第9話 弱ったときの慈愛に勝てる男なんていないさ


「セーナさん、いくら俺を召喚した義理があると言っても、あまり気負いすぎる必要はないんだぞ? 仕事の契約を交わしたのだから、俺とセーナさんはもはや対等な立場だ。ああ、いや、もちろんセーナさんはエルフの王族であるのだから立場は俺の想像以上なのだろうが」


 俺は不安から逃げるためにそんなことを言った。セーナを慮っているような物言いだが、しかし、俺自身がその不安から逃れるために距離を置こうとしたということを自覚している。

 俺も伊達に二十年近く探偵をやってきたわけじゃない。一見して危険のなさそうな案件でも、調査を進めていくと裏で危ない組織の連中と繋がっていた、なんてケースも稀にあると俺は知っている。


 そういうとき、俺は似たような感触を得るのだ。危険察知能力とでもいえばいいだろうか。俺は少なからず、この仕事の先に何かただ事では済まない事態が近付いてくるのではないかと今まさに肌で感じている。

 だがその心の靄は、ただこの仕事が困難を伴っているということだけが理由ではなかった。


「俺はセーナさんの言うように次元の稀人で、この世界では特別かもしれないが、元の世界ではつまらない中年でしかない。本来なら王族と話せるような人間じゃあないんだ。俺は、口外できないような人間の汚さを目前にして平然と振る舞える人間だし、俺自身も仕事の中でそういう社会の暗部に足を踏み入れそうになったことが何度もある。つまり何が言いたいかというと、もちろん今回受けた仕事はきっちりやるつもりだが、過度に身の回りの世話をしてもらっても、俺には返せるものがない。だからセーナさんも、あまり俺には深入りしない方がいい。俺みたいなのとは、ビジネスライクに付き合うくらいが丁度いいんだ」


 後ずさりするように、俺はセーナとの間にある距離に言い訳を並べ立てる。

 誰かに対して自分を卑下するように振る舞うのは、つまるところ自己防衛だ。


 俺は出会ってからのわずかな時間で、セーナが高貴なエルフであり英雄の一人であることを知った。

 見ず知らずの俺の言葉を疑いもせず飯を振る舞い、最低限以上の生活ができる基盤まで整えてくれた。

 それは彼女の持つ気高さや清廉さが成せる業であり、そしてそれらは俺が持ち合わせていないものたちだ。


 人は自分が持っていないものを持っている人と相対したとき、まず出てくるのは多くの場合、拒絶だという。

 おっさんは歳を食ってる分、現実的だ。華麗で美麗なエルフの美女が目の前に現れて、自分に見返りもなく信頼を寄せてくれる都合のいい展開が起きないなんてことは人生の内ですでに悟っている。俺は彼女の真摯さに対して、まず壁を立ててしまったのだ。


 あまりに過剰な施しを受けてしまったら、俺はセーナにどう報いればいいのかわからない。返しきれない恩を持て余して、俺は最後の最後に彼女を裏切ってしまうような気がしてならないのだ。

 だからセーナの俺に対する態度は俺を乱させ、俺は一歩退いてしまった。


 この一日で俺が築いてきた仕事のセオリーが通用しないことがわかったことも、俺を弱らせている原因の一つかもしれないが、それは抜きにしても彼女は俺には眩しすぎる。

 俺は、セーナの期待に十全に応えられる自信がないのだ。 


「そんなことはありませんわ!」


 俺が悶々としていると、セーナが力強く叫んだ。


「セーナさん?」

「確かにわたくしはコースケ様にご期待を抱いております。でもそれはコースケ様が次元の稀人だからというだけではありません。本当にわずかな時間でございますが、少しお話をしただけで、わたくしはコースケ様がご自分の仕事に対して真摯に向き合うお方だとわかりました。だからこそ、わたくしはコースケ様を頼ったのです」

「そう言ってもらえるのはありがたいが、それは詐欺師も使う簡単なトリックにもあるような、運命的なシチュエーションが起こす心理的作用による過大評価というやつで……」


 彼女も言葉もまた眩しく、俺はそんなつもりもないのに、本気でそう思っているわけでもないのに、腕で目映い光を遮るように咄嗟に否定の言葉を吐いてしまう。

 そうしたことを俺はすぐに後悔した。セーナは眉尻を下げ、見るからに悲しそうな顔をしたからだ。


「どうしてそう、自分を追い詰めるようなことをおっしゃるのですか? わたくしがコースケ様とこうして護衛もつけずお話しているのは、ひとえにコースケ様のお人柄ゆえです。ですから、どうかご自分でご自分を貶したりしないでくださいませ。わたくしは、例えコースケ様がどんな過去をお持ちでいようとも、それを決して否定したりはいたしませんわ」


 俺はとうとう、言葉に詰まった。

 何の根拠もないただの印象論に過ぎないとわかっているセーナの言葉が、突き刺さって俺の心を熱くし、口を閉ざしてしまう。


 なぜだろう。ぽかぽか暖かい。その正体を探って、俺は一つの答えに行き着いた。

 そうか。わかったぞ。これが、慈愛というやつか……!


 思えばここまで厚遇されたことって元の世界でもなかったんじゃないだろうか。

 元の世界で探偵だと自己紹介すれば、警戒されることがほとんどだ。

 大抵の人が、この男に何か調べられるじゃないかと心内で構えられ、それ以上の関係性を構築することはできなかった。友情にしても、愛情にしてもだ。


 ここでようやく俺は自分がなぜこんなに気後れしていたのかがわかった。

 俺はここまで人に邪心なく迎え入れられた経験がないのだ。両手を拡げて俺を肯定してくれる存在に、親を含めて会ったことがなかったのだ。

 あ、涙でそ。


「コースケ様? 今度はお目が赤く……?」

「いや、いいんだ。気にしないでくれ。そうだ。セーナさんもいろいろあって疲れただろ。一度お茶でも飲んで休憩にしないか?」


 鼻の奥がつーんとするのを皺を寄せて耐えていた俺にセーナは心配顔だったが、すぐに綻んで可愛らしい笑顔を向けてくれた。


「はい。喜んで」


 恥ずかしいことに俺はその魅力的な笑顔に見とれて十秒ほど固まってしまった。またセーナが「コースケ様?」と声をかけてくるのを俺も笑って誤魔化し、そそくさとお茶の準備にとりかかった。

 やべえ、獣人派だったけどエルフ派に転向するわ俺。




 しかしこのとき抱いていた俺の不安が、よもや勇者と王都の裏事情を掘り起こす大事件に繋がっているとは、さすがの俺にもまだ予測はできていなかった。




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