第4話 エルフの図書館司書は絶対メガネかけてると思う


 赤い塗装がところどころ剥げた右開きの古い木製扉。何度か開け閉めしてみると、ぎいぎいと音が鳴る。

 二階建ての木造集合住宅だ。

 扉のある玄関は乗用車同士が離合するには苦労しそうな細い通りに面していて、乾いた空気が落ち葉を転がしている様は、どこかロンドンの古い住宅地を思わせた。

 建物の窓には落下防止の黒い鉄格子が嵌めこまれていて、物々しさも感じる。


「しばらく誰も住んでおりませんでしたので、やはり大分劣化が進んでいるようですわね……。王都の中心地の方に別の物件がありますので、もしよければそちらの方で」


 セーナは申し訳なさそうに提案してくる。無償で貸し出すものとはいえ、あまりのボロさに後ろめたくなったのだろう。気遣いのできる優しい女性だ。


「いや、ここでいい。気に入った」

「ですが――」

「この埃臭さが元の世界で住んでいた俺のアパートに似ていて親しみがある。掃除すれば生活するにも問題はない。それにこの辺りは確かにひと目につきにくいようだ。セーナさんが訊ねてきても見つかることはほぼないだろう」

「はぁ。そういうことでしたら」


 セーナは俺の好みが理解できないようで戸惑っていたが、納得はしたようだ。 


「とはいえ中には机と椅子以外何もありませんので、いくつか生活具を用意させますわ。それくらいはさせてくださいませ」

「ありがたい。それなら俺はその間に一人で街に繰り出してさっそく勇者の事前調査といこう」


 セーナから部屋の鍵を受け取りつつ、この近辺にある全ての公共施設や行政施設の場所を聞いた。それを頭の地図に組み上げおおまかにマッピングしていく。

 後は実際に立ち寄った際に細かいところを修正するとしよう。後で地図は手に入れるつもりだが、結局はそれも頭の中に完全に再現できるようにしなければならない。今のうちにある程度は実感と紐付けておく。


 探偵にはこの能力も不可欠だ。可能ならば自分と調査対象がいる場所を頭の地図の中で俯瞰視できるとなおいい。

 なぜなら調査対象が隙を見せる場面というのは一瞬だからだ。尾行している間にいちいち地図を見ている暇はない。一回のよそ見がそれだけ証拠を掴む確率を低くしていくんだからな。


 一通り聞きたいことも聞き終わったら今度は行動プランを立てていく。ここから最寄りの場所は、ふむ、図書館か。

 勇者というからには何かしら文献に記録も残されているだろう。丁度いい。まずはそこから当たるとするか。

 セーナに俺のような異邦人でも利用は可能かしっかりと確認し、大体何時間後くらいに戻るかを伝えた。この異世界の時間感覚は地球とさほど変わらないことは確認済みだ。


「どうか、勇者様のことをよろしくお願いいたします」


 不安を湛えるセーナの目にばっちり映るように俺は親指を立ててみせ、コートの裾を翻して俺はその場を後にした。





「勇者の文献を探しているんだが」

「勇者? ああ、勇者エルドラン関係? だったらあっちの方だよ。勝手に探してよ」


 胡乱な目で俺を見てくる無愛想な司書らしき女エルフが柱に隠れた奥の書棚を指さした。どうも俺の容姿は異世界人には受けが悪いらしい。やれやれと礼代わりに腕を振って書棚の方へ足を進めた。


 王立ノアトゥ士官図書館。


 王都で最も大きな図書館らしい。元は王都の軍部となる王立騎士団の士官候補生のために建てられた学寮併設の人間専用の蔵書施設だったそうだが、魔王討伐を期に一般開放され大衆図書館として一部改築されたそうだ。

 今では若い学徒のたまり場にもなっているらしく、並べられた机に集まってなにやら楽しそうに密談している様子がそこかしこに見られる。

 中には、とんがり帽子を机の上に置いて身の丈もありそうなでかくて分厚い本を広げ、読み疲れたか顔を突っ伏して寝ている人間のウォーロックの姿があったりと、ファンタジー好きなら萌えそうな光景がぽつぽつとあったりする。


 きょろきょろとそんな光景を楽しんでいたら、すぐに司書が言っていた書棚に辿り着いた。ずらりと並んだ背表紙の中で、手に取ってくれと言わんばかりに半分飛び出していた本を試しに引っ張り出して適当なページを開く。

