第4話
「夏子は、他人の気持ちを汲み取って行動することができる。それは考えすぎだよってくらいに相手の気持ちを考えて、皆が喜ぶようにって。だからこそ、亜彩希ちゃんのお母さんは、貴方と亜彩希ちゃんを仲良くさせたいって、いつも言ってたの」
「亜彩希のお母さんが?」
そういった話は、聞いたことがなかった。きっと母は、亜彩希のお母さんにもぺこぺこしてるんだと思っていた。貴方のお子さんは天才です、私の娘と違って、と。
「亜彩希ちゃんはしっかりしてないところもあるから、夏子と遊んでいれば安心だって、いつも言ってた。夏子、貴方幼稚園の頃、よく亜彩希ちゃんのこと探しに行ってたじゃない」
幼稚園の先生の目を盗んで、すぐに教室から居なくなる亜彩希を探すのは、私の役目だったから。
「大人がどんなに亜彩希ちゃんのことを探しても、見つけられなかった。でも、亜彩希ちゃんのことをちゃんと見ている夏子には、それができた。亜彩希ちゃんが何を気にして、何を気に入って、どこへ行こうとするのか、予想がついたからだよね」
もし、その話が本当だとしたら。
「なくしものも、よく見つけてあげてたよね。亜彩希ちゃんだけじゃなくて、いろんな友だちの。それも、夏子がちゃんと皆のことを見てるから」
そんなことが、本当に特技だと認めてもらえるのだとしたら。
「亜彩希ちゃんのお母さん、いつも言ってた。夏子のこと、少しは見習えって言い聞かせているって」
本当にそうなのであれば、あの日亜彩希が私に放ったとんちんかんな言葉も説明がつく。――夏子。気付きなよ。本当に相手を見下してるのはアンタだよ、と。
そのとき、インターホンが鳴った。母が駆け寄り、応答する。
「はい」
『遠藤です。夏子さん居ますか』
懐かしい声が聞こえてくる。どうして亜彩希が?
「ちょっと待ってね」
母の目配せに応じ、私は玄関へと向かった。
「えっと、なんか用?」
母の話を聞いたところで、今さら感はぬぐえない。だって亜彩希は1年前「おしまいだ」と言ったのだ、私たちの関係を。
どこへ向かっているのか分からない。私はただ、亜彩希の歩く方向へと足を進めているだけだ。
「今日の深夜バスでここを出るから。一応、挨拶」
自分の失礼な態度は棚にあげつつ、亜彩希のドライな返事にイラつく。好きにすればいいのに。終わりを告げたのはアンタなのに。
「一番、お世話になった友だちだから」
亜彩希はそう続けた。
「おしまいって言ったくせに」
「そう。もうあんな関係、おしまいにしたかった。だってさ、気づいちゃったんだ。――ウチらは一緒に居ると、自分のことが嫌いになるんだ。夏子も私も」
亜彩希の頬に浮かんだ微笑みを、ぶん殴りたい気持ちになる。
「一緒にしないで。亜彩希には分かんないよ、どんなに授業を一生懸命聴いたって頭に入ってこない私の気持ちは」
「どんなに頑張って友だちを作ろうとしても、嫌われるばかりの私の気持ちを、夏子は理解することはできないよね」
「……そんな簡単なこともできないくせに、勉強ができるだけで神童だの、天才だのってもてはやされて、バカみたいってずっと思ってたから!」
「自分よりずっと成績が下の子の爪の垢を煎じて飲めだなんて笑っちゃうって思ってたよ」
亜彩希の笑顔は崩れなかった。
「勿体ないね。夏子と私、上手くやれば最高の友だちになれたかもしれないのにね」
勿体ないのかな。
「足りないところは補いあって、お互いにお互いの見えている景色を見せ合えたらサイコーなのにって、ずっと思ってたんだけどなあ」
そうつぶやいて、亜彩希はまた、ひたすら歩き続けた。彼女のスプリングコートのベルトがほどけて、ひらひらと風に揺れていた。私はそれが無性に気になって、リボン結びを施す。ありがとう、とお礼を言えるようになっただけ、亜彩希は子どもの頃から成長している。
幼稚園から小学生にかけて、よく遊んだ児童公園。当時こそ私たちを含め、たくさんの子どもが遊んでいたけれど、それから10年以上経った今は、近所にもっと大きな公園ができ、ひたすら閑散としていた。
嫌な想い出の場所でもあった。幼い頃、亜彩希がここにあった大きなジャングルジムから転落して、病院に運ばれたのだ。そのジャングルジムも、今は撤去されている。あの日、私は母にしこたま怒られた。どうして亜彩希ちゃんを止めなかったのか、と。どうして私も一緒になって高いところに登って遊んでいたのか、と。あのとき私は自覚した。私が、亜彩希の尻拭い役をしなければならないのだと。私は亜彩希と違って「しんどう」でも「てんさい」でもないから、大切な亜彩希のことを守らないといけないのだと。
