第2話
高校2年生、12月。雪の降る朝、私は珍しく髪を整え、なんならほんのりとピンクのリップを塗って登校してきた亜彩希に「そんなの似合わないよ」なんて失礼なことを言って、彼女は「知ってた」とまるで気にしないふうを装いながら、羞恥で顔を赤らめていた。何があったのかは知らない、しかし彼女がそのようにするっていうことは、なにかしら理由があったのだろう。好きな人ができたのかもしれない。彼女の普段の態度から、そのような姿は想像がつかなかったけれど、高2ともなれば、そういう浮いた話があっても不自然なことではない。
ただ、そのときの私は亜彩希のそんな様子が気に入らなくて、「全然似合わないよね」と斜め前の席に座る女子に同意を求めた。その子はあいまいに微笑んだ。
亜彩希は別に、私なんかに嘲笑われたって、自分のあり方を変えるような人間ではないのをよく知っている。だからこそ、私の発言によって彼女の頬が赤らんだことに、一種の快感を覚えた。
放課後。私は部活をサボり、いつものグループと、いつものように暇をもてあそんでいた。
「ねえ、私見ちゃったんだ。さっき、屋上で遠藤さんが彼氏を振ってるの」
突如教室に飛び込んできた、同じグループのゴシップガール・美奈子が、興奮気味に話す様子を見て、私はえ、と声を漏らした。
「彼氏って?」
「あれ、夏子知らないの? ――遠藤さん、彼氏いたんだよ、1つ下に」
知らなかった。そして、悔しかった。どうして私に教えてくれなかったのか。どうして亜彩希が、親友の私に隠し事をしていたのか。どうして気付くことができなかったのか。
「……何て言ってたの」
「うーん、詳しくは聞き取れなかった。でも、東京がどうの、とか言っていたように聞こえたのよね。遠藤さん、もしかしたら卒業後、東京の大学に行くんじゃない?」
遠距離になるから身を引いたんじゃないかなと憶測をのべる美奈子の横で、私は固まっていた。
亜彩希が東京へ。――当然だった。いや、分かっていたとすら言っても良かったと思う。だって、亜彩希は特別なのだ。この狭い田舎町で、くだらない同級生に嘲笑われながら生きるより、東京の優秀な大学を出て、その頭を生かした生き方をする方が絶対に幸せになれる。彼女が私たちと同じ生き方をするだなんて、想像すること自体が傲慢だった。
しかしそれでも、どうして一言も私に報告がないんだよ、と思った。どうして、アンタの親友は私しかいないのに、どうして他の子が知っていて、私が何も知らされていないの。ただそのことに、腹が立った。
それから1週間ほど、亜彩希と口を利くことはなかった。当たり前と言えば当たり前で、私と亜彩希は「親友」だけれど、私の方から声をかけなければ彼女からこちらに絡んでくることはほぼなかった。結局、彼女は私をバカにしているのだと思う。私が「うちら親友だよね」と問いかければ否定はしないし、腕を絡めれば、振り払うこともない。だからたぶん、私たちはやはり「親友」なのだろうけれど、そこには上下関係があって、どうやら私は亜彩希に親友で「いてもらっている」ということらしい。でもさ、と思う。
亜彩希は、勉強しかできないじゃん。私以外に友人もできないし、すぐに女子に嫌われるし。――すぐに、居なくなっちゃうし。
その日の朝は久しぶりに、始業前に亜彩希が教室にいなくて、ふうん、ついに高校皆勤賞を逃したか、なんてのんきに構えていた。
「大変です! 遠藤さんが」
そう叫びながら教室に飛び込んできた、遅刻常習犯の男子に、注目が集まる。
「遠藤さんが、どうしたの?」
「遠藤さんが、そこの階段の下で倒れていた」
私に注目が集まる。――それくらいには、私と亜彩希はいつも一緒にいるのだ。
「加藤さん、なにか知ってる?」
「知らないです、今日は会ってもいないし、話してもいないし」
なぜか、言い訳がましくなる。――本当に幼い頃から、私は亜彩希の面倒見役だった。極端に自由人な亜彩希は幼稚園生だった頃、しょっちゅう行方不明になった。そんな彼女を見張っているのも、いなくなったときに探すのも、私の役目。
どうして亜彩希ちゃんと一緒にいてあげなかったの。
亜彩希ちゃんに気を遣ってあげなきゃダメでしょ。
彼女になにかがある度に怒られるのは、おとなりに住む幼馴染みの私だった。
高校生になった今、さすがにそういう扱いをうけることはほぼなくなったし、亜彩希自身が危険な目に逢うことも減ったけれど、いまだに私は身構えてしまうのだ。
