第35話 エルフには人間のおっさんも青年に見えるってアレ



 勇者帰還の日が訪れた。

 凱旋行進の予定時間より前にセーナが俺のアパートを訪ねてきた。


「とうとう勇者様が帰ってこられます。凱旋行進は予定通り行われ、わたくしも王城でお迎えすることになっています」

「ついにきたな」

「しばらくわたくしは空き時間がありませんので、用があればハリシュにお伝えください。わたくしからも何か言づてがあれば同じようにいたします」


 頷く前に、俺は一つ確認しておきたかった。


「セーナさん。俺がこの世界に来て一週間経った。あのときの真実を知りたいという気持ちに変化はないか?」


 訊ねると、幾分の間が空いた。


「…………はい。わたくしは真実を知りたいと望んでいます。それがどんなものであろうと」


 と言いながら、胸の前で握る拳はすでに震えている。

 こりゃ大分強がってるな。証拠を見せたときにショックで倒れなきゃいいんだが。


「少し昔話をしよう」

「昔話、ですか?」

「ああ。そういえばセーナさんに俺の世界の話はあまりしたことがなかったと思ってな。過去に俺が調査した夫婦の話なんだが」

「お聞き致しますわ」


 珈琲を一口飲んで、一拍置いて俺は続けた。


「その夫婦は互いが互いの浮気を疑っていてな。旦那が俺の方に調査を依頼しにきた。んで、同時期に妻の方は別の探偵に調査を依頼していたんだ」

「お互いがお互いを……。なんだか悲しい夫婦関係のような気がしますわ」

「そう思うだろ? 俺も当初は妻側がしたんだろうと思って探った。だがなかなか決定的な証拠を掴めなくてな。二週間くらい経っても怪しいところなんか一つもなかった。俺は夫に『そんなはずはない。もっとよく探れ』と急かされながら走り回った」

「大変なお仕事でしたのね……」 

「だが結局、いくら探っても妻に浮気をしている証拠は出てこなかった。それどころか、俺はひょんなことから相手方の探偵とかち合っちまってな。ふと聞いてみたら相手も証拠が全くでなくて困っているという。仕舞いには浮気を疑っていたのは互いの思い込みだったことがわかった。なんて、そんな笑い話もあった」

「まあ。そんなことが」


 下らないオチだが、少し緊張が解れたのか、セーナはくすくすと笑う。


「愛するがゆえの疑い、ってのも世の中にはあるらしい。四十過ぎまで独り身の俺にはわからない感情だが、結局その二人は仲直りして仲良く暮らしてる。たとえ一度や二度疑っても、長年の付き合いで培った絆は残っていたっていう話だ。だからセーナさんも、あまり疑ってる自分に負い目を感じる必要はないんだ」


 ぶっちゃけこのとき俺は、セーナにエモい話をしてやったと内心でドヤっていたのだが、当のセーナは別のところに反応した。


「四十過ぎ?」

「あ、まだ言ってなかったっけか。俺、四十三歳なんだよ」


 言うと、セーナは驚いたように緑玉の目を見開いて輝かせる。


「まあ! わたくしと同い年でしたのね!」

「同い年?」

「わたくしも今年で四十三歳になります。なんという奇遇なのでしょう!」


 そうか。セーナはエルフなのだ。同い年とはいっても成長の仕方も時間感覚も全く違うわけだ。


「へえ。じゃあ二年後に成人ってことは、エルフは四十五歳で大人になるってことなのか」

「はい! わたくしもとうとうエルフとして大きな節目を迎えることができますわ」


 その弾ける初々しさと可憐さは、俺と同じ年月を重ねてきたとは思えないフレッシュさに満ち溢れていた。

 二年後には勇者はこんな女性と同じベッドで寝られるわけか。


 はー。(クソデカ溜息)


「でもコースケ様は、年齢の割にお若いですのね」

「そおかあ? 俺、ガキのころから大人に間違われるくらいだったから、結構老けて見られるタイプだと思ってたんだが」

「そんなことはありませんわ。だってわたくしはコースケ様が勇者様とそれほど変わらないと思っていたくらいですから」


 いくらエルフの年齢感覚が人間と違うとはいえ、さすがに二十五歳の勇者と同列に並べられるのは辛いョ……。


「それにしても、コースケ様が独り身ということに驚いておりますわ。縁談などはありませんでしたの?」

「あんま縁がなくってな。人の男女関係ばかり関わる仕事だったし、肝心の自分の恋愛には無頓着な人生だったよ」


 というより、探偵をしてて男女のどろどろした関係をあまりにも多く見過ぎて恋愛というものに魅力を感じなくなったってのが本当のところなんだが。


「本当に不思議です。こんなにお優しい御方ですのに……」


 セーナの評価に、俺は「ははは」と曖昧に笑う。

 嬉しくなかったわけじゃない。ただ、あまりに言われ慣れた褒め言葉だったがゆえに、お決まりの対応しかできなかったのだ。


 人間不信な人間ほど、自分を守るために他人には優しくするものだ。だから普段はよく「優しそう」と言われ、それ以外の言葉で褒められることは少ない。自分を表立って表現しようとしないから、同時に褒められるべき個性も発揮しないからだ。


