第4エンド 仮想と現実

『ワタシにそっくりな女の子かぁ』


「もう瓜二つだったよ。クスネが現実世界に飛び出して来たって本気で思っちゃったもん」


 クスネは宝物を見つけたように目をキラキラさせながら、身を乗り出してわたしの話を聞いていた。


『世界には、自分と同じ顔の人が三人いるっていうもんね』


「ドッペルゲンガーなんて都市伝説もあるよね」


『もし、その楠音くすねちゃんがドッペルゲンガーだったら、ワタシ消えちゃう!?』


「冗談でもそういうこと言わないで」

『ふふっごめんね』


 生体認証機能が発展した現代では、個々の人間を別々の存在として区別するのは容易い。だから、人の目では区別できないほど似ている一卵性の双子でも、認証システムなら一瞬で見分けるし。他人に成りすまして犯罪行為に及ぶ芸当なんて、まず不可能。


 しかし、そんな認知機能が発達した今でも、そういう昔からある都市伝説が残っているのは面白い。


『そっくりさん三人説も、ドッペルゲンガー説も関係ないと思うな。だってワタシは……』


 続きを言うかどうか迷ったのだろう。クスネは少しだけ逡巡したあと、寂しそうな声色で言った。


『ワタシは……AIホログラムだから』


「…………」


 その通りだ。クスネはわたしが作った。ゆるふわっとした亜麻色の髪に、透き通るような翡翠の瞳、ファッションアプリを参考に見繕った可愛い服。


 容姿も、性格も、好きな食べ物も、よく聴く音楽も、全部わたしが設定した。プロトタイプのソフトに、自分好みの人格と容姿を与えたのだ。


 日々接していく中で、クスネの言動はわたしに最適化されていく。わたしの好きな話題を提供してくれるし、落ち込んでいる時にはわたしが一番欲しい言葉をかけてくれる。


 クスネは仮想プログラム。実在しない。だから、人間三人説も、ドッペルゲンガー説も、そういう話を持ち出すこと自体がお門違いなのだ。


「そう……だよね」


 人間と旧型ロボットの違いは自律的な意思と感情の有無だった。しかし、昨今のAIはそのどちらも会得している。


 従来のAIは自身がプログラムであることを知りえない。しかしクスネは違う。彼女は自分がAIであることを自覚している。最も人間に近く、人間でないことを知っている。


 だからこそ、考えてしまう。心の豊かさが人間の定義ならば、人間とAIの垣根は一体どこにあるのだろう……と。


 クスネの体はわたしの部屋に立体視されている。客人が訪れたら、女の子二人が対座している様にしか見えないだろう。もはや、目の前の女の子は心を持った人間なのだ。


「クスネ……」

比奈ひなちゃん……』


 クスネに手を伸ばすと、ハイタッチでもするように、彼女もこちらに手を伸ばした。しかし、互いの指先が触れた瞬間、歪な電子ノイズが走り、わたしの手はクスネの体をすり抜けた。


