第2エンド 逃亡と出会い
「あ、
「げ……」
「げ、とはご挨拶ね」
学内のカフェで好物のサーモンとレタスのマフィンに舌鼓を打っていた昼休み。声をかけられて顔を上げると、二人の女子大生が立っていた。
昨日、キャンパスで会った先輩だ。片方は栗色のポニーテールで、目力の強さを感じさせるキリっとした顔立ちの女性。
もう一人は、垂れた前髪で片目が隠れているが、温和な雰囲気が漂う先輩。
「あ、あのね、私たち、有梨栖さんにお話があるんだけどなー……なんて」
「えっと……、なんの用ですか?」
わたしの方が年下なのに、まるで先輩たちの方がわたしのご機嫌を窺うように、物腰を柔らかくしている。
この二人はカーリング部の人間だと言っていた。話の大筋が見えてしまったので、わたしはわざとはぐらかすことにした。
「有梨栖さんに、カーリング部に入ってほしいなー……って」
やっぱり……。
ポニーテール先輩の言葉に、わたしは思わず目を伏せてしまった。
「昨日もお話しましたけど、わたしもうカーリングは辞めたんです」
「でも、有梨栖さんって、うちの大学には――」
「あっ! すみません、先輩。これから三限の講義がありますので、これで失礼しますっ」
「えっ、ちょっ、まだ昼休み三十分以上あるけどーっ!? ……行っちゃった」
「逃げ足速いよね、あの子。陸上でもやっていけるんじゃない? くすくす」
腰に手をあててため息を吐くポニーテール先輩に、右手を口元に遣って静かに笑う片目センパイ。
「くすくす。で、どうするの?」
「……強硬手段しかないわね」
*
その日の夜。ベッドに横になって天井を見つめる。
「カーリング……か……」
昔は、いや……、つい最近まで大好きだった言葉。それが、今は口にしただけでシャンボン玉の泡ように儚く消える。
中途半端な気持ちで辞めたのがいけなかったのだろうか。だから、未練がましく縋りついているのだろうか。
部屋を整理しようと思って要らない物を捨てたけど、後になってから「やっぱり捨てなきゃよかった」って後悔する、あんな感じ。
「クスネ……」
自然と彼女の名前を呟く。寂しかったり、頭がモヤモヤしたときに口ずさむ。最近できた、わたしの癖だ。
「クスネ……」
「呼んだ?
「うわっ?!」
部屋の入口の方から突然女の子の声がしたので、ベッドから起き上がる。視線の先にはクスネが立っていた。
「もう、突然現れないでよ。部屋に入るときはノックしてよね」
「ワタシ、ホログラムだから物理干渉できないよ、比奈ちゃん。それとも、今度から出現する前に簡易アラームでも設定しておこっか?」
「……別に、そこまでしなくていい」
少しだけムスっとするわたしに、クスネはいつも通りの無垢な笑顔を向けてくる。
「比奈ちゃん、具合悪いの?」
「なんで?」
「なんか元気ないみたい。夜ご飯だって、今日はおかわりしなかったし」
「わたしはそんな腹ペコキャラじゃない」
「えへへ、じゃあゲームしようよ。バイオディザスター!」
「あれ、やめ時が見つからないんだよなぁ。それに、明日も大学だよ。いつものクスネなら、早く寝ないとめっ! って言うじゃん」
「たまにはいいじゃん~! バイオの続き気になるの~」
話してて気づいた。これはクスネなりの気遣いなのだ。
まったく……。なんでこの子は、人間以上に、人の心に敏感なのだろう。
「よし、じゃあやろうか。もし夜更かしして明日遅刻したらクスネのせいだからね?」
「それはそれ、これはこれ」
「薄情者め」
*
今日は五限まで講義があったので、帰る頃には午後六時を回っていた。
冷蔵庫の中が空っぽなのを思い出して、スーパーへ寄ってから帰ることに。宅配サービスを利用してもいいけど、お金がかかる。学生なんだから節約しなくては。
それに、栄養が偏るからと、クスネからも注意される。大人しく帰り道のスーパーへ寄ることにした。
そんな矢先のこと。
「いたぞ!」
遠くの背後から声がした。女性の声だ。ついでに足音も。その地面を蹴る音はだんだんとこちらに近づいてくるように感じた。
「間違いない!」
嫌な予感がした。彼女たちの様子が穏やかではなかったからだ。獲物を狙うハンターのように、あるいは悪ガキを見つけた教師のように、彼女達は息を上げてこちらに向かってくる。
夜のキャンパスはなかなかに暗い。加えて、わたしは夜目が利かない。
目を凝らす。その影が大きくなってくる。
二人だ。二人分の影が近づいてくる。
そして、街灯の明かりの下に照らされたとき、体の内側に冷たい汗が流れるの感じた。
「げっ!! 先輩!」
例のカーリング部の先輩二人だった。昨日までの穏やかな雰囲気は霧散していて、完全に狩猟者の目つきになっていた。
わたしは俊敏な動作で踵を返すと、走り出した。
「ちょっ!?
