第4話
それから私とその医学部の男――
たまに女子会に行くと、私の彼氏の話で結構盛り上がる。
「彼氏って医学部なんでしょ?」
「そうだよ」
「いいなあ! 将来安泰じゃん」
「将来って……まだ付き合って三か月だよ」
「ぜーったい、手放しちゃだめだよ! しかしいいなあ。やっぱりかわいい子は違うなあ」
高校からの同級生の
「んで? そいつ、性格はどうなの」
「性格?」
「……そりゃあ、どんなにハイスペックでも、有紗と相性が合わなきゃ、一緒にいて楽しくないでしょ」
「そうね……物静か、って感じかな?」
正直、英明くんの性格なんてまともに考えたこともない。相性だなんて、ぜいたくは言っていられない。医学部でハイスペック、世の中的にはイケメンと称される彼と付き合えるのなら、性格なんてこだわっていられないのだ。私は得体のしれない彼のお気に召すように毎週のスケジュールを組み、明言はされずとも、なんとなくああ、今日はOKだったんだな、とか今日は失敗だったんだな、というのが分かるような感じで評価される。こんなところでも、評価だ。頼んでもいないのに点数をつけられて、勝手に減点されていって、あっという間に0点になったころにさよなら、なのだろうか。それとも、他にかわいい女の子――減点前の基礎点がそのときの私の持ち点より高い女の子が現れたときに、そちらに乗り換えるつもりでいるのだろうか。
私があいまいな返事をしたことを察して、瑠璃はそれ以上彼氏のことについて突っ込みはしなかった。
二年生になっても私と英明くんはなんとか続いていたし、私の「かわいい」は健在だった、はずだった。
異変に気が付いたのは、新入生歓迎会だった。その年は中華料理屋の食べ放題コースで、新一年生を新二年生が囲い、学校生活のことを教えたり、連絡先を交換したり、という会。今年はどんな子が入ってくるのだろうか、と私はそれなりに楽しみにしていた。私の隣に座ったのは、横浜出身のとってもかわいい女の子。実際、二年生男子もその子のかわいらしさに釘付けで、だからといって下手に手出ししようものなら周囲から総スカンを食らいそうな、そういう異様な雰囲気があった。当の本人は、そういった様子にはおそらくほとんど気づいていないようで、先輩とコネクションを作ろうと必死な他の一年生とは対照的に、何もしゃべらずに下を向いていた。おそらく人見知りなのだと思う。
「……あ、それ、インスタグラマーのKちゃんがプロデュースしたブラウスだよね?」
私はその子に声をかけた。それは別にその子を哀れに思ったからというわけでもなく、気を遣ったわけでもない。ただ単に、私もそのインスタグラマーのファンであり、発売してたったの五分で完売してしまったブラウスをゲットしているその子も、私と同じくKちゃんの熱いファンなのではないか、と思ったからであった。
「そうです!」
「そうだよね? やっぱ、ブラウザのF5連打して?」
「そうなんです! 前回は一分で売れたって聞いてたから、もう必死だったんですから」
「いいなあ、私、バイトで無理だった」
「うれしいです、まさか大学にもKちゃんファンの方がいるなんて! 本当におしゃれですよね、私、憧れてるんです」
くすみピンクのシャーリングブラウスがその子にとてもよく似合っていて、こんなにかわいらしい子に着てもらえるなら、Kちゃんも本望だよなあ、なんて思っていたそのとき。
「おい、百瀬。しゃべってないで早くサラダ取り分けろよ」
ふいに名前を呼ばれて振り向く。冷たい目をした同級生が私のことを見ていた。
「あ、ごめん」
「一女に対抗するのもほどほどにしろよ」
「対抗?」
「いいから、早くしろよ。……ごめんね、二女が怖くて」
「別に私、そんなつもりじゃないから」
きつい口調で私のことを責めてきたのは、いつの間にかあの黒髪ボブの女と付き合って、つい二か月ほど前に別れたというあのクラスで一番人気の男。もともと仲が良かったわけではないし、そもそもあいつは黒髪ボブの女のように、サバサバしているように見えて、気が利くタイプの子が好みなのだろうけれど、私が他校の医学部男子と付き合っているという噂が流れたあたりから、特に風当たりが厳しい。「男に好かれることばかり考えているあざとい女」や、「将来男をATMにすることしか考えていない馬鹿女」というレッテルを貼られたときに、私の周りから離れていったのは女子ではなくて、男子だった。冷静に考えてみればそれは当たり前の話。
「……まあまあ、有紗ちゃん。あいつも会を盛り上げようと必死なんだ、許してやってよ。ほら、よくあるじゃん、二女は一女の若さに嫉妬しちゃう、みたいなネタ。そういうやつだよ、あんまり深く考えなくていいんだって」
こっそりと耳打ちしてきたクラスの男子は、いつも私のことをちやほやしてくれて、ノートを貸してくれたり履修の相談に乗ってくれたりした子であった。その子の口調の端々ににじむ「この女、プライドが高くて面倒くさいな」という想いを感じ取ったときに、私の「かわいい」はこのコミュニティにおいては無力となってしまったのだと実感した。私は二女の中では、かわいかった。しかし、一女にかわいい子がいたら意味がない。二女のかわいいと、一女のかわいい。――隣に上位互換が並んでいたときに、どうして二番手以下に優しくする必要がある?
