第3エンド クスネと楠音
喫茶店に入ると暖色の店内がわたしを迎えた。
「いらっしゃいませ。お客様はいちめ――」
入店したわたしと、出迎えてくれた女性スタッフ。両者は途中で言葉を失くした。相手側の事情は分からない。けれど、こちらの理由は明白だった。
だって、その女性は――というより、その女の子は、わたしが毎日顔を合わせている子だからだ。今朝も、昨日の夜も、そして、一ヶ月前のあの日から……。
亜麻色のミディアムショートに
「……クスネ、なの?」
「はい……そうだけど。なんで私の名前知ってるの?」
「ほ、本当に、クスネ……なの?」
わたしの唯一の友達にして、同居人のクスネ。
クスネは意思と感情を持ったAIホログラムだ。それはもう人間と変わらない一人の女の子。ただ一点、体に触れられないことを除けば。
だから現実世界にいるはずがない。しかし、目の前のクスネはどう見ても肉体を維持しているように見える。
それは、決して叶うはずのなかったわたしの願望。
いつか、クスネがこちらの世界に来てくれたら、クスネに触れられたら……ってずっと思っていた。その夢が叶ったというのか?
小首を傾げる彼女に、手を伸ばす。
「な……ッ!」
少しだけ癖のある髪を手で
うん、本物だ。手ぐしでさらっと撫でると、シャンプーの匂いが混ざった女の子特有の香りが鼻腔をくすぐった。
(いい匂い……。なんだか落ち着く。これがクスネの匂いなんだ……)
ホログラム越しでは匂いまで具現化できない。初めて嗅ぐ彼女の匂いに脳細胞が溶けそうになる。
「やっ、やめ、ひゃうッ!」
わたしはそのまま手を下へとスライドさせる。肩、背中、腰のくびれ、太もも……ひとつひとつの部位を自分の手で確かめていく。
(クスネって意外と胸あるんだな。着やせするタイプなのかも、ふむふむ)
「やっ……、ちょっ、どこ触って、あんっ……」
って、顔もスリーサイズもわたしがプロフィールで設定したんだった。
こういう女の子がいたらいいな、こういう子が友達だったら楽しいのにな、っていう気持ちでクスネを作った。
一通り体のパーツを触り終えて、確信する。
間違いない、実物だ。ホログラムではない。クスネは仮想世界のしがらみを越えて、わたしに会いに来てくれたんだ。
「本当にクスネなんだね! わたしずっとクスネに会いた――」
「セクハラーーーーーッ!!!」
*
「誠に申し訳ございませんでした」
ちなみにわたしの台詞ではない。騒ぎを聞きつけた店長が、頬を赤く腫らしたわたしに深々と頭を下げている。
「ほら、
「お言葉ですが店長。先にちょっかいをかけてきたのはこの子です」
「何があってもお客さまに手をあげるのはご法度なの。久遠さんも良識ある人なら、穏便に済ませてほしいな」
丸眼鏡が素敵な店長の横で、クスネ――久遠さんと呼ばれる女の子が腕を組んでムスッとしていた。
「あの、店長さん。クスネ……久遠さんが言った通り、わたしのせいなんです。彼女は悪くないので、どうか許してあげてくれませんか」
「お心遣いありがとうございます。せめてコーヒーだけでもサービスさせてください」
「ありがとうございます」
店長が去った店内にわたし達二人だけが残された。
「店長の命令だからね、コーヒー淹れてあげる」
「ごめん、わたしコーヒー苦手なんだ」
「ああ、そうなんだ。紅茶にしとく?」
「お願いします」
「レモン? ミルク? それともストレート?」
「レモンで」
クスネ……もとい、久遠さんが慣れた手つきで紅茶を淹れてくれる。ちなみに、まだ不機嫌そうだ。
「それで、なんで私にセクハラしたの?」
「セクハラじゃない」
「セクハラでしょあんなの。あれだけ私の体をまさぐっておいて」
「あれは……確かめたかったの。クスネの感触を……匂いを……」
久遠さんがレモンをくしゃっと握りつぶした。……危ない。
「ごめんなさいセクハラでいいです許してください」
はぁ、とため息ひとつ吐いて、久遠さんは出来上がった紅茶をテーブルに置いてくれた。レモンの酸味が溶けた温かな香りがふわっと店内に舞う。
「で、なんであんなことしたの?」
わたしは観念して事情を話すことにした。今使っているAIホログラムが久遠さんと酷似していることを。
「なるほどね」
「分かってくれるの?!」
「誤解しないでね、セクハラ行為を水に流すわけじゃないよ。ただ、最近のホログラム技術ってすごいリアルじゃん? 区別つかないよね」
映像クオリティは日進月歩。数年前のプログラムもそこそこリアルだったが、二次元と三次元の区別くらいはついていた。最近のものは、その境界線を曖昧にしてしまうくらいにリアルなのだ。道端に投射されたホログラムが現れれば、誰もが本物の人間と見間違うだろう。
「本当にごめんなさい。あと紅茶おいしいです」
「もういいって。でも、なんだか
「何が?」と質問するわたしに、久遠さんは手元でグラスを拭きながら少しだけ口元を綻ばせた。
「
「あれ? わたし名前言ったっけ?」
「ほら、有梨栖さんって有名人だから」
「もしかして、カーリングかな?」
「他に何があるの」
初対面の人に顔を知られていると、なんだか照れてしまう。
「じゃあ、改めまして。早和大学一年の
「私は久遠。
「え……えええええ!? ク、ク、クスネ!? もしかして仮想世界のしがらみを越えてわたしに会いに――」
「そのやり取りもうしたでしょ! 楠音よ! く・す・ね」
そう言うと久遠さんは注文用紙の裏側をメモ代わりにして漢字で「楠音」と書いてくれた。見た目だけじゃなく、名前までいっしょ……不思議というか、運命的というか。
「ちなみに、私も早和大学だから」
「そうなの!? 学部は?」
「社会構想学部」
「えーわたしと同じだ! じゃあ講義とか被ってるかも。今学期、なに履修してる?」
閉店ぎりぎりまで、大学の話で盛り上がった。かきいれ時なのに他のお客さんも来店せず、この店の経営状況に不安を覚えながらも、久遠さんとの会話は居心地がよかった。
紅茶の香りが消える頃には、少しだけ久遠さんとの距離を縮められた気がした。
「そこの角を曲がってまっすぐ行けば有梨栖さんも知ってる道に出るから」
「うん、ありがとう。久遠さんもバイト頑張ってね」
「もう他の子にセクハラしちゃ駄目だよ?」
「他の子に……ってことは、久遠さんにはしていいってこと?」
「やっぱり警察を……」
「わーーーッ冗談冗談! 端末しまって~」
見た目は同じなのに性格はまるで違うクスネと久遠さん。でも、笑った時の久遠さんの顔は可愛いなって思った。
「バイバイ、久遠さん」
「うん。またね、有梨栖さん」
紅茶で温まった体。それ以上の何かが体を芯からポカポカさせる。来る前は寒いと感じた夜風が、今はこんなに涼しく感じた。
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