第28話 貶してた相手の実力を認めたときに見せてくれるデレ。俺はこれをヤル(じゃねえか)デレと名付けたい。


 二日後、俺は自室でひとり珈琲を嗜みながら自分で取ったメモを並べ、これまでの見知った情報をまとめていた。


 ああ、珈琲といってもこの世界に珈琲があったわけではなく、それに似た黒い飲み物だ。名前はやたら長くて呼びづらかったからこの際これからも珈琲と呼ぶことにする。

 やはり香茶よりは珈琲の方が俺は好みだ。多少浅煎りのような酸味があるが、飲みやすく後味がいい。これからはこれを飲むのが俺の新しい習慣になりそうだ。


 ファリはあの後大人しく自宅に帰り、さすがに国家機密に絡んでくる事態に怯んで無理は言わなくなった。それでもまだ心残りはあるようで寂しげな目をしていたが。

 俺は俺で勇者の浮気調査を続けている。勇者が遠征から帰還した後の行動予測を立て、決定的な証拠を取るための事前準備だ。


 シャオールの件は気にはなるが、俺は積極的に関わっていない。

 ただ警戒はすべきだと思っている。下手に手を出して浮気調査をおろそかにしたくないし、もっと大局的な政治抗争に巻き込まれるのもご免だからだ。


 そんなことを考えながら机に向かっていた昼過ぎのことだ。玄関がノックされる。扉を開けたら青髪エルフが一人で立っていた。


「よう、ハリシュ。セーナさんの用事か?」


 ハリシュは俺相手でも丁寧なお辞儀をして続けた。


「シャオール様から私宛に魔簡交が届き、先日の件で報告がありました。念のためドキドキ様にもお伝えしておこうかと」


 俺はハリシュを中に招き入れ、珈琲を出して話を聞いた。シャオールからの手紙をハリシュに代読してもらう。

 それは例のプレトリア総合商会の取引が、本来は俺たちがシャオールと会った日の翌日に行われる予定だったことを示す内容だった。


「っつうことは一昨日シャオールがぶっ倒していた連中は……」

「予定外の人間と取引し、魔法具を引き渡したことになります。そして持ち去った男はまだ見つかっていません」

「手紙の男、だろうな」


 プレトリア総合商会の主人は消えた部下に対して怒り狂っているそうだ。出会い系詐欺の余罪なんかも含めシャオールにとっちめられたそうだが。


「件の手紙の男が違法魔法具を持ち逃げし、利益を独占しようとした。そう考えるのが自然でしょう。魔法具を王都に持ち込んだ東ゴルヘス陸運協会、それにプレトリア総合商会はいずれも運び込まれた魔法具の真価を把握していませんでした。男が疑似秘匿枢要式魔法具の価値に気づいていた可能性はかなり低いと思われます」

「出会い系詐欺の下っ端をやらさられて不満が溜まっていたところに、耳に入った身内の高額取引の話。思わず飛びついて取引の日をはやめさせ、横取ったってところか」


 シャオールが昨日あの倉庫に赴いたのも、男の部屋から見つかった手紙の中に日時の改められた返信があったからだそうだ。シャオールは気づきすぐに取引現場に向かったが、それでもわずかに間に合わなかった。

 起こっていたこと自体は、そんな単純な流れにしか過ぎなかった。

 だが、顛末がわかったからとそうすんなり解決するものでもない。


「勇者は見ず知らずの人間から魔法具を買い取るようなことをする人間か?」


 勇者の帰還後に売買取引を予定していたのはプレトリア総合商会で、交渉担当は別にいたそうだ。

 シャオールが言っていたことだが、名目上持ち込まれた魔法具はアンティークのような一部の人間にしか価値を持たないものだ。


 というより、業者を使って密輸させた反勇者派かエルフ保守派が、勇者にしか価値を見出せないものをあえて選んだのだろう。そいつらも男が持ち逃げしたと知れば大慌てだろうが。


