77年目の手紙

きさらぎみやび

77年目の手紙

ピンポーンというチャイムの音に玄関の引き戸を開けると、郵便屋さんが困った顔をして立っていた。


「はい、なんですか?」


僕が応対に出ると郵便屋のおじさんはこちらを見て問いかけてくる。


「えーと、あのですね、鈴木キンさんのお宅はこちらでしょうか?」

「はい、そうですけど…ひいばあちゃんは先日亡くなりましたが」

「ああ、そうでしたか。それはご愁傷様です。しかしそうするとこれ、どうしたもんかな…」


汗をかきかき困った様子のおじさんは、見るからに茶色に古ぼけた一枚のはがきを手にしていた。


「なんですかそれ、手紙?」

「ああはい、手紙は手紙なんですけど」


そう言っておじさんはこちらにその手紙を差し出してくる。

受け取って見てみると、確かに宛先が『鈴木キン様江』となっていた。住所もここで合っている。

それは切手も消印も入っておらず、古めかしい字体で「軍事郵便」、そして「検閲済」の文字とハンコが押してあった。


「いったいいつの手紙なんですか、これ」

「昭和18年に出されたようです」

「え、昭和?だって今もう平成も終わって令和2年ですよ?」

「そうなんですよねぇ」


困ったようにおじさんが言う。昭和18年というと、いまから…何年前だ?昭和って何年あったんだっけ、60年くらいまで?考え込む僕をみて察したのか、おじさんが教えてくれた。


「いまから77年前ですね。私もまだ全然生まれてません。日本が戦争をしていた頃です」

「そんな時の手紙がなんで今頃届くんですか?」


それがですね、と申し訳なさそうな顔をしておじさんが説明することには、つい最近簡易郵便局の統廃合があり、物品の整理にあたっていたところ、倉庫の奥から変色した封筒に入ったこの手紙が出てきたそうだ。

住所も宛先も合っているし、当時の検閲印も押されているのになぜか発送されていなかった。

今更出てきてもどうしようもないとはいえ届けないわけにもいかず、おじさんが今日持ってきたということだった。


「とんでもない遅配となってしまい、大変申し訳ございません」


深々と頭を下げるおじさんに、僕に言ってもしょうがないと思いますけどと答えると、ですよねぇ、とおじさんが返す。


「なんにせよ、宛先はそちらのお宅となっておりまして。受け取っていただけませんか」


今日は両親も出かけており、家には僕しかいなかったので、仕方なくそのままその手紙を受け取った。




郵便屋さんが去ったあと、僕は自分の部屋に戻ってまじまじとその手紙を観察する。


送り主は「菅原光男」となっており、送り元は「南太平洋 テニアン島」となっている。肝心の文面については手紙自体が劣化していることもあってかなり読み取りにくかったけど、内容としては簡潔なものだった。


『 前略、内地はお変わりありませんでしょうか。

  こちらの様子は残念ながら詳しくお伝えすることができませんが

  私は元気にやっております。


  遠く離れた地にいることで、

  僕は更に強くあなたのことを思うようになりました。


  初めて書きます。僕はあなたを愛しています。 


 

  ではどうかお体に気を付けて。



                  昭和十八年十一月三日 光男 』 


文面を読み終わってから、しばらく考え込む。

これは…ラブレター、告白の文だろうか。

この菅原光男という人を僕は知らない。僕の苗字は鈴木であり、菅原ではないし、ひいじいちゃんの名前はたしか正雄だ。


そうすると、この菅原という人はひいばあちゃんの恋人だった人だろうか。

しかし初めて書きます、とも書いてある。


両親が帰ってきても、僕は受け取った手紙のことをなんとなく言い出せずにいた。代わりに父親に聞いてみる。


「そういえばうちの苗字って鈴木だけど、ひいばあちゃんて元の苗字なんだったの?」

「あれ、知らなかったっけ。ひいおばあさんのところにひいおじいさんが婿入りしたんだよ。うちが今ある土地も、もともとひいおばあさんが住んでいた家があったところだからね」


