第1話 糸

喫茶店のバイトを終えて参加した飲み会。

男女共にかなりの人数が集まり、滅多に異性と関わるチャンスが無い上にあまり目立つタイプとは言えない地味な男性の席に何故か女性達が集まり、緊張も相まって飲んだ。だいぶ飲んだ。物凄く酔った結果が今に至る訳で少し後悔している

頭がぐらぐらする上に眠気も相まって足取りが重たい。自分の周りの世界だけ重力が増していると思える訳で現在位置から自宅までの距離は大して無いにも関わらず自宅着く気配が見られない‪──‬


「帰って早く寝たい」


ぽつりと溢した独り言と共に視界が捉えた違和感に襲われた。視界の先に映し出された真っ暗な一本道とその真ん中であろう位置に建てられた明滅する街灯を見て疑問抱く

この道そのものが身に覚えがないのだ‪──‬

居酒屋から自宅までは道のりは、大通りを真っ直ぐ歩き、4つ目の信号で初めて左に曲がった所にあるコンビニを超えた先のアパートとかなり覚え易い地理をしている。

しかし、歩いていた筈の大通りは突如、住宅街と化していたのだから脳みそは混乱して酔いが徐々に覚めていく‪──‬冷静になればなるほど何故こんな閑静な住宅街に自分がいるのか理解出来ない。

いくら酔ったとは言え道を間違えるほど冷静さを欠いた事など今迄かつてなかった


「道に迷うほど飲んだ…かな?」


辺りを見回して場所を確認しようと体を振った瞬間に更に違和感を感じた。

纏わり付いて粘着する不快感を催す感触を引き起こす箇所へ目を向け、触れると肩や衣服に細く頑丈でやたら粘着性の高い蜘蛛の糸が付着していたのだ。

最悪な気持ちで蜘蛛の糸を取り除いていた時だった


『ニャアァァァ〜』


耳に届く聴き慣れた生物の鳴き声

黒猫が明滅する街頭の下で鳴きながらこちらを凝視しており、何かを訴え掛けるように鳴き、もしくは飲みすぎた自分に対して説教でもするようにも聴こえた矢先‪──‬

黒猫は突如全身の毛を逆立て此方に尻を向けて明滅する街灯の先に広がる闇の中、いや、闇の中のナニカを見据え、鋭い威嚇をするや身構える

刹那、勢いよく噴射された物体が黒猫の体を付着するや否や体もろとも黒猫は闇夜に消え‪──‬ぐちゃりと音がした。

続け様に骨を砕く、圧砕する粗食音が静かな住宅地に鳴り響き、続け様に嚥下を終える大きな音が鳴ると同時に静寂が訪れた。

眼前に広がる闇夜には人ではないナニカがいる

そのナニカであろう生物と思われる物体の輝く8つの赤い光が左右に揺れ動き、此方に近づいて来る‪──‬

明滅する街灯に照らされ、ようやくソレは姿を現した。

二足歩行の人の形を模した否、人の表皮を被り崩れかけた肉体の中から本体が漏れ出した状態


「酔いすぎてこの世の生物じゃないナニカが見えてるよ‬」


何か口にしないとやってられなかった。

人の口だった部分から剥き出しになった槍状の二本の上顎をパックリと左右に開閉させ、内側に無数に生え揃った刺棘の牙を剥き出しにする。牙には無数の黒い体毛の断片が付着しており先ほどの黒猫が捕食された‪痕跡が残されていた‪──‬

上顎から垂れ流す粘性の高い唾液を地面に溢しながら、此方を見据えカチカチと上顎同士をぶつけては、狩りを始める前触れとでも言わんばかりに人の顔であった部分を何度も震わせている。


人間の形をギリギリに保つ二足歩行をする蜘蛛はその肉体を突き破り本当の姿を露わにした。

主体であろう双肩の腋元から対で生えた人の腕。同じく腋元から対で腕が生え、同じように脇元から対で生えた6本の人間の腕を人間では動かせないような関節の動きを見せた。

さらに肩甲骨付近から蜘蛛脚が4対の8本生えており、どの脚も鎌のような鋭利な刃の形状‪──‬

関節の接合部が不規則な動かし、軋むような音、脚を擦り合わせ刃物を研ぐ音を高鳴らし威嚇を何度も繰り返し


『ニャーァァァァァァァァ』


蜘蛛の妖から発生されたのは先程捕食された猫の鳴き声ではないか、つまり捕食した餌に擬態が出来るという意味‪──‬

俺を食い殺し声を奪うのか、はたまたは体内に寄生してその姿なりを擬態するのか考えただけでも恐ろしい

血の気が引き、酔いなんて完全に冷めた‪──‬

こんな状況なのに何処か気持ちが高揚している自分がいた。文献などでしか見たことのない妖が存在していたと云う紛れもない真実に‪‪胸は高鳴る。死ぬかもしれないのに。


「厄介なのに目を付けられたね」


音も無く真横に現れたのは、三白眼の瞳が特徴的な横顔の綺麗な女性‪──‬

蜘蛛の妖の姿を刮目しており此方を一切見る様子もなく、ルームウェア用のキャミソールにショートパンツにビーチサンダルと云った軽装なうえ、片手にはコンビニ袋を持っている