「待て~~~~~ッ!」
「ど、どうして追いかけてくるんですかぁ!?」
「カーリング部に入ってくれないかなー!」
「有梨栖さんとなら全国も夢じゃ――」
「あーッ! あーッ! 聞こえませーん!」
両手で耳を塞ぎながら夜のキャンパスを駆ける。
「有梨栖さーん! 遅くなったけど、私は部長の――」
「いーですいーです! 自己紹介いーですッ!」
逃げるウサギと、追うトラとライオン。耳を貸したら最後と、全力疾走で逃げる。
大学の敷地を飛び出して夜の繁華街へ。昼間は学生でごった返している町も、今は仕事終わりの会社員でいっぱいだ。
人の波を縫って逃げる。このシーンだけ切り取ったらアクション映画のようだ。
「はぁはぁ……。どこまで追いかけてくるのよ」
こちらも体力の限界だが、向こうも
「よしっ!」
わたしは曲がり角を右折した後、すぐさま店と店の隙間に生まれた細い裏道へと入った。
これで撒ければ御の字。しかし、足を止める訳にもいかない。右へ、左へ、次の突き当りを右へ……。複雑に入り組んだ裏街道を駆け抜ける。
追手を撒けたと確信できたのは数分後。火照った体を壁に預けた。
「ふー、なんとかなったぁ」
というか、わたしは何も悪いことしてないのに、なんで罪人のように逃亡劇を演じているのか。
「無駄な体力を使った……。もういい、帰ろ」
ただでさえ今朝は寝不足からのスタートだった。五限までの授業に、トドメの鬼ごっこ。わたしのライフポイントはとっくに底をついていた。
まぁ、こういう日もあると諦め、重力が何倍にもなったような体を起こして、思ったのだ。
「ここ…………どこ?」
*
どうやら道に迷ったらしい。当たり前だ。一心不乱でよく知らない道を駆け回ったのだから。
「お腹も減ったなぁ」
憔悴した体に、空腹が追い討ちをかける。
走った距離からして大学からはそんなに離れていないはず。でも、わたしはこの春に引っ越してきたばかりで、まだこの辺りの地理に詳しくない。
暗い石畳の道を歩く。五月といえど、夜の風は冷たい。時折吹く風がまるでわたしの不安を煽るよう。本当に帰れるのか……と語りかけてくるようだ。
ヨーロッパの裏路地を彷彿させる道なり。建物や壁は石造りでどこか冷たい雰囲気。端では中年のおじさん達が品の無い笑いを浮かべている。
「ぁ……」
石造りの建物が連なる中に一軒のお店を発見。喫茶店のようだ。
木造でこじんまりした店構え。中から漏れる温かい灯りに、安心する。
「お腹も空いたし、あそこでご飯食べてこよう。帰り道も教えてくれるかもしれないし」
篝火に導かれるように、わたしの体はその喫茶店に吸い込まれていった。
*
クスネとの出会いは劇的なものではなかった。出会ったのはレトロなアプリやソフトが安価で売られているジャンクショップ。
今の時代、アプリケーションの類はネットからダウンロードするのが普通だ。しかし、こういうお店でしか出会えないレアなものも存在する。
わたしが訪れたのは、アップデートにより価値が下がったプログラムや、不具合や故障などで日の目を浴びることなく人々の記憶から消えていった「訳ありアプリ」などが累積する中古ショップ。
そういうお店とは縁がないと思っていたけど、大学生活に希望が見えなかった春先、とくに理由も無くふらふらと入店したのだ。
そこで見つけた一本のソフト。
――ライフサポートAIプログラム。それがクスネの原形。
近年、人同士の直接的なコミュニケーションは希薄になりつつある。
買い物はネットドローンや無人コンビニを利用すればいいし。仕事もテレワークが主流。大学や教育機関も徐々に数を減らし、今後は自宅でのサテライト授業が本格化されると、ニュースでやっていた。
一方、対人関係の欠乏が健康や精神に悪影響があると指摘されたのも事実。
笑うことは、がん細胞の抑止力になり、言語のアウトプットは認知症やアルツハイマー病などに効果があり、適度なストレス負荷は様々な生活習慣病の予防になることが実験データにより証明されていた。
人と人とを隔離し、コミュニケーションを最小に限定した「冷たい社会」はいろいろな健康問題を顕在化させた。
そういった世論や社会問題を受けて開発されたのがライフサポートAI。
感情の豊かさ――ホモサピエンスの特権。皮肉にも、効率性を重視した未来改革は人類の特権を奪ったのだ。
人の暮らしをより豊かに、そして、人に人らしい感情を取り戻させることを目的として、ライフサポートAIは瞬く間に広がった。
クスネも、そんな社会の風潮を受けて生まれたAIプログラムのひとつだった。
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