「たぶん遠藤さん、階段から落ちたんじゃないかなって。それで保健室に連絡して、とりあえず運んでもらったけれど、意識がなくて」
私は、教室を飛び出していた。私は別に、亜彩希のことを心配しているわけではない、断じてない。これは、幼い頃から周りの大人に植え付けられた使命感みたいなもの。――亜彩希は、私が守らなければならないと教えられてきたから。天才で、将来が期待されている彼女を支えるべきは、なんの取り柄もないバカな私だと、そう習ってきたから。
保健室に駆け込んだ私は、病院へと搬送される亜彩希の姿を遠目に眺めただけで、特になんの力になれるわけでもなく、声をかけるわけでもなく、5分ほど1限目の授業に遅れるという無能っぷりを発揮するに留まった。
その晩、どこから聞き付けたのか、母親が亜彩希の話題を振ってきた。
「亜彩希ちゃん、今朝病院に運ばれて入院したんですってね」
「ふうん。入院、ねえ」
「ちょっと、夏子。あんた、友だちでしょ。いつも勉強とか教えてもらって、お世話になってるのに薄情な……もうちょっと心配してあげないの」
「階段から足を滑らせたってきいたけど」
「そうみたい。まあでも、怪我は大したことないって聞いてるけれど……明日、お見舞いに行ってあげたら」
「いいよ、別に」
「行きなさい」
こういうとき、私は必ず母の強い口調に圧されてしまう。でも、思うんだ。――亜彩希は別に、私になんて来てほしくないんだよ。
翌日、学校から一旦帰宅した私は、母親に持たされた果物類を持って彼女の病室へと向かった。
「どーも、夏子です」
そう挨拶をすれば、亜彩希はカーテンを開けてくれた。頭に包帯を巻いた彼女の姿を見るのは、通算3回目。1回目は幼稚園の頃、ジャングルジムから転落して。2回目は、小学4、5年の頃、交通事故にあって。
「お見舞いってやつ? ありがとう」
本当はありがたいだなんて思っても居ないくせに。
「これ、母親がアンタにって。ノートとかは要らないよね、どうせ学校の授業なんて亜彩希にはレベルが低いもんね」
「……夏子って、面白いね」
亜彩希の目が、三日月のように細くなった。その煽るような表情が、私の神経を逆撫でた。
「面白いって? 人がせっかく、時間を割いて見舞いに来ているっていうのに」
「それはありがたいけれど。……何をそんなに怒っているのかなって」
相変わらず、彼女はくつくつと笑うのをやめず、私のことを見る。亜彩希には、こういう失礼なところがあった。物事をはっきりと最後まで言わず、しかしなにかをバカにするような目でこちらを見て笑うんだ。
「理由は知らないけれど、私に腹を立ててるのはなんとなく分かるよ。それなのに、真面目に見舞いに来ちゃうなんてところも、ほんと面白い」
澄んだ目で、こちらを射ぬくように見つめる。口許は笑っていた。視線だけが、私に殴りかかっていた。
「……クラスの子から、噂で聞いたの。アンタ、彼氏が居たんだってね」
「そうよ、1年の藤田くん。ついこの間別れちゃったけどね」
「聞いてないけれど」
「言ってないけれど?」
挑戦的な目で私を見上げる彼女に、無性に腹が立った。
「どうして――」
「『どうして私たちは親友なのに隠し事なんて』って言いたい?」
亜彩希はため息交じりに、もううんざりだとでも言うかのように、私から目をそらす。
「逆に訊くけど、仮に親友だったとして、自分の全てをさらけ出さないといけないなんてこと、ある?」
「結局アンタは私のことをバカにしてるんだ」
悔しくて、仕方がなかった。
「親友だったら、そういうの、絶対に相談とかする。愚痴や悩みだって、聞いてもらったりするもんなんだ。だけどアンタは、それを一切しないまま、付き合って、別れて。――どうせ、私の意見なんてあてにならないって分かってるから」
「だって夏子、マジで悲しいでしょ。悔しいでしょ、アンタより先に、私なんかに彼氏ができたりしたら」
亜彩希の言葉の意味を、その一瞬では理解しきれなかった。
「夏子。気付きなよ。本当に相手を見下してるのはアンタだよ」
亜彩希はどこか悲しそうな顔をしていた。
「まあでも、仕方ないなってのは分かるよ、だって夏子はそうやって、いつも私の尻拭いをさせられてきたんだから」
彼女は、とても頭がよい子だった。
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