第5エンド ヒトとAI

「ですから、カーリングをやる義理は、わたしにはもうないんです」


 わたしの毅然きぜんとした態度に言葉を探す三人。先に沈黙を破ったのは久遠くおんさんだった。


「それは、?」


 心臓をぎゅっと掴まれるような質問だった。


「あ~……、県大会で有梨栖ありすさんのチームは準決で敗けちゃったんだよね。そして久遠さんのチームは優勝して全国に駒を進めた」


 副部長が人差し指を顎につけながら言うと、「結局、全国は初戦で敗退しましたけどね」と久遠さんは苦笑した。


 その横で、わたしはひそかに思考を巡らせていた。


(久遠さんはわたしと同じ県出身……? それだけじゃない。高校最後の大会の日、同じ会場に居合わせた?)


 対戦相手のメンバーに久遠さんがいた記憶はない。ということは、もう一方の準決勝の組み合わせに彼女は参加していたことになる。隣のコートでプレーしていたのか。


「その様子だと、私なんか眼中になかったみたいね。さすが次世代の天才ルーキー、いえ、有梨栖さん」


「あ、あたし達もその大会見に行ってたんだー! 高校生プレイヤーは金の卵ちゃんだからね。視察で行ったんだけど、いや~あの大会は熱かったな~。ねっ?」


「う、うん」


 久遠さんの皮肉めいた口ぶりに空気が険悪になるのを察したのだろう。部長は明るくフォローしてくれて、副部長も空気を読んで頷いてくれた。


「有梨栖さんのチームは途中で敗けちゃったけど、それまでは圧巻な強さだった。久遠さんのチームは終始安定してたよね」と副部長が思い出すように評価する。


 それを聞いて、コホンと小さく咳払いをする久遠さん。この前会った時と違って、彼女の表情に優しさは感じられない。


「それで、話を戻すけど。大会で敗けたから、カーリングやめたの?」


「そ、それは……関係ない」

「じゃあ、仮に有梨栖さん達が優勝してたとしても、カーリングをやめていた訳ね?」


「そ、それは……」


「まぁまぁ、すべては結果論だし。それに、続けるかどうかは有梨栖さん本人の意志だし」

「当初の目的お忘れですよ、部長」と副部長がツッコんだ。


 心のパレットが次々に新しい色で変色していく。もう区切りをつけた過去が再び迫ってくるし、思い出したくない記憶に苛まれる。


 それ以上に……。


 クスネと瓜二つの少女、久遠楠音。


 クスネはそんな恐い顔しない。わたしを責めたりしない。いつだって元気をくれる。


 なのに、クスネと同じ顔でわたしを睨まないでほしい。クスネと同じ声でわたしを責めないでほしい。


 お願い……。


「ま、まあ、有梨栖さんも練習の様子を見てどんな感じか分かってくれたと思うし、今日のところはこれで解散にしない? 有梨栖さんも返事は急がないから、よく考えてみて。みんな、それでいいよね?」


 部長がまとめると、副部長は頷いて合意し、わたしは黙ったまま視線を切った。


「私、まだ練習があるので」


 久遠さんはそう言い残して、一階のスケートリンクへと戻っていった。





 その夜は目が冴えて、なかなか眠れなかった。何度目か分からない寝返りを打って、暗闇に慣れた目で天井を見つめる。


 思い出すのは、今日のこと。


 ――天才ルーキーだった有梨栖さん。

 ――有梨栖さん達が優勝していたとしてもカーリングをやめていた訳ね?


 クスネと同じ容姿の、久遠さんから言われた台詞。言葉の棘が心に刺さったまま抜けない。


 ベッドから体を起こすと、バーチャル投射端末のスイッチを入れる。ピッという機械音がして、端末の側面が虹色にグラデーションにする。数秒もしないうちにバーチャル映像が投影され、クスネの姿が現れた。


 立体視された等身大の女の子。実際に手を触れなければホログラムだとは気付かないだろう。血の通った生命体が、そこには居た。


『どうしたの、比奈ひなちゃん。眠れない?』

「うん、ちょっとね」

『安眠用の曲でもかける? それとも、カラオケモードで子守歌、唄ってあげようか?』


「ううん、そうじゃなくて、ちょっと考え事……」

『ワタシでよかったら話、聞くよ?』

「ありがとう、クスネ」


 やっぱりクスネは優しい。久遠さんと同じ容姿なのに、中身は全然違う。


 ベッドの縁に座り直すと、隣にクスネが同じように座る仕草をする。ちなみにクスネの服装は時間帯で自動的に切り替わる仕様になっていて、今は夜中なのでパジャマ姿だ。ベッドに女の子が二人、肩を並べて座る構図になった。


