賢者ルニウスの章

第1話 賢者、神の使途となる①

神聖アトラス王国、首都ロムールにある貴族居住地区のはずれ、古びた石造りの洋館の一室で、かつて賢者と謳われたルニウスは最後の時を迎えようとしていた。

まるでライオンのようだと評された純白の髪と顎髭は、ハリとツヤを無くしゴワゴワと伸び散らかっており、ヒトを射貫くような鋭い眼差しは、瞳孔が白く濁り焦点を結んでいないようだった。

数多の英知をその頭脳に収め、哲学から生物学に至るまで様々な知識に精通した彼も、寄る年波と病気には勝てなかったのである。


すでに齢60を超えるルニウスであるが、彼には妻子がいない。 未知への探求と英知の追及に没頭するあまり、人として家庭を持つ機会に恵まれなかったのだ。

また、その知名度により多くの弟子を抱えてはいたが、彼の後継者となり得るような才覚とはついぞ出会うことができなかった。


彼にはまだ、やり残したことがあった。

それをしないことには、死んでも死にきれない。

しかしここ最近は、自分の意志に反し体は動こうともせず、気を張っていないと思考すら霞んでしまう始末だった。

もはや明確な姿を映すこともできず、無念の涙と共にぼんやりと霞んでいく目に、何故か鮮明に映る人らしき姿。


その容姿はやけにはっきりと見えるのに、男性とも女性とも判別がつかない。

輝くような金髪は緩い曲線を描きながら腰まで伸び、銀色に輝くローブはなめらかにその身を覆い、深い海のような蒼の瞳は、優しげな眼差しをこちらに向け軽く頬笑んでいるようでもあった。


ルニウスは、もはやまともに喋ることができなかったが、声にならない声で呟くように問うた。


(あなた様は、神であらせられるか?)


彼?はにっこりと微笑み答えた。


「ヒトと呼ばれる種族にそう呼ばれることもあるね。 別の種には創造主とも呼ばれているよ。

普段は世界に極力関わらないようにしているんだけど、今回は特別。

久しぶりにこの世界に下りて、多くのヒトの意識を覗いてみたら、君こそが当代の賢者だと聞いたよ。

実は君に、やって欲しい事があるんだ」


一人では立つこともままならないこの身に、一体何を望んでいるのだろうか?

神に対する崇拝の気持ちはあるが、今の自分に出来ることなんてない。


(あなた様の願いであれば、否応なくやらせていただきたいのですが、もはや私には、指一本まともに動かせる力もありませぬ・・・)


心から悔しそうにそう呟くルニウスに、彼?はゆっくりと枕元まで歩み寄り、幼子に優しく話しかけるように、柔らかな口調で話を続けた。


「それは十分わかっているし、解決策も提示しよう。

まず、やって欲しい事なんだが、この先世界中を探索し、私に捧げる本を作ってくれないか?

この世で君が君のまま、これ以上生き延びることは適わないし、その運命を覆すことも出来ない。

でも君がこの契約に応じてくれるなら、もう一度別人として新しい人生を送るための健康で強靭な若い肉体を与えるよ。

ただ、君が新たな人生を得たとしても、一生掛けてもやり切れない遥かな旅路になるかも知れない。

どこかに腰を落ち着けて定住するような生活を、当分は望めないだろうね。

それでもやるかい?」


その提案にルニウスは、力を振り絞り目を見開く。


(ぜひ!ぜひにやらせてくだされ!)


声にならないうめき声を発しながら、ルニウスはその願いに飛びついた。


「契約は成立だね? ならばまずこれを10日間、肌身離さず持っておくように。

くれぐれも肌に密着させたまま、一時も離さないよう気をつけて」


彼?は、もう力の入らないルニウスの右手に、虹色に輝く直径5cmほどの珠を握らせた。

珠を持たされたルニウスは、そのとたん全身にどんどんと力が戻ってくるのを感じた。

すでに右手は、珠をしっかりと握り締めている。


「おお! 神よ、感謝いたします! 力が湧き出てくるようですじゃ!」


声が出る! 体が動く!

自分の身に起きた劇的な変化に、感激の涙を流すルニウスを制し、彼?は話を続けた。


「残念ながらその力は、一時の猶予に過ぎないよ。

その珠は『知識の宝珠』と言って、一定の時間肌に密着させることで、君の持つ記憶と知識、人格すらも全て転写し、新たな器となるほかの肉体に移し替えることが出来る神器だよ。

それを身に着けてる限り、情報の転写が完了するまでは、君の生命活動を補助もしてくれるよ。

この宝珠のことが他人に知られたりしたら、いらぬ災いを招くかも知れないから、くれぐれも内密にね。

全てが終わってこの珠が再び私の元に戻ったとき、君のルニウスとしての人生も完全に終わる。

死ぬ前にこの世界で成すべき事があるのなら、悔いの無いよう全部やりきっておいたほうがいいね」


「重ね重ねのご配慮、深く感謝いたしまする!

私の持つ全ての力を尽くして、このご恩に報いましょうぞ!」


いつの間にかルニウスは立ち上がり、滔滔と流れる涙も拭かぬまま、彼?に向かって深くお辞儀をした。


「ああ、ついでに忠告をしておこうか。

君はどうやら毒を盛られていたようだね。 何か心当たりは無いかい?

宝珠を持つ限り、期間中であれば君が死ぬことは絶対に無い。

それでも、身の回りには十分注意するんだよ?

では、来るべき日にまた会おう。 くれぐれも達者でね」


そういい残して、彼?はまるで幻だったように、忽然と姿を消してしまった。

しかしこれは夢ではない。 手に持つ宝珠の、その大きさにそぐわないほどのしっかりとした重みが、現実である事をこれ以上無いほどはっきりと告げていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る