第18主題 鋭いヒナノさん

「今日は私、ショパンな気分です」


 ショパンな気分とは、いったい、どんな気分であろうか。


「天然」という枠内で、ヒナノさんはショパンを弾く。彼女のお気に入りは『告別のワルツ』だ。偶然にもヒナコさんと同じセレクト。しかし、課題にドビュッシーを選んでおきながらショパンを弾くとは、好き放題である。


 ショパンの恋人として真っ先に名が挙げられるのは、女流作家のジョルジュ・サンドだ。しかし、ショパンには片恋をしていた別の、お嬢さんが居た。彼女に、ひっそりと贈られたワルツが、死後、おおやけになり出版されて、僕たちの耳に届いている。


「ショパンは天国で怒っていないかしら? 秘められた恋心を曲と共に公表される気持ち。先生、想像してみてください」


 ヒナノさんの想像力は尽きない。赤毛のアンも真っ青の発想力と話しぶりだ。僕の答えなど、どうでもいいとわんばかりに、勝手に話して途切れない。


「でも、恋心を秘しておくと熱くて手に負えませんわね。心が焼けてしまいます。発散しなければ。思うに、ショパンという人は内省的シャイだったからこそ、あのように自己の内面に向かう曲が作れたのではないかしら。ワルツOpオーパス.69-1は『告別』と云うより『告白』ですね。とても甘い花粉が飛んで、私たちの頭の中に届いて、お花が咲くのです」


 彼女の発想は、おめでたい。おめでたいとしか云いようが、ない。


 今だって、本当に頭に花が咲いているではないか。の髪飾りは、いったい。


「ウェイトレスの真似事まねごとかい?」


 彼女の茶色い髪におおわれた小さい頭には、白いカチューシャが飾られていた。フリルとレースとブーケを重ねたような装飾品アクセサリー。いつの時代の少女漫画カリカチュアを探したら、こういう人が出てくるのだろうか。分からない。未知の人種だ。


「ウェイトレスだなんて。随分ずいぶん、古風な発想です。本当に30歳でしょうか。もっともっと、すごく年齢上としうえの、優しい、おじいちゃまの領分に達した御方と話しているような気持ちに、なるのですが」


 真実の年齢は53歳だ。おじいちゃまと云われるほど老成していないはず。しかし、少女の勘とは鋭いものだ。


 僕はジェネレーションギャップを悟られぬよう、相槌あいづちを打ち続ける。

 ヒナノさんは、ひとりしゃべってピアノを弾き続ける。


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