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電車が短いトンネルに入った音で目を覚ました。国府津までの道のりで今のトンネルなんぞあったかと思っていると、誰もいなかったはずの前の座席に女性が座っているのがわかった。しかもどこか、脳裏の片隅で見覚えがある。

「あら、洋次郎さん。こんばんわ」

女性は私の名を当てていた。はて何処であったかと思い返してもパッと出てこない。困ったものだ。

「こんばんわ。……失礼ながら、どちらでお会いした方でしたでしょうか」

「まあまあ、無理もありません。洋次郎さんに最後にあったのは何年も前のことですから」

女性はハッキリ答えなかった。まあ少ししたら思い出すだろう。



「それにしても洋次郎さん、この汽車に乗ってらしたとは」

「奇遇でしたね。私もたまたま乗り込みまして……」

「まあまあ。私も偶然に切符を手に入れてしまったものですから」

なんだか話がわからないが、まあ良いだろう。噛み合わない分どこか不気味な印象を持ったが、変な宗教勧誘じゃないことを祈りたい。

電車は進んで行って、今はどの辺か。茅ヶ崎辺まで来ているのだろうか。それにしても途中駅まで随分長いものだと思った。

「洋次郎さんのお母さんまだお元気にしてらっしゃる?」

「はあ。母は宮城の故郷で、未だに大根泥棒と戦ってますよ」

「相変わらずねぇ」

女性はおだやかに笑った。なんだろう、この笑い顔も既視感がある。思い出そうとするも、毎回何か壁のようなものに脳がつっかかる。

「お母さん、もし会えたらお礼がしたかったわぁ。お葬式も秘密にしてくれて、気遣ってくれたんだから」

「母と親しかったんですね」

「親しいって言ったら照れくさいけれど、まぁ、親しい仲ではあったわねぇ」

女性は窓の外を見つめて、何か遠いものを見ているようだった。


車掌の声は聞こえなかったが、どこかの駅に着いたようだ。女性は立ち上がって、「それじゃあね」と言って去っていった。

去り際に、

「お身体大事になさって下さい」

とだけ言った。真顔で言う俺に女性は照れているのか何なのか「そんな大事にする体ないわよ」と返してきた。


駅のホームは闇に包まれていて、降りていく女性もまた、闇の中で見えなくなった。この駅から乗り込んでくる人は誰もいない。


「そうか、名前も聞いてなかったな」

と思って、名前だけでも聞こうと立ち上がる。しかしホームに人影は一切なかった。

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