第8エンド 始まりと今
その後も、いろいろと回った。
アトラクションで遊んで、お昼を食べて、お土産コーナーを覗いて。
でも、久遠さんは意外とファンシーなグッズが好きなこととか、抹茶スイーツに目が無いこととか、彼女のいろいろな一面を知れた。
そして、五月の爽やかな空が茜色に変わる頃、わたし達は園内にあるカフェのオープンテラスで休憩していた。
「ふぅ~~~回った回ったぁ~」
「さすがに疲れたね」
テーブルをはさんで対座する。遊び疲れた体を夕暮れの風がそっと癒してくれる。
「
「うん、すごく」
その気持ちに嘘はなかった。久遠さんのことをどう思っているんだろうとか、彼女とどういう風に接すればいいんだろうとか。そんな自分の悩みが些末に思えるくらい、体の内側では心地いい疲れが支配していた。
「最初のシューティングゲームは惜しかったなぁ……あれだけが心残りだよ」
「クリアまであとちょっとだったよね」
「あれ、ラスボス倒すと、闇の力から解放されて、もとの精霊に戻るハッピーエンドが見れるらしいよ」
端末でフェアリーパークの公式サイトを見ながら、久遠さんが今日一日を振り返る。
「有梨栖さんは、休日はこういう風に遊びに行かないの?」
「んー……今のところは一人で買い物に行ったり、家で遊んだりしてるかな。友達もいないし」
「大学始まってまだ一ヶ月ちょいだしね、まぁ追々できるでしょ。私が言うのもなんだけどね」
友達は作るつもりはない……そう言おうとも一瞬考えたけど、体に蓄積した心地いい疲れと、夕焼けに照らされた久遠さんの表情を見ていたら、そんなこと口に出す気になれなかった。
「久遠さんはさ、なんで今日誘ってくれたの?」
「どうしてそんなこと訊くの?」
「わたしなんかと一緒じゃつまらないでしょ」
そもそも、わたし達は休日に行動を共にするほど親しくない。それに……。
「有梨栖さんと一日遊んでみたかったんだ。有梨栖さんっていう人柄を知りたくて、そして、自分の気持ちを確かめたくて」
わたしだったらきっと照れてしまうような台詞を、彼女は偽りのない口調で言葉にする。
テーブルの向こうの彼女は少し思案した後、躊躇いがちに尋ねた。
「有梨栖さんは、もうカーリングやらないの?」
それが今日一日、いや、ずっと前から訊きたかった質問のように感じられた。偶然にも、先日同じ質問をしてきたクスネと、目の前の女の子の姿が重なる。
「カーリングは、もう……やらない」
「どうして?」
「…………」
「質問を変えようか。有梨栖さんは、やりたくないの? それとも、やりたいけど、やらない理由があるの?」
唇をきゅっと結んで、膝の上で手を握る。
久遠さんは軽く息を吐いて、手元の紅茶の水面を見つめながら語り出した。
「私ね、ずっと有梨栖さんのプレー見てたんだよ。小学生の時から、ずっと」
「……そう、なんだ」
久遠さんはわたしと同じ地元出身だと、この前言っていた。
「針に糸を通す――なんてよく言われるけど、あなたのプレーはそんな次元じゃなかった。ここしかない隙間に、絶妙な力加減でストーンを放ってくる。そんな繊細なプレーに私は憧れたの」
久遠さんはストローをくるくると弄りながら、まるで記念写真のアルバムをめくるような表情で言葉を紡ぐ。
「同時に嫉妬もしたわ。あなたに追いつこうとどんなに努力しても、その差は開くばかり。そして、世間は絶対的な存在にしかスポットライトを当てない」
ローカルニュースでインタビューを受けたことも何回かあった。そのおかげで、わたしは地元ではそこそこ有名になり、クラスメートからも少しずつ声をかけられるようになった。
その舞台袖で下唇を噛んだのが久遠さんだったのだろう。わたしがいたせいで、久遠さんが日の目を浴びることはなかった。
「流れてくるニュースはいつも、有梨栖さんの功績を讃えるものばかり。見えない悪魔が私の努力を嘲笑っているように感じたわ。私はこんなに練習に身を削っているのに」
彼女だけじゃない。どんな世界にも努力と研鑽を惜しまない人は無数にいる。しかし、その中で評価を受けるのはほんの一握り。
