第6話
一人暮らしのこと。紗友希の挫折。そして、恋人との別れ。気づいたら亜紗希にすべてを話していた。
「別に? 彼氏のことは私も私だと思ってる。やっぱだめだよねえ、ステータス目的で人間関係構築しちゃ」
「私に声をかけたのも、やっぱそっち……?」
「そうよ。悪い?」
亜紗希は下を向いた。
「私の気持ちを理解しろだなんて思わないし、聞き流してくれればいいんだけどね。――私、紗友希の『劣化版』として今まで生きてきたわけ。ほら、似てないけれど私たちって一応双子じゃん。どうして紗友希はなんでもできるのに、有紗は……ってなるわけ」
紗友希の陰に隠れて、みじめな思いをしながらここまで生きてきた。
「でも亜紗希ちゃんには結構感謝してんのよ。――あの紗友希に、ちゃんと劣等感ってもんを教えてくれた」
亜紗希の名前をインターネット検索すれば、小学生、中学生、高校生時代に獲った賞の数々が表示される。数学、物理、読書感想文……紗友希だって子どものころは天才だ、と周囲に言われ続けていたけれど、亜紗希のように全国レベルの功績を残しているかというとそうではないし、入学時の成績だって、亜紗希と比べれば全然大したことがない。
紗友希が亜紗希のことを意識しているということには気づいていた。サークルの新歓で亜紗希という子と仲良くなった、という話をしたとき、紗友希はあのブスね、とつぶやいた。亜紗希は別にブスではないと思う。ファッションセンスにやや難ありで、化粧が下手なだけだ。あんなの、ただの僻みだと思う。
「別に私は紗友希ちゃんに何かしたつもりはないんだけれど……」
「本気で言ってる? ……そりゃあ、あんたは何もしていないんでしょうけど、本物の天才を前にすると、どんな人間も自分が無価値に見えてくることくらい、なんとなく覚えておいてもいいんじゃない? 嫉妬って言葉、聞いたことくらいあるでしょう」
おそらくこの子は、高校時代までも周囲の人間に疎まれてきただろう。それは、この子がどうしようもなく天才で、どうしようもなく他人の心の機微に無頓着だから。正直、亜紗希が全く悪くないとは思っていない。これだけ長い年数を神童、天才として過ごしてきて、よくもまあ、ここまで呑気でいられるよな、と思う。
「とりあえず、私は今、何も持ってないから。……医学部のイケメン彼氏も、家族も、友人も。全部私の周りからいなくなったの。仕方がないよね、私、『迷惑おばさん』だから」
「有紗ちゃんは、おばさんではないと思うけれど? 二十歳にもなっていないよね。私よりも誕生日、後だったような気がしてるんだけど」
迷惑は否定しないのかい。
「亜紗希ちゃん。今までイヤミとか言ってごめん。私は私でこう見えてそれなりにストレス抱えてて、優しいあんたに当たったってだけの話。恨んでもいいし、SNS炎上させてくれてもいいよ、皆がそれを望んでる、きっと」
「しないよ、そんなこと。……私、そもそもSNSにフォロワーいないし」
今時そんな子いる? 私は呆れて冷製パスタをつつく。
「……はい、この話は終わり。ところでずっと気になってることがあんだけどさ」
私は自分で話し始めたくせに、勝手に話題を打ち切った。
「なんで亜紗希ちゃん、ちょいちょいこっちのキャンパスに来てるわけ? そんなに頻繁に、こっちでの手続きが必要なことなんてないでしょう」
確か亜紗希はサークルにも所属していなかったはずだ。
「一般教養の単位を取りに来てるの」
「そんなもん、一年生のときに取り終えてるんじゃないの」
「落とした」
「どゆこと」
「あのね。クラスの子に、宿題のレポート見せてくれって頼まれたから、参考程度にって渡してあげたんだけど、どうやらその子、丸パクリしちゃったみたいで。教授が採点のときに、どっちが大元でどっちがパクリか区別がつかないから、そのようなケースは両方とも0点にしますって」
