから、たとえ小動物でも飼うってことがほとんどないんだよね。まぁ、アイツの家は交易の総締めみたいなもんでもあるから、昔から
「それは、確かに不思議かも……?」
「ここで話し込んでても分かんないものは分かんないだろ。とりあえず、そいつが味方かどうか、さっさと確認しに行った方が良いんじゃないのか?」
泥濘に足を取られ、黒いボトムの裾を薄い茶色に染めながら、レイは忌々しげに言い放つ。当然ながら、彼の視線の先は足元だ。
「それもそうだね。ここをもう少し行くとちゃんと整備された木道があるから、もう少しだけ我慢してね。これも一応侵入者対策と脱走対策を兼ねてるらしいんだけど、ほんとごめん……」
「まぁ、後で洗えば何とかなるし……」
「何とかなりますかね、それ……」
流石にそこまで汚れてしまっては厳しいのではなかろうか――と言おうとして、棠鵺はその言葉をそっと胸の内にしまっておいた。
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