遊びでやっている人間はいない、そんなことは分かっている。じゃあ、一体何が優劣とか、順位を決めるのだろう……。久遠さんからはそんなメッセージが汲み取れた。
「有梨栖さんだって、私のことなんか知らなかったでしょ?」
「ごめん」
「謝らないで」
「でもわたしは、そんな評価を受けるような人間じゃない」
「あなた自分のプレーを録画映像で見たことないの? あんな楽しそうにカーリングする人、他にいないわよ。歯を食いしばって練習している私が惨めになるくらいにね」
昔のわたしは純粋に、カーリングをしている時間が楽しかった。でもそれは、久遠さんにとっては見えざる無垢な暴力だったのかもしれない。
「嫉妬もした……あなたの技術にも、周りからチヤホヤされるあなた自身にもね。でも、それ以上に、あなたに抱いた憧憬の念……その気持ちも本物だった」
その尊敬の気持ちは少しずつ色を変えていくことになる。
気付けば、久遠さんの目尻には薄っすらと涙がたまっていた。その雫が夕焼けに反射して美しく光る。
クスネと同じ顔の女の子。クスネの泣き顔を見たことがないわたしにとって、それはなんだかとても愛おしく思えた。
「有梨栖さんのプレーを見れば見るほど魅了されて。追いつこうと練習すればするほど、できないって悟されて。手が届かないからこそ、あなたのことが眩しく見えた」
「久遠さん……」
「私はッ……! 有梨栖さん、……あなたのことが、好きになったの」
氷のような脆く儚げな瞳でわたしを見つめる。振り絞るような声で言葉を紡ぐ。
「負の感情もあった。でもそれは、いつも有梨栖さんのことで頭がいっぱいだった証拠。あなたに追いつこうとするんじゃなくて、あなたに認めてもらって、あなたと一緒のチームでプレーしたいって、そう思うようになったの」
「うん……」
「バイト先に偶然来たときは驚いたわよ。いつも遠くから見ていた子が目の前に現れるんだもん」
わたしだって、クスネが現実世界に飛び出してきたと思ってびっくりした。
「
そっか……、そうだったんだ。
ようやく話が繋がった。久遠さんは人知れず努力を重ね、地元の県大会で優勝するレベルまでに成長したんだ。
わたしを目指していたのに、いつの間にかわたしでも手が届かなかった場所まで到達していた。
ずっと、わたしとチームを組みたいって思っててくれた。わたしのことを想っていてくれた。
なのに、わたしはカーリングを辞めてしまった。彼女にとっては残酷なエピローグだっただろう。
「私にとって有梨栖比奈という人間は、テレビの向こう側の存在であって、大会の表彰台にいる雲の上の存在だった。だから、あなたがどんな人なのか知りたくて、今日は付き合ってもらったの」
「そうだったんだ……」
そんな風に想っていてくれたんだ。
なんてことはない。気になる子のことをもっと知りたい。人間の原始的な欲求。純粋で優しい動機。でも、弱いわたしには絶対にできなかったこと。
「もう一度訊くよ。有梨栖さんは、もうカーリングはやらないの?」
そう、彼女は精一杯の笑顔を繕って優しく尋ねた。
声帯も、脳も、体の一つひとつの細胞までもが震えて、うまく言葉が発せない。あの日のこと、クスネのこと、そして、目の前の久遠さんのことで、わたしの頭の中はいっぱいになった。
「……ごめん」
「それは、なにに対しての謝罪なのかな?」
「…………」
「何も話してくれないんだね」
久遠さんは目元を拭くと、ほとんど口をつけていない紅茶をテーブルに残して席を立った。
「今日は付き合ってくれてありがとう。ごめん、先に帰るね。最後は微妙な雰囲気になっちゃったけど、デートすごく楽しかったよ。また大学でね」
「久遠さん……」
去り際、彼女は最後にもう一度だけ、目線を合わせずにこちらを振り返った。
「私は、やっぱり有梨栖さんが好き。それが今日わかってよかった。好きになれてよかった……。だからこそ――」
太陽は地平線に沈み紫色を帯びた空の逆光が、彼女の表情をいっそう儚く照らした。
「だからこそ、有梨栖さん。カーリングをしていない今のあなたを、好きになれない」
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