第14話 代償の血刃


 刃先を腕に走らせた瞬間、一層目映い光が刀身から解き放たれる。

 視界が光で埋め尽くされ、俺は自分の躰さえ満足に見えなくなっていた。

 光が収まったのは、その数秒後。

 光の圧が引いたのを感じて、俺は恐る恐る目を開いた。

 俺の腕は切り落とされてもいなければ、切り傷の一本も入っていない。それどころか。


「あれ? どこいった?」


 空の両手をすかすかと握る。俺の手からあの剣が消失していたのだ。


「コースケ様、なんともございませんか?」


 不安げなセーナの声が聞こえる。


「あ、ああ。大丈夫だ。でも一体何が――ぐっ」


 ぐらりと、頭が大きく揺れるような感覚を覚えて、俺は足元がふらついた。

 天井や壁がひっくり返ったのかと思うくらい、視界が揺れる。一晩中飲んで酩酊していても俺はここまでにはならないのだが。

 そこで俺は気づく。


 違う。目が回っているわけじゃない。視界が重なっているのだ。

 俺の目玉が映しているセーナが目の前に立っている本来の光景に、別の何かが重なって映っている。丁度、右目と左目で異なる景色を同時に見ているような感覚だ。

 そのもう一つの光景のせいで平衡感覚が崩れたらしい。


「しかしこの光景、見たことがあるような……」

「コースケ様、あの」

「なんだ? セーナさん?」

「あの、ご自慢のお頭に何かが巻き付いているようなのですが……」

「え? おわっ、本当だ。なんだこれ?」


 セーナも何が起きているのかわからず戸惑っているのだろうか。言葉遣いがおかしくなっている。

 自分の頭を手でまさぐってみると、確かに蔓状のものが俺の髪の毛を押しつけるように巻き付いていた。

 頭のはガチガチに巻き付いて取れないため俺はひとまず自分の視界に重なる景色の方に集中した。


 仮にその景色を「第二の視界」と呼ぼうか。

 新たに気づいたが、その景色は俺が頭や躰を動かして視点の位置を変えると、まるでそこに別の自分がいるかのように俺の動きに合わせて周囲の物が動くのだ。

 そしてどうやら目を閉じると第二の視界の方がくっきり見えるようになるようだ。

 俺は目を閉じたままくるりと真後ろに振り向いてみた。そこには。


「セーナ、さん?」


 セーナの後ろ姿があった。


「はい?」


 ところが返事が俺の後ろから聞こえてきて、俺はまた振り返る。

 目を開けばそこにはセーナが正面を向いて立っていて、俺を不思議そうに見返している。彼女には見えないのか。

 意味が分からず俺は再度振り返った。やはりそこには俺の視界に重なるセーナの後ろ姿が映っている。

 セーナの後ろに何かあるということだろうか。俺は首を傾げて見てくるセーナの横を素通りした。さらに、そこには。


「俺……?」


 頭を縛り付けてくるサークレットのせいでブロッコリーからエリンギのようになった頭の俺の姿が映っていた。立ち位置がずれたせいか。セーナが振り返ってこっちを見ているのも見えた。