「おっ、撤去されてる。私が未来の子どもたちから遊具を奪った」
反省の色も見せずにそんなブラックジョークを口にする亜彩希に、イラつく。
「……人がどれだけ」
「そりゃあ、夏子も怒られるよね。一歩間違えてたら、私じゃなくてアンタが怪我してたんだし」
亜彩希の口から聞かされた言葉は、私が忘れていた――いや、忘れたかったものだった。
「でも私、あの日のことそんなに後悔してないんだ。夏子の大切にしていたネックレスをキャッチしようとしたの。後悔していないっていうか、そのように行動できた自分の気持ち自体は、ずっと大切にしたいなって」
ま、冷静に考えれば軽率だけどね、と彼女は呟いた。
あの頃の私は、いつも琥珀色のとんぼ玉のついたネックレスを大切につけていた。遊具で遊ぶときは、危ないから外しなさいと母に言われていたので、ポケットに入れていたのだ。
「夕方の空の、昼と夜のあいだをかんさつしたい」
だからなるべく高いところでお空をじっくり見るのと言い、ジャングルジムに登った亜彩希に付いていった。その頃の私は「観察」なんて言葉は知らなかったし、夕方の空に興味があったかというと、まあ、そんなになかった。しかし、彼女に付いていった。
ただ、「亜彩希がすることなら面白いに違いない」と思って。
てっぺん付近で足をあげたとき、お尻の感触でネックレスがポケットから滑り落ちようとしていたことに気がついた。
「あ」
そう叫ぶや否や、気づいた頃にはなぜか亜彩希が地面に倒れていて、ぶつけた頭を抱えて大泣きしていたのだった。
結局、とんぼ玉のネックレスは騒動に紛れて失くしてしまった。それでよかったと思う、そんなものを持っていたって、あの日を思い出して苦しいだけだ。
「ブランコ、今の私の体重でも壊れないかな」
「壊れはしないはずだけど……やめときなよ。ヒールなんだし」
しかし、私の言葉を無視して亜彩希はブランコに飛び乗った。徐々に、勢いをつけていく。私も、隣のブランコに腰かけた。
「ちびっ子が来たら教えて、すぐに降りるから」
亜彩希の指示に、頷いた。彼女のポニーテールが、揺れていた。
「でもさー。人の役に立ちなさいって言うけれど、それって死ぬほど難しくない?」
唐突にそんなことを言い始めた、亜彩希。
「どうして、急に」
「いや、小さい頃を思い出して。ジャングルジムの件も、夏子に喜んでもらいたくてとった行動のせいで、結局夏子が怒られてるしさ。勉強教えようったって、結局先生にバレて怒られるしさ。役に立つどころか、邪魔してるじゃんね」
「別に、アンタが私の役に立つ義理は無いんじゃないの」
「冷たいなあ。あるでしょ。大有りだよ。いつも公園でひとりでいた私に声をかけてくれたときから、ずっと有るんだよ」
それに私、親からずっと言われてたんだからね、と前置きをして。
「夏子ちゃんはいつもアンタに優しくしてくれるんだから、アンタも夏子ちゃんにお返しをするのよって」
人とお互いに助け合って生きましょう。皆簡単にそういうけれど、それってめちゃくちゃ難しいことだ。
「……どうしたら良かったんだろうね?」
思わず口をついて出た言葉を、亜彩希は笑い飛ばした。
「どうもこうも、ないよ。まだ子どもだった私たちには難しかったってだけの話。――だから、東京で成長して帰ってくるから」
亜彩希がブランコから飛び降りたので、ヒヤリとした。ヒールが折れていた、ほら言わんこっちゃない。
「私らしく、でもちゃんと人の役に立つ人間になって帰ってくる」
医学部に進む彼女は、どんな医者になるのだろう。
「今までの私たちの関係は『おしまい』になるけど」
傷つけ合うだけの、子どもで不器用な関係から、卒業するときが来た、ということか。
「……だけど、ここに帰ってくるまで、私のことを忘れないで」
そう言い放ち、亜彩希はこちらを振り返った。
笑顔だった。でも、今まで見ないようにしてきた琥珀色が、揺れていた。
私は、それから目を反らさない。絶対に、反らさない。
『神様のウチのおとなりさん』――fin.
next→『虎の威も借りたい』
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