「……それで亜紗希ちゃんも0点に?」
「そう」
「そんな適当なこと、許されるの?」
私はなぜか憤っていた。後になって振り返ってみると、そのときの私は腹立たしいことや理不尽なことがその辺に転がっていれば、とにかくキレ散らかすといったマインドだったのだろうと思う。
「だって亜紗希ちゃんは、クラスの子に頼まれちゃったら、断ったら気まずくなるのは仕方ないじゃん。宿題を写したクラスメイトもクソだし、そんな適当な採点をする教授も本当にクソ。クソクソクソ。パクリ野郎は退学になればいいし、教授はアカハラでクビになればいい」
「そんな風には思わないよ」
そこまで怒ってくれるのはありがたいけれど。亜紗希はそう言って笑った。
「高校までと同じノリだと勘違いしていた私にも落ち度はある」
「でも、テストじゃないわけだし」
「それも、高校までとは違うのよねー」
そんな話を聞いてぞっとしてしまった。私の学部の授業は提出物はほとんどなくて、試験一発勝負の科目が多かったから、そういったトラブルは生じ得なかった。
「そういう理不尽なのって、亜紗希ちゃんは腹立たないの」
「立つけれど、さすがにクビになれとか退学になれとまでは思わないよ。その子たちが痛い目に遭ったって、別に私には何の得にもならないし」
今まで、正義側に立って他人を評価する人間を嫌っていた。――しかし、自分もそうだったのか。自分にもそういう面があったのか、と今更ながら気付かされた。そのことに妙に安心している自分がいる。どうして、私はそちら側に行けないのだろうとずっと思っていたから。
「……この学校にも、世の中にもいろんな人がいるからさ、私にとっては誰かが悪者でも、その人にとっては私が悪者だし」
亜紗希の行動には、いつも悪気はない。しかし、彼女の行動が他人をイラつかせることがある、というのはなんとなく感じているのかもしれない。――「大学の首席は無神経女……そんな彼女に驚きの制裁が!」を期待する人間の存在を、肌で感じてきたのかもしれない。
そのとき、私は心の底から後悔した。どうして、亜紗希と親友にならなかったのだろう、と。初めて、私の気持ちを分かってくれる人が現れたのに、私は自分でそのチャンスを不意にしてしまった。
翌月。私は新しい部屋で、うんと伸びをした。
1K、オートロック付きの部屋は私だけの城――といいたいところだけれど、もちろん実家の両親からの仕送りはもらっているわけだし、完全に自立したわけではないことくらい承知している。しかし、この生活はこの生活でアリだな、と思っている。
通りすがりに「趣味の悪い部屋」と罵倒してくる姉はいないから、大好きなピンクやアイボリーの家具を置き、今まで集めた服やコスメをインテリアのように飾っている。ちょっとごちゃついて見えるけれど、女の子の欲をぎゅっと集めたこの感じ、悪くはないと思う。
自分の生活を自分で作り上げるのは、本当にワクワクする。家の手伝いもしなさそうな私のことを、高校同期や大学の友人は「一人暮らしに向いていない」と揶揄したし、私もそれに乗っかってどら娘キャラを貫いていたけれど、少しずつ自らの生活が軌道に乗っていくのを肌で感じながら、「こいつらなんも分かってねえな」と心の中で馬鹿にするのが結構爽快だった(こういうところ、瑠璃には「性悪」と笑われてしまう)。
少しだけ、大学生活に変化が訪れた。それは何の変哲もない、ある水曜日の昼下がりのことだった。
「やっと見つけた!」
そう言って近所のカフェでアイスコーヒーを飲んでいた私を捕まえたのは、一つ下の女の子二人――そのうちの一人は佐藤さん、あの新歓の席で好きなインフルエンサーについて話した女の子だった。
