第3話 乾電池


 今回は僕が子供の頃の話をしよう。あんまり楽しい思い出でもないのでこれまで誰にも話したことはなかったが、もう三十年以上も前の話だ……まぁ、与太話だと思って聞いてもらって構わない。


 第二次ベビーラッシュ世代である僕たちの年代は子供の数が多くて、いわゆる「こども会」の活動も盛んだった。夏祭りやとんど焼きに「庚申さん」の福引き。正月に神社に行ったら老人会のメンバーがお菓子の詰め合わせなんか配ったりしてたっけ。

 中でも一番の楽しみは高学年になると参加できるキャンプだった。キャンプといってもテントを張ったりする本格的なヤツじゃなくて、自然学校的な施設に一泊して山の中で遊び倒すのが目的のヤツだ。引率にはその年の役員である父兄があたっていたが、現地にはキャンプリーダーを務める若い男性がいてまとめ役になっていた。今から考えるとあれは大学生のアルバイトかボランティアだったんだろうな。

 僕たちのグループを担当するリーダーはやたらテンションの高い、ノリの良すぎる男だった。本名なんて覚えてはいないが「アタマ」と呼んでくれ、という自己紹介はよく覚えている。妙なニックネームだが意外と成績優秀者だったのだろうか。あるいは暴走族でアタマを張ったりしていた過去があったのかもしれない。


 さて、このキャンプ最大の目玉といえば何をおいても「肝試し」だった。キャンプ場の中にある湖を囲む遊歩道をぐるっと一周するだけの他愛のないものだが、何しろ街灯もなく、月明かりも届きにくい鬱蒼とした山の中だ。一本の懐中電灯だけではなかなかに頼りなく、待ち受ける非日常性とスリルに僕たちはワクワクしたものだ。

 対して、女子の中には本気で怯えている者も少なくなかった。それをまた、よせばいいのに彼女たちの恐怖を煽りまくったのはやっぱりアタマだった。彼は集合した子供たちに対して、浮気を責められた挙句に逆上して妻を殺し、風呂場でバラバラに刻んだ男の話を臨場感たっぷりに披露してみせたのだ。オチは勿論、この池に投棄された女がまだ見つからない身体の部品を探して這いずり回っている、というベタものだったが、このお陰で半分ぐらいのグループが出発前にリタイアしてしまったのだからさすがにやり過ぎというものだろう。そもそも、小学生に夫婦の浮気話を聞かせるなんて不適切にも程がある。


 僕のグループは僕と、同室の三人。同じ六年生のタカヒロとケンジ、タカヒロの弟で五年生のマサヤという普段から一緒に遊んでいる気心の知れた四人組だ。グループに一本と決められた懐中電灯を準備したのはケンジで、僕たちはその後に続く形で出発した。


 木々の陰は濃く、風が吹くとザワザワと鳴る枝に遮られて見上げても月の顔は見えないが、波打つ湖面に目をやると銀色の円盤がゆったりと揺らいでいる。遠くから聞こえてくるのはミミズクの鳴き声だろうか。

 そんな闇の中を、僕たちは懐中電灯の丸い光だけを頼りにしながら意気揚々と歩いていた。まったく怖くなどはなかった、と言えばウソになるかもしれない。それでも、下手をすれば親よりも長い時間を共に過ごしている仲間が一緒だし、そんな彼らにビビっているところなど見せられるはずがない。愉しみ半分虚勢半分、といったところだろう。

「うわぁっ!」

 突然、先頭を歩いていたケンジが声を上げてすっ転んだ。ガツンと硬いものが舗装された地面にぶつかる音とともに、懐中電灯の光がフッと消える。

「おいおい、何してんだよケンジ」

 闇の中、手探りでケンジの身体を探り、立ち上がるのを手伝ってやる。

「痛てて……ゴメン、何かに引っかかってさ」

 派手にコケたから、もしかしたら膝ぐらいは擦りむいているかもしれない。しかし、確かめようにも懐中電灯の光がない。

「もしかして、今ので壊れた?」

 マサヤが不安げに言う。

「分からない。でも点かないな……あっ」

「どうした?」

「蓋が開いて、電池が無くなってる」

 思わず、自分の爪先すらよく見えない足元に視線を落とした。この暗がりの中に乾電池が転がってしまったって? コイツはシャレにならないぞ……しかも、まだ行程の半分も進んでいない。この先、懐中電灯ナシでも歩けないことはないだろうがやはり不安ではある。このまま後続のグループを待つ手もあったが、ゴール後にあのアタマ辺りに散々からかわれるのは確実だろう。それはちょっと面白くない。