『なるほど……』


 一つひとつ噛みしめるように、時に頷きながら、クスネはわたしの話を聞いてくれた。


 雲ひとつ無いよく晴れた夜で、窓から差し込む月の光が暗い部屋を照らしていた。


 一通り話し終えた後、クスネは思考を整理するように考え込み、遠慮がちに口を開いた。


『比奈ちゃんは、もうカーリングやりたくないんだよね?』

「それは……」

『ごめん。比奈ちゃんが嫌がる質問だって分かってる。でもね、比奈ちゃんの気持ちが問題の本質だと思うの』

「わたしの気持ち……?」


 クスネはきれいな翡翠ひすい色の瞳をわたしに向けた。


『高校最後の大会が、比奈ちゃんにとって嫌な思い出だってことは知ってる。でもね、こんな言い方したら比奈ちゃんは怒るかもしれないけど、ワタシはそういう嫌な過去も羨ましいなって思うの』


「辛い過去が羨ましい?」


 クスネの言っていることがよく理解できなかった。辛い過去が好きな人なんていない。もし、人生がビュッフェだったら、自分の好きな料理だけをプレートに盛りたい。嫌いなものなんて食べたくないのだから。


『ねぇ、比奈ちゃん。人の人生って、いつから始まると思う?』


「そりゃ……生まれた時から……?」


『うん、そうだね。じゃあ、ワタシの人生は?』


 宝石のような美しい翡翠色の瞳でわたしの顔を覗き込みながら、クスネは続ける。


『比奈ちゃんがジャンクショップでワタシを見つけてくれたのが一ヶ月前。そして、ワタシを今のワタシにしてくれた。だから、ワタシの人生が始まったのは一ヶ月前なんだよ』


「うん」


『ワタシには悲しい記憶がない。だって、生まれてから比奈ちゃんと過ごした幸せな記憶しかないんだもん。この一ヶ月間、すごく楽しかった。だから、辛い過去があるのって、すごく人間らしいって思う』


 なんとなくクスネの言いたいことが分かった。人間が成長するのに必要なもの、あるいは、人を人たらしめるもの――それがだと、クスネは言いたいのだ。


 悲しい過去より、幸せな思い出の方が良いに決まっている。当たり前だと思っていた。けれど、それは人間の尺度に過ぎないのかもしれない。


 幸せな思い出だけで紡がれる物語が、果たして本当に幸せと呼べるのか。


 クスネはそれを問いかけている。


 感情を備えたAIだからこそ、その答えを求めている。


 クスネにはここ一ヶ月の記憶しかない。私なんかと過ごした、この短い日々を幸せだと言ってくれた。それが嬉しくもあり、どこか寂しい。


『今のAIの感情プログラムは、人とほとんど同じ。でもね、ネガティヴな感情を糧にして未来を切り開くのは、やっぱり人間じゃないとできないんだよ』


 人間とAIの距離が限りなく近づいた現代。苦しく悲しい過去を踏み台にして未来を生きる力――それが、両者を区別する最後の境界線だと、クスネは言の葉の裏に滲ませる。


『ワタシは比奈ちゃんが羨ましい。ワタシが経験できないことをいっぱい経験して、どんどん先に進めるから』


 クスネは人間じゃないから、そんな楽観的なことを言えるんだ。そう言おうとした。でも、寸前のところで言葉を飲み込む。それは、決して言ってはいけないことだから。


 俯いて下唇を軽く噛むわたしに、クスネは優しく手の平を重ねてきた。ホログラムだから実体はないはずなのに、クスネの温度が伝わってきた気がした。


『大丈夫だよ、比奈ちゃん。もう誰も比奈ちゃんを責めないから。今すぐに答え出さなくてもいいんだよ。いっぱい悩もう。悩むのって別に悪いことじゃないんだよ? めっ! なのは一人で考え込むこと! ワタシと一緒にたくさん悩もう』


 クスネは勢いよく立ち上がって屈託のない笑顔を咲かせた。


 根本的な悩みは解決していない。でも、心は軽くなった。クスネに相談してよかった。


「ありがとう、クスネ。なんだか気持ちが軽くなったよ」


『いいんだよ。ワタシは、比奈ちゃんのライフサポートプログラムなんだから』


 えっへんと、最後はドヤ顔で胸をたたくと、クスネの形のいい胸がポヨンと揺れた。


「クスネって意外と胸あるよね」

『比奈ちゃんがそういう風に設定したんでしょ!』

「えへへ、そうでした」


 クスネにつられて、ついわたしも笑ってしまう。


 わたしは弱い人間だ。いつもクスネから元気をもらっている。でも、そんなつまらない惨めさよりも、うれしい気持ちの方が何倍も勝っていた。


「ありがとう、クスネ。よく考えてみる。自分の事、そして、これからの事」

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