 図書館内をぐるりと回ったときにわかっていたことではあったが、俺には本の中に何が書いてあるのかがわからない。魔術文字みたいななんかめっちゃかっこいいフォントが細かく書かれているものの、最初の一文字すら意味も発音もわからない。


 それでも俺はぱらぱらとページを捲ってみた。文字が読めないなら何か挿絵のようなものが書いてないかと思ったのだ。すると、見つけた。

 おそらくこの本は子供向けの勇者伝記なのだろう。頭身の低いデフォルメされた人間の姿が四人、対峙するように禍々しく尖った目と角を持つ大きな魔物が描かれている。おそらく、魔王だ。


 四人の内、先頭で剣を掲げているのが勇者か。その後ろで祈るように手を組んでいるのはセーナかもしれない。他の二人は仲間だろうが、文字が読めない俺には名前もわからない。一人は二刀流のように尖った刃物を構えていて、もう一人は巨大なハンマーのような鈍器を勇ましく魔王に向けていた。


 俺は読めないことを誤魔化すようにその本をくるくる回して眺めてみた。

 あまり紙の質はよくないが、新しいのか日焼けも折れもない。撫でるとさらさらした心地よい感触が指を伝ってくる。表紙の角に小さな綻びはあるが、勇者の本だけあって頻繁に読まれているから痛みやすいということもあるんだろう。


 しかしまいったな。口で言葉は通じるのに文字が読めないとは。

 これはあれか。異世界もの定番の自動通訳というやつだな。翻訳がついてないあたり、与える能力をケチられた感が否めないが、読めないものはしょうがない。言葉が通じるなら人に聞いてみればいいだけだ。

 そう考え直し、本を書棚に戻して踵を返そうとしたときだった。


「あっ、ごめんよ!」


 小走りはしゃいでいた若者三人が通りがかった際に、俺の背中にぶつかってきた。


「うおっと」


 俺の胸の高さくらいまでしかない中学生くらいの子供たちだった。

 先頭にいた犬のような大きな耳を頭から垂らした小憎たらしそうな面影の男の子がばつの悪そうな顔をして俺に片手を立てて軽く頭を下げる。謝るポーズも同じなのかと感心していると、彼の後ろにいた少女が叱るように言う。


「ラリー。だから走るなって言ったでしょ!」

「ごめんなさい。人間のおじさん。謝ったから司書さんには黙っといてねー」


 なかなか世渡りのうまそうなガキどもだ。 

 俺はこいつらなら丁度よさそうだと声をかけて引き留める。


「ああ、ちょっと君たちに聞いてみたいんだが、君たちは勇者を知ってるか? 俺は騎士団から頼まれて王都に住んでいる人たちの勇者の評判を調べてるんだ」


 個人の感情的な興味関心しかないと告げると人は警戒してあまり話をしなくなる。だから俺はバッググラウンドを咄嗟にでっちあげた。こいつの後ろには何かしら組織があると思わせることができれば、後光効果で話をしやすくなる。

 日本でもアンケートを装って調査対象に考えを聞いたりするのはよくある手法だ。


「勇者? そりゃま、一応この世界の英雄だし」

「わたし見たことあるよー。手振ってくれたの」

「ぼ、僕は好きだよ。かっこいいし……」


 彼らの後ろを置いていかれないように追いかけていた大人しそうな少年が最後にそう言うと、ぶつかってきた少年がからかうように笑う。


「ええ、カイル。まだそんなことを堂々と言ってるのかよ。ガキっぽいなー」


 そのラリーという犬耳少年の態度に俺は違和感を感じ取った。


「ん? 君はあまり勇者を尊敬していないのか?」

「いや、尊敬はしてるよ? 勇者エルドランのおかげで俺みたいな獣人も王都に住めるわけだしね。でも憧れとはちょっと違うかな。別に勇者みたいになりたいわけじゃないし」 

「へえ、勇者なんていうから、若い子たちはみんな彼みたいに強くなりたがるもんだと思ってたよ」


 言わばヒーローみたいなものだしな。子供は特にそういうのが好きだと思ったのだが。

 三人は「うーん」と顔を見合わせる。


「だってさ、魔王が退治されたのに強くなったってしょうがなくない? 今は勉学の時代だよ。いろんな種族の人が王都に住んでんだから、気を抜いたら得意分野もどんどん追い越されちゃう」

「なるほどな」


 言われてみればそうなのかもしれないが、子供にしてはやたらと現実的だ。傭兵も戦争が終わればただの暴力者として疎まれたという話もあるし、似たような感覚なのかもしれないな。





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