 近付いてゆっくりと指先で触れてみる。

 指は同じように指を指しだしている俺を抵抗なくするりと抜け、そのまま躰全体が入れ替わるように抜けていった。

 つまり、今の場所がこの謎の視界の起点ということだ。


 俺はその場で周囲をぐるぐる見渡し、そして見つけた。

 ここらには確かさっき投げ捨てた鞘が転がっているはずなのだが、刀身と同じように消え去っていた。かわりに小さな箱のようなものがひとつだけ落ちている。

 屈んで覗き込むと、もう一つの視界に、俺の顔がアップで映ったのだ。


「これってつまり、カメラ、だよな……?」


 二センチ四方もない立方体のそれぞれの面に小さな丸い穴が開いている。これが映した映像が、頭にあるサークレットを通して俺の視界に流れているようだ。

 セーナも俺の後ろからひょこんと顔を覗かせて立方体を覗き込んできた。


「こんなもの、さきほどまでございましたか?」

「いや、なかったと思うが……」


 俺とセーナは顔を見合わせて確認しあう。


「もしや、霊剣ダインスレイフが変化したのでしょうか?」

「やっぱ、そういうことだよな?」


 俺の手から離れなかった魔法の剣が、光を放つと同時にかき消え、替わりに出現した謎の立方体と俺の頭に纏わりつく謎のサークレット。

 あの剣と鞘がそれぞれ変化したのだという結論に至るのは、そう不自然ではないはずだ。


「魔法具が変化するってのは、よくあることなのか?」

「いいえ……わたくしも初めて目にする現象ですわ。霊剣ダインスレイフにはこのように形を変える性能もなかったはずです。考えられるとすれば――」

「すれば?」

「これは、コースケ様が起こした特異な現象と見るのが妥当なのではないかと」

「今の現象は俺が起こしたっていうのか?」

「次元の稀人は異質な魔力を持っております。それはわたくしたちでも理解できないような不思議な力……。おそらくコースケ様が起こした現象は、わたくしの世界にある魔法具を、別の形態へと再組成させるものではないかと思います」

「俺が、別の形に……?」


 そうか。だからカメラのように。

 俺には異世界ボーナスなんてないと思い込んでいたが、こんな形で発見できるとは僥倖の極みだ。


 異世界の魔法具を俺が欲しい道具に変換してしまう能力。考えようによっちゃこれほど強力で便利な能力もない。

 他の魔法具でも試してみたいところではあるが、まずはこのカメラだ。


 掌に乗る小さな四角い立方体が映す景色を、俺の頭に巻き付いているサークレットを通して俺の視界に流しているようだ。だから映像は俺にしか見えていないし、俺の本来の視界に被さるように映っている。

 仕組みはわからないが、脳の視覚野に魔力的な変換を加えた情報を流し込んでいるのだろう。

 まるでVRみたいだ。俺が頭や躰を動かして方向を変えれば、景色も俺の動きに合わせて動く。


 だがまあ、さすがに物は掴めないし、遠くのズームもできない。だがカメラがある場所から全方向の撮影ができるだけでも破格の性能だ。ある程度なら俺自身が近付けば寄ることもできる。

 俺が欲しいと思っていたカメラとはちょっと趣向が異なるのは、素体が異世界の魔法具だからだろうか?


「セーナさん。こいつはすごいぞ」

「これは、何をするものですか?」


 立方体のカメラを渡してやると、セーナは裏と表とひっくり返して覗き込む。さすがの彼女にも未知の物体らしい。

 俺の第二の視界にはセーナの顔がどアップでぐるぐる回っている。映している対象がレンズに近すぎると拡大されてしまうようだ。

 多少酔いはするが仕組みがわかってしまえば耐えられそうだ。


「ふっ、これこそ俺の世界にあったビデオカメラというやつでな――」


 俺の解説中も興味深げに頭の上に掲げて下から覗いていたセーナだったが、ふとその指がぱちんと外れてカメラがころんと転がり落ちる。


「あッ」

「おぶふッ」


 小さな立方体のカメラは、そこがゴールだとでも言うように、セーナの谷間の深淵にホールインワンした。

 どアップのそれが俺の視界にも広がる。


「申し訳ございませんっ。服の中に落としてしまいましたわ」


 よかった。服の中真っ暗だからほとんど見えてなくて本当によかった!

 ふぅ、と安堵していたのも束の間、セーナは俺に見えないように後ろを振り返ると、右手の人差し指で襟を引っ張り、少し前屈みになって左手の人差し指をその中に突っ込む。


「中で引っかかっているようですわ。すぐ取りますわね。見えにくいので魔法の光で……」

「ぶるるるぉぉぉおおお!」


 ぽわ、とセーナの指先に魔光が灯ると同時、俺の視界にはあれやこれやが否応ナシに飛び込んでくる。目を閉じても脳に直接流れこんでくるような映像が、俺に逃げることを許してくれない。


「うーん、どこでしょう。見当たりませんわ……」


 もうちょい右だよ! 自分の、その……で隠れてるよ!