 俺はまさに典型的なそれで、素直に受け取れない難儀な性格をしているのだ。


「ところでセーナさんの予定も知っておきたいんだが、教えてもらえるか?」

「わたくしも勇者様と王城での祝勝会や今後の方針会議などに参加しなければなりませんので今日明日は忙しい日が続きます。ほぼ王城に通い詰めで、本邸に帰るのはほとんど寝に帰るようなものですわ」


 てことは、勇者が行動を起こすとしたらそれからか。


「オーケイ。ともあれ、少し元気が出たようで安心した。あまり不安がって勇者の前で表情が強張ってるのもよくないからな」

「ふふ。コースケ様がこうしてわたくしの緊張をほぐしてくれようとしているのに、笑顔で返さなくてはコースケ様に失礼ですから」


 うわ。むっちゃええ子やん……。

 本当の優しさってのは、こういうものだと思うよ俺は。


 とてもじゃないが俺は俺自身を優しい人間だとは思えない。

 なぜなら俺は、誰をも騙しているからだ。


 ハリシュも、ファリも、シャオールも。

 そしてそれは、セーナに対しても例外ではない。







 セーナは本邸で勇者と出席する王城でのパーティの準備があるとのことで一旦帰っていった。

 そろそろ勇者の凱旋行進が始まる時間帯だ。

 丁度いい機会だ。まだ直接勇者様のご尊顔を拝んでないことだし、ちょっくら覗きにいってみるとするか。


 凱旋行進の予定地は、王城の周囲にある円状の大通りだ。そこを交通規制し勇者が馬車で一周するらしい。

 パレードと聞いて都内某所の花火大会くらいの人集りを想像していたが、現地に行ってみるとそこまで見物客は多くなかった。


 ただの残党狩りらしいし、そこまで大規模なものではないんだろう。だがこれくらいの人垣の方が紛れるのに丁度いい。

 そろそろか。人の声がざわめき始める。どうやらこっちの方に勇者の乗る馬車が向かってきているようだ。


「おっ、さすが異世界馬車。引くのは訓練された魔獣なのか」


 三頭引きの豪奢な馬車を引くのは三対の脚を持ち、首から頭部にかけて鱗に覆われた半竜半馬のような大きな獣だ。その前後を二十人ほどの剣を掲げる騎士たちと、盛大な音色を奏でる音楽隊が整列し行進している。


 しかしようやく勇者の生の顔を拝めるかと思ったのだが、濁ったガラスのせいで顔がうまく見えない。中に鎧を着た誰かがいるのはわかるのだが、丁度汚れと影で隠れてしまうのだ。


 俺は馬車に合わせて大通りを沿って移動した。

 そこでふと見つけてしまう。人集りの中にはあのおばさまたちがいたのだ。


「キャー! 勇者ちゃまー!」

「おかえりなさーい!」

「魔獣をやっつけてくれてありがとー!」


 なんか文字の書かれた紙を両手に持って振っていた。アイドルうちわみたいなもんか。


 三人組のおばさまたち以外にも似たようなものを持っている女性はいたが、みな同じくらいの年齢層だった。勇者は若い女の子よりおばさまに人気があるらしい。


 そのときだ。馬車の窓が開いた。そこから一本の腕が伸びてきて、黄色い声を上げるおばさまたちに手を振り出した。ナイス、勇者ファンクラブ。

 今なら顔が見えそうだ。だが角度が悪い。馬車の庇に隠れて顔が見えない。


 俺は少し無理やり人を押しのけて近付いてみた。


「うおっ」 


 だが背後からどしんと誰かにぶつかられて俺はよろけてしまう。 

 身を起こしたときには、すでに勇者の腕は馬車の中に引っ込み、窓は閉められていた。


「あっ、ちくしょ。見損ねたじゃねえか」


 そして勇者の顔ははっきり見られないまま、馬車は王城の正門へと進んでいく。


「まいったな。さすがに俺一人で城の中には入れないだろうし」


 正門の前には武装した数人の騎士が警備していて一般人の入場は禁止されているようだ。

 ファンクラブのおばさまに緻密な肖像画を見せてもらって顔はわかるものの、勇者が日常でどんな表情をする人間なのかも知っておきたかったのだが。表情が見えればある程度どんな性格をしているのかもわかるからな。


 だが仕方がない。勇者の様子は後でセーナに聞くとして、俺は今のうちに準備を進めておかなくては。










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