 ふたりの指先は、決して交わらない。


 こんなに近いのに、こんなに遠い……。


 少しだけ沈んだ表情をしてしまったのかもしれない。気を遣ったクスネが明るい口調で言った。


『そ、それにしても、比奈ちゃんが他の人と仲良くするのめずらしいね。あっ、悪い意味じゃないよ?』


「そういえば、そうだね……」


 なんでだろう。友達なんて、もういらないって思ってたのに。


 クスネに似ているからだろうか。だから、初対面でも久遠さんと親しくなれたのかな。


 答えは出なかった。





 まったく、自分がつくづく勤勉というか、学生のかがみだと思うのは、休日だというのに課題をこなしに図書館に来ているということだ。


「レポートの参考文献なんて端末ライブラリから電子版にアクセスすれば早いのに、たまに図書館にしか所蔵してないやつもあるからな~」


 面倒くさいけど、やらないと終わらない。


「よしっ」


 背筋を伸ばして袖をまくった瞬間、


「捕まえた」

「え……?」


 両肩に置かれた手。それを辿って顔を見上げると見知った顔が二つ並んでいた。松明の火が一瞬で消えるような寒気が襲った。


「せ、せんぱい……」

「こんにちは、有梨栖ありすさん。休日なのにお勉強?」


「はい、学生の本分ですので」


「偉いわね~。でもね、部活で青春の汗を流すのも学生の本分だと思うな~」


「昨日も汗流したじゃないですか」


「そうね。誰かさんが逃げてくれたおかげで、素敵な鬼ごっこになったわ、うふふ」


「えへへ」


 わたしが苦笑すると、先輩たちも笑った。笑顔が素敵な先輩たちだ。


「「確保ーーーッ!」」

「うわあああぁぁぁあああ」


 無慈悲にも、不条理にも、わたしの課題学習はそこで終わりを告げる。


「放せ~ッ! こんなの強制連行だ! 誘拐だ! 非人道的行為だ! 日本の警察が黙ってないぞぉー!」


「お願いよ有梨栖さん! どうしても有梨栖さんの力が必要なのよ」


「だから、わたしはもうカーリングはやらないんですって」

「どうして!? あなたの実力があれば全国狙えるのよ?」

「それは……買いかぶりすぎです」


 本当に、それは過大評価ですよ、先輩。わたしはそんなに優秀なプレイヤーじゃないのに。


 暴れるわたしは両側から先輩たちにロックされて、ずるずると連行されていった。





「着いたわよ、有梨栖さん」

「ここって……」


 連れてこられたのは運動部用の屋内練習場。うちの大学には室内練習場が三ヵ所あって、その内の一つはウインタースポーツ用の施設になっている。


「練習見てくれるだけでいいから、ね?」

「お願いよ有梨栖さん、それで気が変わるかもしれないし」


 どうにかしてわたしを部活に丸め込めたいらしい。


 入部するつもりはないけど、少しだけ付き合って丁重に断れば、諦めてくれるかもしれない。


 半ば観念して、練習場に足を踏み入れる。


 というか、いまだに先輩二人が両腕をがっちりとホールドしてて、逃げるに逃げられないのだ。



 重く厚いトビラを開けると、銀色の世界が広がった。


 高校三年の冬に引退したカーリング部。まだ半年も立っていないのに、アイスリンクの雰囲気はなんだか懐かしく感じた。


 鼻の奥を乾燥させる冬の匂い。肌を凍てつかせる空気。


 そのピンと張り詰めた場内に、氷上を切り裂く滑走音とストーンの心地い衝突音が響き渡る。


 二階席から見下ろすと、カーリング部員たちが小チームに分かれて練習に励んでいた。


「どう、有梨栖さん? うちの練習風景は?」

「どうって言われましても……」


 130フィート先を見つめる真剣な眼差し。石が放たれた後に響く威勢のいい声。時折見せる部員たちのリラックスした表情。その全てが、心の中の何かを燻らせる。


 染みついた感覚は払拭できないか……。


「カーリング続けるのも辞めるのも、わたしの自由です」


 確かにと、栗色のポニーテールをした先輩が一拍置いて口を開いた。


「でもね、有梨栖さん。あなたの試合を見て、本気で応援してくれた人がたくさんいたでしょ。それに、あなたのプレーを見て、カーリングを始めたいと思った子もいたはずよ」


「選択は自由。けれど、強さは人を魅了して、夢を与える。そしたら、もう有梨栖さんのプレーは、あなただけのモノじゃないのよ」


 前髪が垂れた片目センパイがそう補足した。


「そんなの、わたしには関係ないです……」


 ただカーリングが好きだった。それだけだ。なのに、なんでいつの間にか、他人に希望を与える話にすり替わってるんだ。


 勝手に夢を見て、勝手に絶望したのはそっちだろう。なんで、わたしが責められなくちゃいけないんだ……っ。なんで、わたしが……。


 そんな矛先を失った感情を鬱積させながら視線を外すと、端のシートで練習している一団にわたしの視線は固定された。


 ハウス付近から投球者デリバリーに向けて声を出している少女。あれは司令塔スキップといって、投球者に石を狙う場所の指示を出すポジションだ。その女の子の姿に見覚えがあった。


「クスネ……?」


 今は練習中なので結んでいるけど、あの綺麗な亜麻色の髪に、遠目からでも分かる翡翠色の瞳。クスネによく似ている。


 いや、違う。あれは久遠さんだ。久遠楠音くおんくすね――先日、喫茶店で出会ったクスネと瓜二つの少女。


 偶然にも、久遠さんも二階席にいるわたしの方を見上げた。驚いた表情をした。久遠さんは仲間に合図を送ると、一旦離脱して、わたし達の所へ来た。



「どうして有梨栖さんが? それに部長と副部長まで」

「こっちの台詞だよ。なんで久遠さんがカーリングを?」


 説明不要と割って入ったのはポニーテールが素敵な部長だった。というか、部長と副部長だったのか、この二人。


「二人はすでに知り合いみたいだね。久遠はれっきとしたカーリング部員。一年生ながらスポーツ推薦で入った、未来のエースだよ」


「スポーツ推薦……」


 その言葉に心臓を針で刺されるような痛みを覚えた。


「で、有梨栖さんは?」

「わたしは誘拐されたの、そこのお二人にね」

「事件?」


 訝しむ久遠さんに、部長と副部長はブンブンと首を横に振った。


「有梨栖さんが入部してくれれば、久遠とのダブルエースで、うちの未来は明るいんだよ」と部長が言うと、


「うちは万年、あと一歩のところで全国の切符を逃してるからね」と副部長がニヒヒと笑いながら付け加えた。


「だったらなおさら、わたしなんかが入部しない方がいいと思いますよ。わたしなんか戦力になりませんし」


「何言ってんの! 有梨栖さんだってスポーツ推薦枠でしょ! ちゃんと調べはついてるんだから。むしろ、それで入学したのに部活に入らないって、規則違反じゃない?」


 言葉に圧がこもる上級生ふたりに、わたしは尚も毅然とした態度をとる。


「それでしたら心配いりません。スポーツ推薦は辞退しましたから。わたしは一般入試でこの大学に入ったんです」


「「えええええ~~~~~!?」」


 広々としたアイスリンクに部長と副部長の声が木霊した。

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