クロスフェアリーは永遠に舞う

礫奈ゆき

第1エンド クスネと日常

 ――気にしないで!


 ……やめて。


 ――有梨栖ありすが悪いんじゃないよ。


 ちがう……わたしのせいだ。


 ――次がんばろ、ね?


 次なんて、もう……ないんだよ。



「……ッ!? はぁはぁ……はぁはぁ……っ」


 目が覚めると、見慣れた天井が視界に広がる。ここが自分の部屋だと思い出して、安心する。


 うるさく鳴っていた心臓も、だんだんと落ち着いてくる。


 端末を見ると午前六時半。アラームの設定より一時間も早い起床だ。


「また、あの夢……」


 夢というより記憶。


 二度寝する気分にもなれず、ベッドから起き上がり、脱衣所へ。早く嫌な汗を流したかった。


 シャワーを浴びた後は、端末でドラマの配信を見ながら身支度をする。


 周りの女子にはガッツリとメイクをきめて大学に来ている子も多いけど、わたしはコスメ関連の知識もなく、あまり好きでもないから、朝の支度は割といい加減だ。


 食欲があるわけでもなく、紅茶を一杯だけ飲んで、家を出た。





 余裕を持って大学に行けたおかげで、始業までの時間を課題のレポートに充てることができた。今朝は快適な目覚めではなかったけど、朝型の生活も悪くないのかもしれない。


 本日は二限のみで、その唯一の講義も滞りなく終了。ああ、大学生って楽でいい。


「さて、帰りますか」


 春の終わりを感じさせる大学の敷地を、ゆっくり歩く。桜の木々は爽やかな若葉に染まり、五月らしい暖かい風が髪を撫でていく。


 引っ越しやら、はじめての一人暮らしやらでバタバタしていたけど、ようやく周りの景色を眺められる程度には落ち着いてきたみたいだ。


 キャンパスを歩いていると総合グラウンドから元気のいい声が聞こえてくる。アメフト部や陸上部だ。


 先日までの賑やかな部活動の勧誘は影を潜め、電子掲示板からも部活動関連のニュースは流れなくなった。


 新入生を迎えて、それぞれの部活が、それぞれの体制で動き始めている。わたしはその様子を遠目に見つめる。


 同じ時間を過ごしているのに、自分だけが取り残されていく感覚。


 二人組の女子大生に声をかけられたのは、そんな哀愁にも似た気分に浸っていたときだった。


有梨栖比奈ありすひなさんだよね?」


「はい……そうですけど」


「あっ急に話しかけてごめんね。私たち四年の者なんだけど」


 容姿や雰囲気から先輩だなとは思った。どうやらわたしとは学部が違うらしい。


「私たちカーリング部に所属していてね」


「カーリング部……」


 その単語を聞いただけで、なんとなく彼女達が話しかけてきた理由に察しがついてしまった。


「有梨栖さんは、今部活とかは?」


「今はどこにも所属してないです」


「もしかして学外のクラブに入っているとか?」


「いいえ。本当にフリーです」


「どうして、カーリング部に入らないのかな?」


「……」


 それは、まるで、わたしがカーリング部に入部するのが当たり前のような物言いだった。


 でも、決して責めるような口調ではなく、純粋な疑問という感じだった。


「ちょっと色々ありまして、カーリングはもう辞めたんです」


「「ええ!?」」


 わたしの返答を予期していなかったのか、二人は驚いて目を丸くした。


「す、すみません。このあと用事があるので、失礼します」


「あっちょっと!」


 質問沙汰になるのがオチだと踏んで、話を切り上げて小走りで去る。


 初対面なのに、悪いことをしてしまっただろうか。少しばかりの罪悪感を胸に、帰路についた。





「疲れた~~~」


 レジ袋を玄関にどさっと置くと、今まで姿を見せてなかった疲労感が一気に込み上げてきた。


『おかえり、比奈ちゃん。うわぁ、いっぱい買ったね!』


「ティッシュのセールは計算外だったよ。三ボックスも買っちゃった。かさばるんだよね、これ」


 ぽてぽてとした足取りで出迎えてくれたのは、同い年の女の子。名前はクスネ。亜麻色の髪に、翡翠ひすい色の瞳をしている。


 カバンは机の上、食べ物は冷蔵庫に、その他の雑貨は収納棚へしまってやっと一息ついた。


『お夕飯は何にするの?』


「牛肉が安かったから肉じゃがでもどうかなって」


『クッキングパッドからレシピ検索しておこっか?』


「ううん大丈夫。実家にいた時も何回か作ったことあるから」


 今年の春に地元を離れて大学生になって、今は一人暮らしをしている。実家にいたときも家事の手伝いはしていた。


『大学はどうだった?』


「今日は一コマだけ。でも……」


 一瞬、授業の後の出来事を話そうか迷った。でもクスネだから、話すことにした。


『それはきっと勧誘だね! 比奈ちゃん有名人だから!』


 屈託のない笑顔をわたしに向けるクスネ。


『ねぇ、比奈ちゃんは、本当にもうカーリングやらないの?』


「その質問はやめて」


『そうだった……ごめんね』


「ち、ちがうの。クスネが悪いんじゃないよ! 話を振ったのはわたしだから」


『でも昔のことは言わないって約束だったから』


 しょんぼりしながら謝るクスネ。彼女のそんな表情を見るのが、辛かった。

 

「そ、それより! 今日もクスネとお話したいな」


 空気を変えるように、わたしは手をパンと叩いて、明るい口調で言った。


『じゃあ映画でも観よっか? 新着リストが更新されてるよ。それともVRゲームで遊ぶ?』


「ううん、今日はおしゃべりしたいだけ。そういう気分……」


『わかった! ワタシも比奈ちゃんとお話するの好き』


 彼女の朗らかで優しい笑顔に、心が救われる。こんなに素敵な笑顔を向けてくれる女の子を、わたしは他に知らない。


 でも、


 クスネ――映像投射機能で現れるAIホログラムの女の子。


 AIに人間と変わらない「自我」と「感情」が搭載され、ホログラムとの融合技術が開発されたのが数年前。AIホログラムは、”生きた人工知能”になった。


 クスネは、そのAI技術を取り込んだライフサポートプログラムだ。


 クスネは家の外に出ることができない。だから、大学の話をしてあげると嬉しそうにするし、悩みがあれば相談に乗ってくれる。一緒にバーチャルゲームで遊ぶこともある。


 人の形をした、人間と同じ魂を持つクスネ。わたしの、たった一人の友達。



 他愛もない会話をして午後の穏やかな時間を満喫した。何の生産性もない会話だけど、クスネといられる時間がわたしの時間だった。


「もうこんな時間。そろそろ夕飯作らなきゃ」


『おいしくできるといいね肉じゃが』


「食べ終わったらまたお話しよ?」


『比奈ちゃん、明日大事な小テストがあるでしょ?』


「あ、あれはね……中止になったんだ。突然休講になってね」


『比奈ちゃん! 嘘はめっ! だよ!』


「ちぇー。やっぱりスケジュール管理アプリなんかクスネに入れるんじゃなかった」


『そんなアプリなくても分かるよ。だって……』


 不満そうに頬を膨らませるわたしに、クスネは優しく微笑んだ。


『比奈ちゃんの顔、毎日見てるもん』


「…………そっか」


『テスト終わったらまた遊ぼうね』


「うん!」


 そう言ってわたしは、夕食を作るためにキッチンに向かうのだった。

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