「あの、百瀬さん。サトちゃんがずっと百瀬さんと連絡先交換したいって言ってたんです。それなのに百瀬さん、一年生の誰ともLIN〇交換してなかったらしいじゃないですか。困ったんですからね」
「えっと、私?」
「そうです、百瀬さんです。――ほらだって、あの日一番最初にサトちゃんに声かけて、インフルエンサーの子の話してたの、覚えていらっしゃいますよね」
「もちろん、私は覚えているけれど……」
あの日、クラスで一番人気の男子に「二女は怖い」と一蹴されて、私が佐藤さんに声をかけたのは迷惑行為だったのだ、という認識に至っていた。
「サトちゃん、本当はもっと百瀬さんとしゃべりたかったのに、むりやり打ち切られちゃって残念がってたんです」
九割方、友人の方が話していたものの、その横で佐藤さんはうんうんと大きく頷いていた。
そうだ、忘れていた。私は佐藤さんがインフルエンサーKちゃんのプロデュースした服をかわいらしく着こなしていたから声をかけた。佐藤さんはKちゃんについて熱く語り始めた。そんな中、クラス一人気な男子が邪魔をしてきて――
佐藤さんにとって、すっきり成敗されるべきは私じゃなくて、向こうの方だったのでは? なんて。それはたぶん言い過ぎ。
私と佐藤さんはその場で連絡先を交換して、それからというもの、たまに一緒に遊びに行ったり、Kちゃんのイベントに参加したりもした。
「Kちゃんの服に恥じることのないように、私、あと二キロ痩せようと思うんです」
「佐藤さんもともと細いんだから、ほどほどにねー」
なんて言いながら、ダイエット同盟を組んだり。
黒髪ボブの女には「美人同士でつるんでる」「後輩にちやほやされて得意げ」とちょくちょく意地悪を言われたけれど、久しぶりに女の子の友人ができた私は毎日が充実していた。ちょっと面白いのは、黒髪ボブの女は、他の女子にはあまりよく思われていないこと。大して可愛くもないくせにあざとい、と悪口を叩くクラスメイトの愚痴を聞きながら、私は頭を抱えた。女に嫌われる女に嫌われるタイプの女、それが私か。世の中、ヘイトばっかじゃん。
亜紗希とは、それからもなんとなく連絡は取り続けている。
「単位回収おめでとう」
「この半年は大変だった。――主に、二つのキャンパスの移動が。でも、これからはなんとかなりそう」
この調子なら留年は回避できそうだという。
「よかったじゃん」
「本当に」
どうして彼女みたいな天才が、留年だの落単だのといった言葉を口にしなければいけないのか甚だ疑問なのだが、この世の中は要領の悪い人間には厳しくできているのだから仕方がないのだろうか。
「私の家で単位回収お祝いパーティーでもする? 今度瑠璃も来るし――なんてね」
冗談のつもりで口にした一言に、亜紗希はきょとんとしていた。
その週の土曜日のことだった。もともと来訪を予定していた瑠璃の背後に、なぜか亜紗希が。
「来るなら連絡してよ」
「だって、誘ってくれたのはそっちじゃん」
こっちだって材料の準備とかあるんだから、連絡はしっかりしてよねと悪態をつきながら、私はスーパーに出かける準備をする。追加の買い出しだ。もう一人分のハンバーグの材料と、お菓子。
一度壊れてしまった関係だった。――親友になるには、まだまだ程遠い、と思っているし、その部分はうぬぼれてはいけないと自覚している。亜紗希は、愚鈍だ。亜紗希はがり勉で、人の気持ちなんてこれっぽっちも分かっちゃいない。だけど、謙虚で、優しくて、だから私みたいな迷惑人間にもうっかりチャンスを与えてしまったのだ。それならそのチャンスをきっちり利用させてもらうのが、「迷惑女」が唯一為せる、迷惑女らしい、正しい生き方なのではないか、と思っている。
『上位互換』――fin.
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