「しゃあねぇな……おい、探すぞ」

 僕たち四人は地べたを這いずりながら、手探りで乾電池を探し始めた。


 僕が一本、タカヒロとマサヤが一本づつ。合計三本の単三電池は意外と容易く発見することができた。もしかしたら懐中電灯本体も壊れていて、この乾電池を入れても点かなかったりして……という不安は杞憂に終わった。ケンジがスイッチを入れると地面に円形の光がポッと点ったので、これで一安心。

「よっしゃ。じゃあ行こうぜ!」

 僕の声で一同はまた、歩き始め……ようとしたが、ケンジだけはまだ地面を照らしながら首を傾げている。

「おい、何してんだよ。早く行こうぜ」

「あ、うん」

 ケンジはすぐに先頭に戻り、今度こそ僕たちは進軍を再開することができた。

「なあ、ケンジ、さっき何探してたんだ?」

 僕が訊くと、ケンジはまた首を傾げた。

「いや……さっきの場所、何か引っかかりそうなものあった?」

「ん……いや、何もなかったと思うけど」

「ふうん……確かに何かに引っかかったんだけど……気のせいかな」

「気のせいだろ」

 そんなささやかなトラブルに見舞われはしたものの、僕たちの肝試しはつつがなく終了した。

 ……その時は、そう思っていたのだ。


 擦りむいた膝に絆創膏を貼ってもらってたケンジを待って風呂に入ると、すぐに就寝の時刻となった。翌日は早朝からカブトムシを捕まえに行く予定なので夜更かしせずに早く寝るように、という指示があったがそんなものに従うヤツなんているはずがない。

 左右に設置された簡素な二階建てベッドと、その奥にはこれまた簡素な机が四つあるだけの狭い部屋で、僕たちはいつまでも他愛のない話をダラダラと続けていた。内容は覚えていないが、テレビアニメやマンガの話ばっかりしていたような気がする。定番の「恋バナ」で盛り上がるには当時の僕たちはまだ幼すぎたのだろう。

 話しながら、なんとなく手持ち無沙汰で僕は目に付いたものに意味もなく手を伸ばした。ケンジが持ってきていた、例の懐中電灯だ。これまたなんとなくスイッチを入れると丸く切り取ったように天井が明るくなる。次の瞬間、僕たちはあっと声を上げた。

 丸い光の中に、晴れ着を着た三歳ぐらいの小さな女の子の姿が映っていた。背後に神社の鳥居があるところをみると、どうやら七五三の写真のようだ。しかしスライドでもなんでもない、ただの懐中電灯だというのにどうしてこんな画像が映し出されるのか、まったく意味が分からない。

「おい、なんだよこれ!」

 と声を上げたのは持ち主のケンジだ。彼が知らないとなるとこの懐中電灯がもともとそういう機能を持つものであった、というわけではないのだろう。

 信じられない思いでスイッチをオフにし、もう一度オンにしてみるとやはり女の子の姿がが映しだされた。だけど、さっきとは背景も服装も違う。黄色い帽子に水色のスモックは保育園か、幼稚園か。

「スゲー! どうなってんの⁉︎」

 興奮の叫びを上げるマサヤの口を、慌ててタカヒロが押さえた。消灯時間はとっくに過ぎている。ここで夜更かしをしているのがバレたら明日のカブトムシ採りが危うくなるのだ。

 何がどうなってそうなったのかまったく分からないがカチカチとスイッチを切り替えるたびに写真が切り替わっていく。映っているのは全て同じ女の子だ……どうやら僕たちは彼女の成長記録を見せられているらしい。