それは知らなかった。だからひいばあちゃんの宛名でも手紙が届いたのか。

「菅原光男」って人のことを知っている?とは聞かなかった。おそらくそれは父親も知らないだろうと思ったからだ。

父親が不思議そうに聞いてくる。


「どうしたんだ、急にそんなこと聞いてきて」

「あー、いや、今学校で戦争の時のことを調べてみようって課題があって。詳しく調べる前にちょっと聞いてみようかなと」

「なるほど。でもそういうことを調べるなら町立の図書館に行くといいんじゃないか」

「そうだね、そうしてみる」


それは思いがけないアドバイスだった。もしかしたら「菅原光男」という人のことも調べられるかも。

僕は偶然知ったその人のことがなんだか気になっていた。

おそらくその人は戦地から手紙を送ってきたのだろう。


「あれ?そういえばひいじいちゃんって戦争に行かなかったの?」

「んー、詳しくは知らないけど確か体が弱くて行けなかったとかだったと思うよ」

「あ、そうなんだ。じゃあ戦争の間どうしてたの」

「たしか郵便局で働いてたんじゃなかったかな」


それは。意外なところで郵便局という言葉が出てきた。それは、この手紙と何か関係があるのだろうか。




その週の日曜日に僕は町の図書館を訪れていた。

カウンターにいる司書さんに「ええと、戦争の頃の資料ってありますか?」と聞いてみる。司書さんは郷土史のコーナーに案内してくれた。

いくつかの郷土資料、町の歴史が書かれた本をめくっていると、後ろから声をかけられた。


「鈴木くん?こんなところで何しているの?」


クラスメートの田中さんだった。確か図書委員をしていて、本が好きな子だ。やっぱり町の図書館にも来るんだな。

僕はここに来た目的を簡単に彼女に説明した。


ひいばあちゃん宛に昔の手紙が届いたこと。差出人が『すがわらみつお』という人だったということ。

ひいじいちゃんが郵便局に勤めていたことはなんとなく伏せてしまった。


「不思議な話だね。せっかくだし私もちょっと探すの手伝おうか」


それはありがたい申し出だった。小さい町とはいえ歴史はそれなりに古く、資料としては結構膨大で、慣れない作業に早くも僕は断念しかけていたのだ。


彼女と一緒に資料を当たる。本好きなだけあって彼女のページをめくるスピードは僕の3倍くらいは早かった。

資料を見つけたのも彼女だった。

町の歴史が書かれた本の末尾にこの町出身の戦没者名簿が載っていたのだ。


「ほら、これじゃない。『菅原光男』さんって書いてある。大正14年、1925年生まれだって」


1925年生まれということは、昭和18年、1943年当時だと18歳ということになる。ひいばあちゃんも同い年だと思う。

今の僕らとそんなに年も違わない。不思議な感じだった。とても昔の話に思えていたのに、年齢が近いと思うと急に身近な話に感じられた。

名簿にはそのほか、戦没した年が記載されていた。昭和19年、1944年8月、テニアン島にて戦死。

手紙を出してからわずか1年にも満たない後に、菅原さんは亡くなっていた。


僕は戦没者名簿のそのあまりにも簡潔な一文をじっと見ながら考える。その人は何を思って死んでいったのだろうか。


ふと田中さんを見ると、彼女もじっと押し黙り、何か考え込んでいた。


「どうしたの?」


と聞いてみる。彼女は名簿を見つめてうつむいたまま答える。


「あの、もしかしてこの菅原光男さんて人、私の親戚かもしれない」

「うそ、そうなの?」

「うん、確かうちのひいおばあさんの苗字が菅原だった気がする。確かそのお兄さんが光男さんだった。

 …ねえ、この手紙、なんで届かなかったのかな」


そう僕に問いかける彼女の目はとても真剣だった。

その目の強さに押されて、僕はさっき伏せていた、僕のひいおじいさんが郵便局に勤めていたことを彼女に話す。

話を聞いた彼女が言う。


「それって…もしかして」

「うん、僕もちょっとそう思った。もしかしたらひいおじいさんがわざと届けなかったのかもしれない…」


二人の間を沈黙が支配する。ざわついている図書館も、僕たちの周りだけはまるで透明な膜に包まれたかのように静かに感じられた。

しばらくしてからようやく彼女が口を開く。


「…うん、でも届いても仕方がなかったのかもしれないけどね」


それはそうだ。手紙が仮に届いたところで、そのわずか後には彼は亡くなっている。

考え方によっては、知らなかった方がよかったとも言えるかもしれない。


ひいばあちゃんがそのあとひいじいちゃんと結婚する間までに、どういった経緯があったのかも僕は知らないのだ。


そして二人ともが亡くなってしまった今となっては、もはやそのことは知る由もない。



僕たちは机に広げた資料を片付けると、二人で図書館を後にした。

二人並んでお互いの家までの帰り道を歩きながら、田中さんは僕に手紙を見せてほしいと言ってきた。

僕が鞄から取り出した手紙を彼女に渡すと、彼女はしばらく立ち止まってその手紙をじっと見つめていた。

彼女は何を思っているのだろうか。菅原さんは、ひいばあちゃんは、ひいじいちゃんは、何を思っていたのだろうか。


手紙を返しながら、彼女は僕に「ねえ、鈴木君のひいおばあちゃんに、お線香をあげてもいいかな」と聞いてきた。


突然の申し出だったけど、僕は快く承諾した。なんだかそうした方がいいと思ったからだ。

きっと彼女もそう思ったのだろう。


別にこれでなにかが変わるわけではないし、たぶんなにかが分かるわけでもないとは思う。


ただ、遠い世界の出来事のように思っていた二人、いや三人の生きた時代について、前よりもほんの少しだけ僕は思いを馳せることができるようになった気がした。


もうすぐ夏が来る。

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