神サマが死んだ日

深爪之人

1


あの雲の上はどこまでも青い空が広がっていて、そこにいる人たちなとって苦しみなど些細なことかもしれない。しかし、地べたを這いずる私たちはどこまでも続く曇天模様に心の内を写しながら、今日という日を逞しくも見苦しく生きている。


乗り過ごした電車が出た時、私は東京駅のホームで最終列車を待っていた。風は凪いでいても、空気は冷たい。この天井の上が十二月の夜空であることがよくわかるひとときだった。

ほつれかけていたコートのボタンを気にしていると、同じく列車を待とうというのか初老の男が左隣に歩いてきた。見覚えはない。こんな時間に列車を待つ人はそれほど多くないから、少し珍しいものだと感じた。


コートのボタンをいじっていると、内ポケットに入っていた封筒がふわりと地面に落ちて、老人はそれを拾ってくれた。凪いでいたから飛ばされなかったことに助かったと思いつつ、老人に会釈してそれを受け取った。不思議なことに、受けとる間際で老人は私の顔を見ながら声をかけた。

「おやおや、東京からお出になるつもりですね」

心中では驚いたが、その時特に感心はなく顔は変えずに答えた。

「どうも。その通りですが、どうしてそれを」

「失礼ながら、その封筒に書かれている会社は私が昔務めていたところ。そしてその封筒は、異動の辞令がない限り使われないもの」

「これはこれはお恥ずかしい」

老人の言う通り、私は数日の休みを挟んで翌週から地方の支社へ異動する命令を受けたばかりだ。大きな会社ではある。だから老人が何者かはわからないが、偶然に先輩だったということくらいあるだろう。納得した。

老人は言った。

「人生の転機とやらは生きていれば出会うこと必然。然して、気を病むに至る事柄にあらずよ」

「参ったなぁ。お見通しですか」

「あの会社で都内から地方勤務など、よっぽどでなければ辞職みたいなもんですから」

老人はまるで、俺の心の内を見透かしたかのように言葉を作っていた。恥ずかしい限りだが、老人の言う通りこの封筒は解雇通知に近いものだ。平気な顔をしている人は最初から負けを認めた人だけだろう。


私は、生き残れなかったのだ。


そんな自虐で気分を晴らしていると、まもなく列車が来る時間となった。

そのとき、老人は私の顔を見て言った。

「照らし給う」

「は?」

「汽車ですよ」

右を向けばホームに侵入する電車の灯りが眩しく、うわっと思って思わず右手で目を覆った。不思議なことにその電車からは威圧感というか重量感というか、それでいて暖かそうな高揚感のような、とにかく形容し難いものを感じ取った。

大きな塊は駅に止まった。さっき感じた威圧的なものもなくなって、いつも通り扉が開いたので乗ろうとする。しかし奇妙なことに、窓越しに先程の老人が見えなくなっていた。えっと思って振り向いても、そこには誰も居なかった。


車両の中は随分と空いている。自分以外のだれ1人もが居なかったのかどうか定かではないが、怖いくらい静まり返っている。私の目的地は国府津なので少々距離があるから、ゆっくりと座ってのんびりできるのはありがたい。

「奇怪なことだが、幽霊か何かだったのかな」

ふと老人を思い出す。思えば突然消えたことについてまったく謎ではあるが、特に怖い感情は抱かなかった。これもまた不思議なことだった。

向かい合う座席で、誰もいない前席からは熱を感じずに寂しい。少しぼうっとして電車はもう品川を過ぎた辺りだろうと思っていると、急激な眠気に襲われた。これには敵わんし逆らう理由もないと思って、うっつらと眠ってしまった。

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