第7話




 季節は過ぎ、東京に来て2度目の春。2年生になった私は、新入生オリエンテーションの係として駆り出された大学のキャンパスで、あんぐりと口を開けていた。――あの人が、いたのだ。


「……お久しぶりです」


 決まり悪そうに挨拶してきたのは、高校時代の元彼、藤田くんだった。ふと、彼のくれたネックレスをつけていたことを思い出し、慌ててそれをブラウスの中に隠そうとする。藤田くんは当然気づいたはずだけれど、あくまで気に留めない様子で居た。



「……決して、亜彩希さんを追いかけてきた訳ではないんです」


 後日、食堂で一緒になった藤田くんは、この大学に来た経緯を教えてくれた。


「でも、亜彩希さんが勉強を頑張っている姿、そして東京へ羽ばたいた姿に影響されたってのは否めません」


 東京へ羽ばたく、という言葉が自分に合っているかどうかは、謎である。私、東京で何してる?


「だから、本当に感謝しています」


 高校生だったあの頃の澄んだ目は、今も変わらなかった。私のことを好きだと言ってきたあの日、彼の澄んだ目に圧されて付き合い始めたのを思い出す。


「そんな、感謝なんて。……早いよ」


 そんな彼の純粋さに水をさす。


「だって藤田くんさ。まだ、東京に来て何も始まってないじゃない? 東京に来たから偉くなれるってもんでもないだろうし、もしかしたら、こんなところ来るんじゃなかったって後悔することだってあるかもしれない」

「……たとえ、この選択自体は失敗に終わったとしても、僕の視野を広げてくれたこと、それ自体に感謝しているんですよ」


 ふと思い出した。藤田くんはこうやって、優しい笑顔を向けてくれて、私のことを全肯定してくれるんだ。私は彼と居ると、彼のことだけでなく自分のことも好きになれた。そういう人間関係に、憧れ続けている。


「……ごめんなさい。感謝はしています。でも別に、そんなことを伝えたかったわけじゃなくて」


 藤田くんは、少し寂しそうに笑った。


「本当は、まだ全然、未練たらたらなんです」






 こんな妙な偶然あるのかと思ったけれど、藤田くんとの復縁直後のある日、有紗にも彼氏ができたとの報告を受けた。他大の医学部との合コンで、好みの子が居たとか。有紗との数ヵ月ぶりのカフェランチ、しばらく距離を置いていただけに、ちょっと居心地が悪い。


「亜彩希ちゃんも、早く彼氏見つけなよー。なんなら、私が紹介してあげようか? そんなに腰が重いようだと、いい人はすぐに取られちゃうからさ」


 白い服に跳ねても目立たないように、という理由だけで選んだカルボナーラスパゲティが、やたらと重く感じた。この期に及んでお節介か。


「報告してなかったけれど、実は私も彼氏居るんだ」

「へえ。同じ学部?」

「まあ、そうね。学年は違うけど」

「……」


 有紗の顔から、薄ら笑いが消える。――どうして、この子は医学部にそんなにもこだわるんだろう。


「私の話はどうでもいいの。今日は有紗の話でしょ? いい人見つかってよかったよ」

「それはどーも」


 話を反らす。有紗は有紗の幸せについてだけ考えてくれればいいのである。


 それから小一時間、私の狙いどおり、有紗は自分の彼氏のスペックについて語った。帰国子女、理数系だけでなく英語もできる。イケメンで、身長も183cmくらいあるという。私は、自分が有紗ほど無知じゃなくて良かった、と思う。人は、自分が想像している以上に他人に興味がない。そのことに成長過程で気付くことができた私は本当に幸運で、気付くきっかけを与えられなかった有紗は、可哀想な子なんだ。楽しそうに話す有紗の言葉に相づちを打ちながら、私は来週提出期限の生化学の課題について考えていた。


 心ここにあらず、といった様子なのがバレたのだろうか。ふと気づくと、有紗がやや不満げな顔をしていた。


「……あのさ、亜彩希ちゃん。余計なお世話だったらごめんだけど、そのブラウス、亜彩希ちゃんには似合ってないと思う」


 白地に、黒のパイピングの施された、ボウタイ襟の服。藤田くんとの再会の日にも着ていたものだ。


「亜彩希ちゃんは、何て言うか、王道ガーリーっていうより、もっと個性的な服着た方が似合う気がする。今度、一緒に買い物行こうよ! 私が、デートにぴったりな服、選んであげるからさ」


 ありがとうとワンクッション。


「でも、もうすぐ実習が始まって忙しくなるから、予定が合えば、だね」


 私は、私のセカイで生きていく。別に、虎の威を借るつもりもない。



『虎の威も借りたい』――fin.

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