「ご存じの通り勇者どのは王都ではあまり人付き合いを積極的にされません。いくら魔法具蒐集に目がないとはいえ、チンピラから魔法具を売ると言われてすぐに頷くほど警戒心が薄くはなく暇なお方でもありません」

「だよな。てことは勇者相手に売るつもりなら他にツテがあるか、そこまで思慮がなかったかだが」

「下手な人間に売りつけようとして売れずにどこかに捨てられないとも限りませんね」

「なくはないだろうな。名画や骨董品なんかが行方不明になるのも、結局、価値のわからないやつが適当に安く売り飛ばしてどこにいったかわからなくなるってのが常だ」


 そこで俺たちの議論は止まった。これ以上突っ込んだことを話してもお互いできることはないからだ。


 代わりに、俺にはハリシュに一つ聞いておきたいことがあった。


「ハリシュ。勇者の館に入れるやつって、あれシャオールだろ?」

「なぜわかったのですか?」


 ハリシュはわずかに驚いたように目を開く。


「おまえが最初、勇者の館に誰かが入れると匂わせるようなことを言ってたのが頭に残って気になっててな。それが誰なのか俺なりに考えてみた。

 勇者は魔王の残党狩りで館を留守にすることが多く、その間使用人も雇っていない。じゃあ誰が入ることがあるのか。日雇いの掃除人を中に入れるほど無警戒ではないだろうし、下手に触られて怪我でもされたら面倒だ。だから中に入れるやつっていうのは、魔法に精通している者であると踏んだ。それも親交が深く、館を守る魔法具の作動管理を任せられる人間だ。セーナさんから聞いた魔法具の話も役に立った。魔力媒は一月に一度程度、誰かが魔力を注入してやる必要がある。勇者の遠征はときに数ヶ月に及ぶこともあるらしいしじゃあ誰がその間、館の魔法具を作動させるのか。シャオールなら可能性は高いと踏んだ。

 悪いな。実を言うと最初に言い切ったのは鎌を掛けただけだ」


 この世界の冷蔵庫が魔力媒で動いているように、館を守る魔法具にセンサーの類いがついているのならその動力は同じはずだ。

 恒常的な効果を得るなら魔力は消費し続けなければならない。定期的に館に入れるほどの信頼があり、仮に魔法具を盗みだすようなことをすれば、逆に己の立場にダメージを負うような立場の人間。宮廷魔術師なら最適だ。


「やられましたね。そこまでわかっているなら隠す必要もありません。その通りです」

「俺が単独で館に入れば罪に問われてもおかしくないが、それならシャオールに同行してもらえれば合法的な体裁は取り繕えるな?」

「それに答える前に、一つお聞かせください」

「なんだ?」

「ドキドキ様がカリエセーナ様に頼まれた仕事とは、本当にシャオール様に言っていたようなものなのですか?」

「うん? 急にどうした?」


 俺はシャオールに会った日、セーナから勇者との結婚に際し二人の周囲に妨害する人間がいないかどうかを探る依頼を受けていると伝えている。

 ハリシュの前で明言したのはそれが最初だ。内心では気になっていたに違いないが、主人が口に出さないことだと承知してあえて今まで聞いてこなかったのだ。


「カリエセーナ様は、普段私にはほとんど隠し事をされません。そのカリエセーナ様が、ここ数日はどこかよそよそしく、口を噤むことが多くなりました。長年仕えてきた経験で滅多にないことです。私は違和感を覚えました。カリエセーナ様とドキドキ様は、何かお二人でのみ秘めた事情を抱えているのではないかと。それこそシャオール様のように何か裏で働きかけているのではないですか?」

「勘ぐりすぎだよ」


 と、俺は言っておく。

 そして俺はそこにまた別の偽物の真実を重ねる。疑っているやつに対しては、はぐらかし続けるのは悪手だ。余計に疑惑を深める。


 だから向こうが口を挟む前に、こちらから先に白状してやった、という流れを造ってしまえばいい。

 確信ではなく疑惑の段階なら、それで相手はひとまずの安心感を得て深掘りはしてこない。


「実を言うとセーナさんに頼まれていたのは、勇者の周囲の人間関係を探って把握することなんだ。二年後の勇者との結婚が迫ってきてるんだし、何も不安材料がないか今のうちに調べておいたら安心できるだろう?

