四.

 琅果の言った通りに目の前に現れた木道を進んで暫くすると、今度はこれまでの鬱蒼とした景色とは打って変わった光景が眼前に広がる。目の前から差し込んでくる光に誘われるように歩みを進めれば、そこには煉瓦のような赤土で作られた家屋――であったであろうものがひっそりと佇んでいた。

 その面積やどっしりとした見事な柱を見れば、かつては美しく立派な屋敷であったことは容易に想像できる。しかしながら、今となっては屋根は崩れ、壁もそのほとんどが剥落し、二階の部屋に至っては長期に亘って雨風に曝されていたことが一目瞭然だ。崩れた壁面の内部からは土が露出し、その土に様々な雑草が生い茂っている。そのためくすんだ赤い壁には鮮やかな緑の装飾が施されており、その有様は見る者に盛者必衰を思わせる。建物の内外がところどころ黒ずんでいるのは経年劣化によるものなのか、それとも他に理由があったのか。いずれにしても、ここが随分昔からヒトの手が入らずに、自然のままに放置されてきた場所であるということが見て取れた。

 進むにつれて濃くなっていった獣臭の発生源は確かにここであるということは分かるのだが、それにしてはその獣が見当たらず、加えて鳴き声なども一切聞こえない。生活感というものを一切感じないその光景に、本当にここに件の人物がいるのだろうかと不思議に思った時だった。レイが「誰か来る」と言って、後ろを振り向いたのは。特段何か変わったことがあったようには思えなかった棠鵺と琅果ではあったが、明らかに警戒の色を見せているレイの姿に、自らもまた気を引き締めた。それから暫くして、がさがさ……と足音が近付いてきた。

 恐らくは目的の人物であろうという予測はつくものの、しかし彼が味方であるという保証も現時点ではないも同然だ。万が一ということを考えて、軽く臨戦態勢を取る。そして現れたのは――

「お、意外と早かったな!」

「颱良!」

 特徴的な白髪を無造作に束ねた、精霊界では珍しいくらいに長身の青年と、その青年に付き従う何頭かの動物たちだった。


「お前が頼ってくるなら絶対俺だろうなぁって思ってたし、実際俺以外はちょっと頼りないからさ。一応ここで待ってたんだけど、入ってきたのは青龍門って言うし、まぁ、まだまだ時間はかかるだろうと踏んで、コイツらの散歩に行ってたんだよ。待たせちまったみたいで悪かったな」

 そう言ってカラカラと笑いながら颱良は自身の腕に留まる赤い羽根が特徴的な、大型の鳥を撫でた。

「いや、あたし達も今来たところだし、その、うん……ありがとう、ね?」

「はっはっは、良いってことよ! 前から言ってただろ? 俺はお前がその言葉を信じてくれただけで嬉しいよ。で? そっちのお二人が今回の客人だな」

 琅果との歓談もそこそこに、颱良は二人の様子を黙って見ていたレイと棠鵺に視線を向ける。腕に乗せていた鳥を地面に置くと、これまでの朗らかな笑顔から一転、至極真面目な表情を作り、姿勢を正す。

「お初にお目にかかります。白讃虎杖・颱良と申す者です。どうぞ颱良とお呼びください。この度は俺の……え~っと、そうだな、妹弟子が世話になったようで、感謝しております。琅果をここまで無事に連れてきてくれたこと、大変有難く存じます。お名前を伺っても?」

 拱手をし、頭を下げてそう問う颱良に、二人もまた警戒心を解いた。

「初めまして、僕はやまなしのぬえと申します。とうや、と呼んでください」

「……レイだ」

「棠鵺さんにレイさん、ですね。かしこまりました。ところで、この口調崩しても良いですか?」

「好きにすると良い」

「ど、どうぞ! それと、僕のことはどうか呼び捨てで」

「いやぁ、助かる。どうも堅苦しいのは苦手で。不調法で申し訳ない。お言葉に甘えて棠鵺って呼ばせてもらうよ」

 言いながら、今度は畏まった態度を改めて、緊張の糸を緩める。ふっと軽くなった空気に、レイも棠鵺も同じく肩の力を抜いた。

「しかし二人とも、いくら琅果が言ってたとはいえ、俺のことよく信じてくれたよな。有難いというか、ヒトが良いというか」

「僕は、その、そこの動物たちが、貴方を信頼していたようだったので、きっと悪いヒトではないんだろうと……」

 棠鵺は颱良の周囲でくつろいでいる動物たちに視線を送り、軽く手を振る。その様子に応えるかのように、動物たちもまた棠鵺をじっと見つめ、ゆっくりと瞬きをした。

「あぁ、そうか。妖族は動物と意思の疎通ができるんだっけ。良いよな、その能力。因みにコイツら、俺のこと何か言ってる?」

「え~っと、そうですね……色々思うところはあるみたいですけど、皆、颱良さんのことを慕って……? いや、その、愛情があるんだなってことは分かります、よ?」

「え、何その微妙な言い回し。俺もしかしてコイツらに馬鹿にされてる?」

「えっと、まぁ、その、手の掛かる子供のようだと思っている子が何匹か、自分が居ないと危なっかしいと思ってるのか、すごく心配してる子もいくらか……何でしょう? 居なくならないで欲しい、みたいな気持ちの強い子が多いのかな?」