 小学校に入学。運動会。プール。音楽会。卒業式。中学生入学。修学旅行……成長していく彼女が「少女」から「女性」へと変化していく過程を眺めるのは当時の僕たちにとってかなり気恥ずかしいものだったが。それでも先が気になってスイッチを切ったままにすることはできない。高校を卒業して以降はなかなか刺激的なシーンも見られたが、僕たちは息を殺し、食い入るように彼女の人生を眺め続けた。

 彼女の人生は順風満帆、というわけではなかったが決して不幸ではないようだった。いくつかの恋愛を経て大学生になり、就職した先で運命的な出逢いをした相手と結婚。ウエディングドレス姿の彼女は子供の目から見てもため息が出るほど綺麗だった。

 幸せの絶頂を迎えた彼女の人生は、しかしこの結婚を機に一気に転落していく。仕事の失敗から職を失った夫はパチンコとアルコールで蓄えを食い潰し、働いて生活を建て直そうとする彼女に暴力まで振るうようになったのだ。そして彼女以外の女性との浮気……

 そして、悲劇が訪れる。

「お、おい、これって……」

 ケンジの言葉に、僕は呆然と頷いた。僕たちは彼女を知っている。彼女の人生の結末を知っている。この先、彼女は……

「け、消せよそんなの!」

「わ、分かってるよ! でも!」

 カチカチカチカチと、僕の手の中で懐中電灯のスイッチがオフオンを繰り返している。僕はもうスイッチには触れていないというのに!

 光の中で逆上した男が彼女に掴みかかり、渾身の力を込めてその首を絞め上げている。顔を真っ赤にしながらジタバタともがき、抵抗していた彼女の動きが少しずつ弱くなっていき、やがて人形のように崩れ落ちた。大きく肩で息をしていた男はピクリとも動かない彼女の服を脱がし、風呂場へと引きずっていく……

「うわあっ!」

 この先を見てはいけない! 僕はベッドの上に懐中電灯を放り投げた。即座にタカヒロが布団を二枚、その上に放り投げた。光が届かなければ、映像を見ることもない。タカヒロのファインプレーだったが、それでも夜を通してカチカチという音は絶えなかった。果たして、布団の中ではいったいどのような映像が流されているのか……それを考えると怖くて仕方がなく、結局一睡もすることなく僕たちは朝を迎えた。楽しみにしていたカブトムシ採りだったが、どうしてもそういう気分にはなれなかった。


 気がつけば、スイッチの音は止まっていた。窓から差し込む朝日の眩しさに励まされながら、意を決して布団をめくってみる。懐中電灯はそこにあったが、スイッチがオンになっているままにもかかわらず豆電球に光はない。

「点いてないな……」

「もしかして電池切れなんじゃない?」

 ホッとした空気がようやく一同の間に流れた。電池切れならもう怖くはないだろう……これを家に持って帰らなけばならないケンジだけは微妙な表情をしていたけど。

「いちおう電池抜いといた方がいいんじゃない? 息を吹き返したらイヤだし」

 息を吹き返す、というのもこの状況では大概イヤな表現だったが、マサヤの言うことはもっともだった。ケンジが懐中電灯の蓋を開けると、バラバラと机の上に電池が転がった。

「あっ!」

 驚愕の声に見てみると、そこには奇妙なものがあった。二本の単三乾電池、そして白くて表面がゴツゴツした円筒形の物体。

「もしかしてこれって……骨……じゃないの……?」

 確かに、それは僕にも骨のように見えた。よくはわからなかったが、大人の指の骨とかだったらちょうどこんな感じなのではないだろうか。

 脳裏に、肝試しの前にアタマが語った怪談が蘇る。やはり、懐中電灯に照らし出された女性はバラバラにされて、あの湖に捨てられたのだら。そして女性はまだ見つからない自分の部品を探して這いずりまわっている……じゃあ、 あの時ケンジの足を引っ掛けたのは……そしてこの骨は……

 呆然と立ち尽くす僕たちの目の前で、骨はボロボロと崩れていく。瞬く間に小さな砂の山のようになってしまったそれは窓から吹き込んできた風に散らされて、痕跡も残さずに消えてしまった。

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