第38話 激録異世界修羅場




 さすがに勇者も自分がいる間は警備魔法具も稼働していない。セーナも俺もすんなりと寝室に向かうことができた。

 セーナが唾を飲み、ドアノブに手を掛ける。


 俺の合図とともに飛び込むように押し入り、俺は彼女の後に続いた。

 セーナは部屋の真ん中で絶句し立ち止まる。


 ベッドに並んで横たわる二人の男女。

 女は人間で細身スレンダー。ベッドに俯せでシーツを身体半分くらいまで被り、肘をついて顎を支え勇者を見上げていた。


 そして男は胸毛の生える胸筋が逞しい黒髪。枕をクッションに後ろ頭に手を組んだ格好のまま、突入してきた俺たちを唖然とした目で見ている。


 その男がついに相見えたこの館の主人、魔王退治の英雄、勇者のはずなのだが。


「え? あれが勇者? おっさんじゃん」


 そこにいたのは、俺よりも明らかに年上の、髪に白髪がまばらに入ったおっさんなのだった。裸のくせになぜか頭だけサークレットを身に着けている。筋骨逞しい肩や腕が立派だが、中年太りで腹がぽっこり膨れている。


 セーナがずかずかと詰め寄る。ふたりの状態を目前にしてさすがに冷静さは保てなかったか。


「エルドラン様! これは一体どういうことなのですか!」


 あ、やっぱりあのおっさんが勇者なんだ。


「ま、待てセーナ。これには魔界の深淵より深い訳が……」


 何かを察したらしい勇者が慌ててベッドから降りてくる。おい、変なもん見せんな。


「そこの女と一体何をしていたのですか!」

「は、話を。そう、世間話をしていただけである。やましいことは何も」

「裸で一体何を話し合うというのですか!」

「そ、それは…………。そもそもセーナはなぜここにいるのであるか。今日は会えないとあれほど……」

「そんなことは今は関係ありません! 何もやましいことがないというならきちんと説明してください! わたくしとの約束を延期しておきながら、あの女とここで何をしていたのかを!」

「……………………………………………………………………………………」


 今度は黙り込む勇者。


 これが勇者の姿とはとても思えないな。つうかセーナとの約束を延期してまで浮気してたのかよ。


 セーナが勇者に問いただすものの、勇者は頑として認めようとしない。そんな応酬がしばらく続いた後のことだった。


「ねえいい加減にしてよ!」


今度は勇者の浮気相手、ジェシカもベッドから降りてきてセーナに詰め寄る。


「こんな無防備なときに押しかけてやってきて勇者様に恥かかしてさ! 卑怯だと思わないの!?」

「どの口で貴女がそれを……」

「あんた婚約者でしょ!? なのに勇者様に寂しい思いをさせてるってわたし知ってるんだからね!」

「わたくしには守るべき気品としきたりがあります。どんなに時間が必要であれど、勇者様もそれを納得の上でわたくしたちは婚約に合意したのです」


 ぱしん。と小気味のいい音がした。


「あッ」


 思わず俺も口を手で覆って声が漏れた。

 ジェシカがセーナの頬を平手で打ったのだ。


「しきたりしきたりって馬鹿じゃないの!? そんなだから浮気されるのよ! 少しは自分の悪いところを反省してみたら!?」


 激昂するジェシカに対して、セーナは必死に自分を抑えていた。


「なぜわたくしが……正式な婚約者であるわたくしが、こんな小娘に説教されてぶたれなければいけないのですか……?」


 握る拳と声が震えている。耐え難い理不尽と侮辱に、それでもセーナは理性を保っていた。


 そこでようやく勇者が間に割って入った。

 ただし、背後に庇うように浮気相手に背を向けて、だ。


「二人とも落ち着くのである! セーナ、ここは一旦落ち着くために日を改め、場所を変えてゆっくり話し合おう。お互いに冷静になるべきである」


 このクソ勇者。軽々しくセーナの肩を掴みやがって。


「エルドラン様、なぜ、なぜですか。なぜその女ではなくわたくしを止めようとするのですか……? わたくしは何もしていないのに…………」


 これも俺には散々見慣れた光景だ。浮気が見つかった男の中には、なぜか咄嗟の行動で浮気相手の方を庇うような言動をすることがままある。


 ぶたれた婚約者をまるで加害者のように扱い、取り繕うように場を治めようとする最大の悪手。


 そんな姿を見せられて失望しない相手がどこにいるだろう。

 ああくそ。胸糞悪い。


 さすがに見ていられなくなった。俺はセーナの肩を掴んでいる勇者の腕を払いのけ、俺の後ろになるように割り込む。


「何をする」

「あんま情けない姿を曝すなよ。あんたがしなきゃいけねえことは誠心誠意謝ることだろうが」

「貴殿には関係ない。これは小生とセーナの問題である。そもそも何者であるか? 小生の家に勝手に入り込みおって。理由如何によっては騎士団に突き出すことも厭わないのだぞ」

「上品ぶった喋り方してんじゃねえよ。やってることはゲスのくせに。いるんだよな。自分の立場が悪くなると都合のいい人間以外排除したがるやつ。後ろめたい態度の証明だってわかんねえか?」 

「なんと無礼な……。貴殿こそセーナを誑かした悪漢なのではないか。あることないことセーナに甘言で弄したのであろう! 奇妙な頭をしおって。人の前に現れるならそれなりの装いというものがあろう! わきまえたまえ!」

「今度は人の容姿の批判に転換か? 無駄だぜ。そのセーナさんが俺を頼ったんだ。あんたがこそこそと淫蕩生活にふけってたのはお見通しだったんだよ」

「セーナ! セーナからもこの男に出ていくように伝えるのである! あまり身勝手なことばかりしていると騎士団に突き出すことも厭わないのだぞ!」

「裁かれんのはてめえの方だろ。もう大人しく認めたらどうだ」

「そうか。貴様、小生とセーナの仲を裂くつもりなのであろう! 小生たちは魔王を退治した英雄の絆で結ばれているのだ! 貴様ごときが付け入る隙などない!」


 くっそ。思った以上に話が通じねえな。勇者も浮気現場じゃただの男か。


 これでは埒が明かない。一度引き上げて相手が追ってくるように仕向けるか。こっちが迫っている限り、向こうは拒絶反応しか起こさないからな。

 さてセーナにどう伝えるかと思った矢先、背後でぼそぼそと声が聞こえた。


「セーナさん?」


 それは、魔法の詠唱だった。















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