第3話



 その日帰宅すると、姉がテレビを見ていた。混雑したスーパーマーケット、不機嫌そうに列に並ぶ客に困惑した表情を浮かべる店員、そして店員の前にかごを差し出し、飄々とした表情を浮かべる妙齢の女性が映し出される。


“順番を守らないスーパーの迷惑客……60秒後、驚きの制裁が!”


 私は反射的にリモコンを手に取り、電源を切った。


「なにすんのよ、観てたのに」

「ごめん、癖で」

「あんたのそのわがままな性格、どこに行っても嫌われるよ」


 私はだまってリモコンを姉の横に置き、その場を離れた。自分でつけて行けよ、という罵声が聞こえたが、無視した。

 私はこういうコンテンツが苦手だ。悪い奴が痛い目に遭ってスッキリ、みたいな。たまに心を許した友人にこの話をすると、「分かる分かる」と共感してくれることがある。しかし彼女たちはその後、必ずこう言うのだ。――ああいうのってさ、スッキリできるまでのエピソードのもやもや感が強すぎて、むしろそっちが勝っちゃうのよね、と。そう言われるたび、違うと叫びたくなる。そういうヤツらは、むしろ私とは対極の位置にいる。違うのだ。私がこういうコンテンツを嫌うのは自覚があるから。――「自分は、制裁を受ける側」だと。

 たとえば、バーベキューの買い出しに行ったら、なるべくきれいな、傷のない商品を無理にでも選びたいと思う。手前に置いてあったナスを軽くチェックし、傷があるのを見つけた私が奥の方に置いてあったものと交換する様子を苦々しい表情で見ていて、「有紗ちゃんってそういう細かいの気にするタイプなんだ」とこぼした男がいた。ちまちまと肉や野菜を焼くよりは、男の子と日陰で楽しくおしゃべりしてなんとなく過ごしていたいし、嫌いな女には優しくできない。そういう小さな、醜い欲をどうしても捨てられない。そんな私はチンケなミニドラマに出てくる「迷惑客」とよく似ているな、といつも感じている。皆、私みたいなやつが痛い目に遭うのを心待ちにしているんだ。そう感じるたびに、いたたまれない気持ちになる。

 でも、ふと疑問に思う。皆、そういう欲を簡単に捨てられるものなの? と。どんなときでも、自分の利益ではなく、道徳的に正しい行動を選択し、他人に何一つ迷惑をかけずに一生を終えられる人間は、果たしてこの世にどのくらいいるのだろう。――いいなあ、と思う。こういうコンテンツを心地よく消費できる傲慢な人間に、私もなりたかった。そういう意地悪なものの見方しかできない私は、やはりテレビに映る迷惑おばあさんとよく似た表情をしているけれど、どう見たって私の方がずっとかわいい。

 それからの私は一生懸命バイトしたお金でコスメや新作の服を購入し、ダイエットにも励んで、より一層自分の見た目に磨きをかけた。誘われた合コンにはなるべく参加したし、男子の前では無理にでも愛想よくふるまった。誰かに、「お前は魅力的だ」と証明されたかった。見た目だけを褒められるのはあまり好きではなかったけれど、それしか魅力がないのならこの際仕方がない。私は私の強みで、姉や、黒髪ボブの女や、周囲の人間を見返してやるんだ、と思った。そうだ、医学部の彼氏を作ったら姉を見返せるのではないか? 医学の道を歩むことに多大なるプライドを抱く姉をがっかりさせるには、それくらいしか手段がない。「医学部? ああ、うちの彼氏と一緒ね」みたいな。

 亜紗希の伝を利用することは考えた。一度だけ、田口という学生と引き合わせてもらったことはあるが、失敗に終わった。彼に彼女がいることは有名だったが、まさか本当に、恋人への義理を貫くような大学生がこの世に存在するとは思っていなかったのだ。彼女も美人だということは聞いていたから、面食いなのかな、みたいな。じゃあワンチャン私でもいけるんじゃね、なんて甘い考えのもと勝負に挑み、ただ恥をかいて終わった。亜紗希はそもそも友人が少なかったから、それ以降、私に医学部の男子を紹介してくれることはなかった。本当に儘ならない。

 ただ、亜紗希と友人でいることに、ひとつだけメリットがあった。彼女と一緒にいると、ある種の承認欲求が満たされるのだ。彼女は頭は良いかもしれないけれど、とても不器用であった。友だちを作るのにも一苦労、メイクもへたっぴで、いつだって自信なさげな、不安げな表情を浮かべている。私がちょっとサークルや合コンの話をすると、いいなあ、有紗ちゃんはすごいなあ、なんて言いながら本当に尊敬するような目で私のことを見るのだ。そんなとき、私は決まってこう言うのだ。


「亜紗希ちゃんも、もっと頑張りなよ」


 しかし、髪の毛の巻き方を教えてあげようか、とか、友だちを紹介してあげようか、と提案する度に、彼女は「私はいいや」と困ったような笑顔で断る。私なんかが頑張ったって仕方がないよ、と亜紗希が謙遜する度、私は歪んだ優越感に満たされる。姉より頭が良いくせに、私よりよっぽどダメダメじゃない。そういう想いを口に出したことはないけれど、亜紗希のダメな部分や、弱い部分を見つけることがいつしか私の細やかな楽しみになっていた。



 大学に入学してから一年が経とうとしていた。私は高校同期が誘ってくれた合コンに来ていたある男性と付き合い始めることになる。その人は出会った当時他大の医学部の二年生で、私の一個上。約束の時間に一時間ほど遅れてきた彼を決してイケメンだとは思わなかったけれど、身長は高く、はっきりとしたソース顔で、なんというか「存在感のある人だな」という印象だった。


「有紗ちゃんって、彼氏とかいるの? もしいないんだったら、今度一緒にお食事とかしようよ」


 どうして、この人たちってこうなのだろうと思う。周囲には自分の同級生や、友人や、他の女の子だってたくさんいるというのに、気まずさも恥ずかしさも感じる様子もなく、こういうことができてしまう浅はかさに辟易する。こういう傲慢な人間は大嫌いなはずなのに、私はいつだって彼らから逃れられない。

 いつも他人を無能だと見下している姉。

 他人に興味を持とうとしない亜紗希。

 そして、時間も守らず、好みのタイプの女を捕まえることしか考えていない彼氏――誰かに対する嫌悪を、別の誰かとの関係で埋めようとする。私のそういう生き方は、どうやら同じ類の苦手な人間を呼び寄せてしまうものらしい。

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