 これは俺の世界でもよく頼まれた仕事内容でな。配偶者となる相手の家族構成、友人関係、仕事関係。そういったもんを結婚する前に知って不安を払拭しておきたいってのは、まあ俺は未婚だから断言はできないが、おそらく通常の感情だろう。

 おっと、セーナさんが疑り深いって言ってるんじゃないぞ。彼女は少し結婚に向けて不安を抱えているようだったんでな。これはある意味俺がセーナさんに提案し、受け入れてもらった形の仕事だ。

 シャオールの件に関しては、そうだな。俺はそこに欲張って深く関わろうとは思わないし、俺が救ってみせるなんて高慢なことはもっと思わない。俺は異世界から来た勇者じゃない。ただの中年なんでな。だから、俺の行動にハリシュが思っているような深い意味はないよ」


 どうだ? 信じたか? 

 ハリシュは眉を顰めたままだが、特に何も言い返してこようとはしない。


「左様ですか」


 ハリシュは、ふうと、一息つくと数秒の間静かに目を瞑った。

 また目を開いたとき、彼の青い目がぶれずに真っ直ぐ俺を捉えた。


「私は先日の件で、ドキドキ様がただの人間風情でないことはすでに認めております」


 ……おお? 


「カリエセーナ様が貴方を頼ったことも、今なら理解できます。ドキドキ様には、どこか他の人間とは異なる威容がある。私も少なからずそれを感じ取っている」


 おおお?


「いきなりデレてくるじゃん……」

「デレ……?」


 ハリシュは俺の言葉の意味がわからなかったようで小首を傾げる。かわいいじゃないか。


「俺はセーナさんの不安を解消するために動いてる。それを急に辞めたり、セーナさんの不利益になるような真似はしないから安心してくれ」


 ハリシュにはまだ浮気調査のことを話すつもりはない。いくら従者と言えど、彼らの関係性にどんな影響を与えるかが俺にはわからないからだ。

 俺からは何も綻びが出ないと悟ったのか、ハリシュは諦めたように頷いた。


「結構です。ドキドキ様が何かを隠していようと、私は無理にそれを追及するような真似はいたしません」


 ですが、とハリシュは力強く言葉を切る。


「どのような経緯結果であれ、もしカリエセーナ様を傷つけるようなことをすれば、私は貴方を決して許しません。それを努々お忘れなきよう」


 なるほど。こっちは信頼してやったのだから、それを裏切るなってことか。


「はは……。信頼されてんのかされてないのかわかんねえな」

「ドキドキ様の諦めの悪さに脱帽しているだけですよ。これ以上私が口を出すことはありません。後はご随意に」


 ハリシュはにこりともせずにそのまま席を立ち、俺の部屋から立ち去っていった。

 セーナを傷つけたら許さない、か。


 ハリシュのセーナへの敬愛は本物なんだな。俺はもとの世界でもそこまで人を尊敬したことがないからあいつの気持ちは完全にはわからないが、誰かのためにそこまで怒りを持てるってのはすごいことだな。


 ……浮気を暴けば少なからずセーナの心は傷を負う。


 だがセーナが真実を知らずに勇者を疑いながらこの先を生きることは、あるいは真実を知るより辛いことかもしれない。

 ハリシュは「どのような経緯結果であれ」と言ったが、俺が仕事をしてもしなくても、セーナが傷つくことに変わりはないのだ。


 そのときハリシュは俺を恨むだろうか?

 俺は、ふ、と一人で笑みを零す。

 そんな未来なんて考えたところで答えは出ない。

 とりあえず今はいかにして勇者の浮気を解明するかに注力しよう。










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