「マジか、マジかぁ。えぇ、だって俺、お前らのことちゃんと面倒見てるだろ? そんなに頼りないのかよ。ちょっと傷ついたわ」

 そうは言いつつも、本人の声音も顔も至って楽しげだ。そして颱良のそんな気持ちを理解してかしらずか、動物たちはツンと視線を背けたり、寝たふりをしたりと自由気ままだ。

「あ、でもこの子はちょっと違いますね。おいで」

 そうして棠鵺が手を伸ばしたのは、一頭の虎――の子供だった。

「あれぇ? こんな子居たっけ?」

 伸ばされた棠鵺の腕にすり寄り、そのまま抱き上げられる小虎を見て、今まで黙っていた琅果が不思議そうに声を上げた。

「あぁ、そいつな。お前が人間界に行った直後に連れてきたんだよ。こいつに似てるだろ?」

 颱良は左の袖を捲り上げ、その見事な上腕二頭筋を露わにする。そこにはその硬質な肉体には似つかわしくない、随分と可愛らしい・・・・・白い虎の刺青が施されていた。

「ちょっと! それまだ消してないの!? 信っじらんないんだけど!!」

 見せられて真っ先に反応したのは琅果だ。顔を真っ赤にして、颱良の腕をべしべしと叩くが、颱良は意にも介さずに相変わらず軽やかな笑顔を浮かべている。

「なんというか、すごく可愛い絵ですね……?」

 どう言えば失礼に当たらないのだろうかと考えながら、棠鵺は慎重に言葉を選ぶ。どう見ても子供の落書きのような――それにしては上手い方ではあると思うが――その虎をまじまじと見つめ、現在自身の腕の中に大人しく納まっている虎の子と見比べる。似ている、と言われれば似ている気もするが、元々の絵が絵なので何とも言えない。可愛いことは確かではあるが。しかし、可愛いというその言葉に満足したのか、颱良は自慢げに鼻を鳴らした。

「そうだろ、そうだろ! これはな、俺が昼寝してる隙に、まだ小さかった琅果が俺の腕に落書きしたんだよ。せっかくだからりょ……親友に頼んで彫ってもらってさ」

「イヤ! もうほんっとイヤ! 恥ずかしいから消してって何度も言ったでしょ!? やめてよ、もう、見せないで! 棠鵺くんも見ちゃダメ! レイ兄は何自分は関係ないみたいな位置でこっそり笑ってんの!? バレてるからね!? バレバレだからね!?」

 琅果の怒りの矛先は次々と変わり、終いには一歩離れた場所にいたレイへと飛んでいく。照れ隠しなのか本気で怒っているのかはさておき、琅果のそんな必死な姿が面白いのか、レイはまた少し、小さく鼻で笑う。

「もうもうもう! 皆してこんな幼気な女の子苛めて! ダメだよ、そういうの! 颱良はさっさとその腕しまってってば!!」

「ごめんごめん、悪かったって。っつか、幼気な女の子とか自分で言う方が恥ずかしくね?」

「あたしはまだ幼気な女の子です! 全く恥ずかしくありません!」

「はいはい。……っと、棠鵺が俺を信じてくれた理由は分かったけど、レイ……の兄貴は何で俺が敵じゃないって思ってくれたんだ? もしかしたらまだ警戒されてるのかもしれないけどさ」

 未だ息を荒らげる琅果を適当に宥めつつ、颱良は次にレイの方を向く。

「ん? あぁ、なんとなく……っつーか、俺の右目は、そういう風にできてる・・・・から」

「そういう風に、とは」

 意外な返答に、颱良は興味津々に飛びつく。レイはどう答えたものかと一瞬躊躇するも、言葉を選びつつ、ぽつぽつと語り出した。

「少なくとも、そいつの本質くらいは視える。悪意でもってヒトを騙すような奴ではなさそうってことは分かるよ」

「何それ初耳―!」

 先ほどまでの怒りはどこへやら。既にけろっとした態度で今度は琅果が飛びついた。棠鵺も棠鵺で「そうだったんですか」と驚いたように感心している。

「そりゃあ、言ってなかったし」

「それは、なんつーか、神族の権能みたいな、そういう……?」

「微妙に違うけど、まぁ、そう思ってくれて構わない」

「う~ん……聞くだけなら便利そうな能力だけど、意外と大変なことも多そうな……ともあれ、それで俺のことを危険な奴じゃないって思ってくれたなら、俺としてはこれ以上に嬉しいことはないな」

 先ほどの棠鵺の返答にも、そして今のレイの返答にも満足したのか、颱良は特徴的な犬歯を剥き出しに、豪快に笑った。

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