 とはさすがに言えない俺は哮るしかなかった。


「ごおおおぶるがああああ!」


 しばらく躰をくねくね捻りながら服の中を探していたセーナだが、とうとう見つけたらしく、指先で摘まんだカメラを嬉しそうに俺に見せつける。


「よかったっ。ありましたわ!」

「お、おう。よかった、本当に……」

「えッ、コースケ様! あの、お鼻から血が……!」

「え、まじ?」


 俺は自分の鼻の下を拭った。あ、結構量多い。

 つか、四十過ぎたおっさんが女のあれやこれやを見ただけで鼻血って……。


「あ、いや、これはだな……」


 釈明に言い淀んでいると、セーナは一人で納得して手を打った。


「もしや、それが代償なのではありませんか!」

「だ、代償?」

「先ほどお話しした通り、次元の稀人はわたくしたちとは異なる魔力を持っていて不思議な現象を起こすことがありますわ。ですがその代わり、何かしらの代償を支払うことがある、と伝承に残っております」

「あ、うん。えっと」

「『代償のはなぢ』。きっとそれが魔法具を組み替える能力に科せられた対価ということでしょう」


 だっせえ……。

 でもまあ、興奮して鼻血出したと正直に言うよりはいいか。そういうことにしておこう。字面はかっこよさそうだし。

 俺って風貌的にも、ホントはハードボイルド系のキャラなはずなんだけどな?


「直接的に血が流れるなど、これほど痛々しい代償は聞いたことがありませんが、きっとそれだけコースケ様のお力が強力だということですわ!」

「おお……、そういうことか……!」


 そこまで言われると俺も俺の鼻血が本当に能力の代償のような気がしてきた。

 他に代償らしきもんもないし、セーナのあれやこれやを見てしまった興奮のせいではないということだな。


「ともあれ、だ。紆余曲折はあったが、なんとか無事、調査に使えそうな道具を手に入れることができたな。この世界にある魔法具を、俺の知っている道具に造り替えてしまう能力か。俺の世界の道具を持ち込こめる上に、動力は魔力で電気いらず。まじもんのチートだな」


 ぶぅん、となんか空気振動のようなかっこいい音を残してカメラは止まった。

 まさかとは思うが、俺の鼻血を見たから停止したとかじゃないよな?


「ところで、こちらは何をする道具なのでしょう?」


 そういやまだ説明していなかったな……。

 黙っとくわけにもいかず、俺はセーナにかいつまんでカメラの機能を説明した。


「――――ッ!」


 見るに紅潮していくセーナ。自分がカメラで何をしたのか理解したのだろう。


「コっ、コースケ様……?」

「大丈夫! 大丈夫だから! 起動してなかったから! 見てない! 俺は何も見てない!」

「そ、そうですか。よかったですわ……」


 胸を撫で下ろすセーナ。純粋な子でよかった。この嘘だけは何がなんでも隠し通そうと思う。


「霊剣ダインスレイフ、と言ったか。生まれ変わったんだから魔眼ダインスレイフとでも称呼しておこうか。早速だが、明日は勇者の自宅を見に行きたい。案内を頼めるだろうか?」


 勇者は帰ってくるまで最短であと一週間。魔法具を仕掛けるなら明日しかない。

 セーナも表情を引き締め、力強く頷いた。


「わかりましたわ。では明朝、コースケ様をお連れ致します」

「よぅし、明日から本格的な調査の開始だ」


 異世界転移した俺の怒濤の初日が、こうして終わった。

 明日からまたこの世界で俺の仕事が始まる。

 そのことに俺は少なからず高揚していた。異世界に来てまで探偵業か、と最初は辟易していたものの、自分らしさが出てくるとやはり嬉しさが湧いてくる。

 結局、俺は根っからの仕事人間だったということだなあ。







 ちなみに魔眼ダインスレイフには、録画機能までついていた。

 俺はその日、あくまで仕事のために一晩中機能チェックに勤しんだのだった。










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