第9話 書くこと

 今、これを書くにはパソコンがいる。

 キーボードに指を置いて、パチパチパチパチ。


 中学生ぐらいの頃はワープロの時代だったな。父親の仕事のワープロを拝借して、感熱紙に熱量だけで書きあげた物語を印刷して悦に入ってた。

 でも、ほとんど自由に使えないから、大学ノートに己が右手を使って言葉の羅列を書きなぐり、とにかく手が痛くなるまで書いていた。


 今は文章を書くのが億劫で、そんなに書かないけど、書くとしたらパソコンで、使い方に頭を悩ませながらパチパチ、パチパチ。

 手で書くよりも早いのは楽だなあって思う。


 でも、ふと思う。

 大量に書くことのできるパソコンは、その実思いが流れっぱなしになって、自分で咀嚼した言葉じゃないかもしれない。

 手で書く時もわーっと書く時があるけれど、書いている行為が考える行為に繋がっているから、ああ、ここ違うな、と書いていて思う。その分、書き直すのは億劫で、大変。私は消しゴムを使わないので、びーっと線を引いて、横から矢印入れて、文の流れはこっちやで、と示すけれど、後で自分で読んでみても、なんと読みにくいのか、とうんざりする羽目になる。

 その点はパソコンなら切って張って、都合よく仕上がるから楽ちんだ。


 そんなことを思いながら、ああ、手書きは徒歩で、パソコンは自転車なんだと思う。自動車まではいかない。だって、打つの遅いし、打ちながら、止まって考えて、見える風景にふむふむと頷いていられるからだ。

 徒歩ではもっと風景を見ていられる。じっくり、寄り道なんかもして、距離は進まないし、時間もかかるけど、歩いた場所は覚えているし、記憶にとどめていられる。

 自転車は風景が流れていくから、覚えていない場所も出てくる。漕ぐだけで早く違う場所に行けちゃうから、あっちへブラリ、こっちへブラリもお手軽にできる。

 どっちが良い、とかでなく、記憶の留まり方の違いだと思う。


 書くことは楽しいなと思う反面、億劫な私には徒歩も自転車も、どっちも素晴らしいツールだと思う、という話。

 

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