それから私は新入生に必要以上に絡むのはよして、ひたすらオーダーと相槌に集中した。何も話さなくていいのはとても楽だ、と思ったけれど、そういうわけでもなく、話に置いてきぼりになってしまっている新入生がいたら、それとなく話を振ってあげるとか、席替えがあったときにかわいらしい新入生女子がいたら二年生男子の輪に入れてあげるとか、そして話す話題がなくなったら二年生女子はおばさんだ、というネタに明るく突っ込むとか、そういう役回りを期待されていることは分かった。必死に去年の先輩方の様子を思い出してそのようにふるまうけれど、私はどうしてこんなことをしに、参加費三千円を払ってきているのだろう、と思ってしまう。私はなんのためにここに来たんだ? 楽しむためではなかったのだろうか。それとも、大学特有のこういうノリを楽しめない私が、ダメな子なのだろうか。私にはこれくらいしかないのに。姉と比べて頭が悪いのだから、人間関係だけでもちゃんとしなければならないのに。せめて、「かわいい」くらいは保つべきだったのに――
中華料理屋での一次会が終わり、希望者だけが二次会に参加する流れとなる。私は実家生が使える鉄板の言い訳、「門限があるから」を発動して、踵を返す。
「有紗ちゃん、方向同じだよね? 一緒に帰ろう」
声をかけてきたのは、黒髪ボブの女だった。
「あれ、充希ちゃん、二次会は行かないの?」
「行かなーい。なんか、疲れちゃうからさ」
「意外。そういうの、結構好きそうなのに」
黒髪ボブの女は、今日も多方面に気を配り、出すぎず引っ込みすぎず、上手に周囲を楽しませてきたのだろうか。それだけ頭も体も使って動いていれば、二次会に参加することができないほどに疲れてしまうのも納得できる。
「どうだった? 新入生の子」
「どうって? ……いろんな子がいたね」
あまりにざっくりとした問に、私もざっくりとした答えしか返せなかった。こういう質問をするとき、人は大抵何かしらの正解を心の中に抱えていて、相手がそれを口にするのを待っている。しかし、私は頭が悪いから、「正解」を導き出すのが苦手なのだ。
「有紗ちゃん、あのかわいい子としゃべってたでしょ? なんだっけ、佐藤さんって子」
黒髪ボブの女はそう言って私のことを嘗め回すように見つめた。
「好きなインフルエンサーの話で盛り上がっちゃって」
「やっぱりかわいい子って、かわいい子同士で固まるよねーって思った。しかもインフルエンサーの話? ミーハーだよねえ」
同じクラスに配置されてから今までの一年間、黒髪ボブの女と一対一で話したことがなくて、彼女がどんな子なのか分からずにいた。――しかしこのとき、「この子厄介なタイプだ」と感じたことは否めない。なんだろう、男子が好みそうな女子って、おぼこくて、性格は良くて、気は利くけど純粋そうなイメージがあったから、意外だった。
「……なんか、ごめん」
「ごめんって? ……それにしても『かわいい』って言われたときに謙遜しない人、初めて見たー」
それから、電車の乗り換えまでの間、私はずっと黒髪ボブの女にイヤミを言われ続け、ボロボロな気持ちで夜の渋谷を歩いていた。どう、これですっきりした? 私は誰にともなく、呟いた。私みたいな「迷惑客」な人間、こうやって成敗されるべきなんだよね。「顔の良さだけでちやほやされる傲慢女子――新入生歓迎会で驚きの制裁が!」みたいな。クラスで一番人気の男子にズバッと一喝された私を見たとき、どのくらいの人がスカッとしたのだろう。私にイヤミを言っている間、黒髪ボブの女はどんなに優越感に浸っていた? 外見ばかりで中身のない女の横に、若くてかわいい一年生女子を座らせたのは、わざと?――
帰宅したら、母に怒られた。
「遅くまでどこほっつき歩いてるの」
あらかじめ決められていた門限の三十分前。怒られる筋合いはないものと思ったが、とりあえずごめんと謝った。
部屋の奥から、姉の泣き声が聞こえてきた。
「お父さんは、医学部の辛さなんてなんにもわかってない!」
母の不機嫌の原因は、姉にあるのだ、ということはすぐに分かった。
自室にこもって、こっそり姉と両親の話し合いの様子をうかがう。――紗友希は、大学を辞めたいと言っているらしい。
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