女性の顔が此方に向いた。

正面から見てもやはり綺麗な小顔の顔立ちで睫毛が長く三白眼の瞳も相まってぱっちりとした眼が特徴的。

どのパーツも綺麗で整った顔とはこの事を指すのだろうそう思った。


「蜘蛛に目を付けられたんだね、その左腕の痣は好餌こうじ刻印こくいんだよ‪‬」


灰茶色の髪の女性の透き通る綺麗な声と言葉に我に返る。左腕に視線が向いたと同時に何故、今の今迄、気が付かなかったのかと思えるほど肌が赤黒く変色を引き起こし痣に似た刻印がくっきりと刻まれていたのだ。


好餌こうじ刻印こくいんコレはね簡単に言えば呪術の類で『私の餌だけど捕まえるのを手伝ってくれたら腕の一つぐらいはあげる』って意味を兼ねた印で付けられたら最期。穂隆くんが子蜘蛛こぐもに捕まって『親』に捕食されるか、この刻印を記した『親』を殺して刻印を消すのどちらか。このまま放置すれば別の妖にも死ぬまで命を狙われる」


「なんでそんな事知ってるんですか?僕は死ぬ?‪──‬死なない」


灰茶色の髪の女性の言葉に嘘を何一つ付いているとは思えないほどスラスラと言葉を言う。


多分、何もなし得てない人生で終えることに諦めが付かないそう思えたのかもしれないから死なないなんて言葉を漏らしたのだろう。


そんな言葉を灰茶色の髪の女性は聞き漏らさす訳もなく此方を見据えて口を開いた


「私は今とても気分が良いの。何故、気分が良いのか?それは近所の肉屋で買えた揚げたての衣がバリバリの肉汁たっぷりの旨みが爆発する唐揚げを冷蔵庫でキンキンに冷やした。ソレはもうすこぶる冷たいビールと一緒に飲み食いしたから‪──‬」


灰茶色の髪の女性は淡々と言葉を連ねて、穂隆に言葉を挟む隙を与えず‪‪──‬


「ねえ、晩酌付き合って」


「は、いッ?」


素っ頓狂の声が喉の奥から転がり落ちた。

この状況で何を言ってるのか分からず咄嗟に手首を掴み引き摺る勢いで引っ張り声を張り‪あげた。


知っていたからだ。あの妖は穂隆を狙ってきたことも踏まえて、先程の黒猫が骨も体毛も丸ごと喰い殺されたことを‪──‬


「この状況で何を言っているんだ。アレは太古の妖だ。貴女のような華奢な女性が倒せる訳ないだろ、今すぐにでも一緒に逃げないと貴女まで殺されるぞ‪──‬」


酔いは完全に冷め、まるで酔っ払いが吐瀉物をばら撒くように言葉をありったけ吐き出したが、対して灰茶色の髪の女性はクスリと笑いを漏らす。


「じゃあ、あの子蜘蛛を責任持って始末するから私との飲みに付き合ってくれない?秋月穂隆くん」


「始末って貴女も逃げないと…‬」


先程から思い切り引っ張っている手首が動かない。

正確には灰茶色の髪の女性の体は全く動かすことが出来ない。

足が地に根を張っているのかと錯覚を引き起こすほどピクリとも動くことがない


「え、動かせ、な、い?」


「穂隆くん君は私の人生を捧げて守ってあげよう」


双眸が捉えた灰茶色の髪の女性の顔、特徴的な三白眼の瞳は瞳孔が細く鋭利な形に変貌し‪‪──‬まるで蛇のようなまなことなり、口角を吊り上げ薄ら笑いを浮かべ、灰茶色の髪の女性から放たれた否、解放された闘争本能が全て剥き出しになる。


闘争本能が剥き出しになり、血走った瞳が子蜘蛛の妖を狙い澄ますとでも言わんばかりに捉えると、圧倒的な力量を感じたのか畏怖した様子を見せて身を竦ませ怯む。


同時にケタケタと脚を擦って対抗の意思をみせ、威嚇音を挙げた直後だった。


刹那、鼓膜が捉えた‪──‬蜘蛛を圧砕する音を

視界も捉えていた‪──‬蜘蛛を圧砕する瞬間を


子蜘蛛の肉体は、頭上から降り注いだ空気を圧縮させた広範囲の透明な槌のようなもので押し潰したのだ。

空気の槌は綺麗な円形で地面を陥没させ、原型など一切留めていない子蜘蛛を一瞬のうちに肉塊にした挙句、血溜まりと成り果て陥没した地面を血の池に変えてしまった。


「おしまいおしまい。さあ、仕切り直してお酒飲みましょう。この袋持って私の家で飲もう穂隆くん」


灰茶色の髪の女性は柔かな笑みを浮かべ、コンビニ袋を押し付けて言う──‬

穂隆に反論の余地すら与えて貰えないまま女性の家について行く羽目になる


コレが蛇との出会いと同時に蜘蛛の妖達に狙われる日々が始まったのだ。

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